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旧日本軍の軍歴の長さについて

日本にとっての最初の近代戦争となる日清戦争と、最後となる第二次世界大戦の両方において軍人の地位にあったといったことはありえるのでしょうか。ネットで「うちの爺さんが・・・」という書き込みを目にしたのですが、軍歴が50年近くなるので「それは嘘だろ」と思いました。実際どうなのでしょう…。

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  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (817/3048)
回答No.1

16で海軍兵学校に入学し大将低減年齢の65歳で退役すると49年になりますね。寡耳にしてそのような人物が実際にいたかどうかはわかりませんが。 どうしても知りたければ開戦期の将官をすべて調べれば真偽(居ないこと?)がわかるでしょう。

Directio
質問者

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回答ありがとうございました。最初の答えてくださったので、ベストアンサーに選ばせていただきます。

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その他の回答 (4)

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7249)
回答No.5

東条英機は明治38年入隊しすぐ少尉になり、終戦の昭和20年まで軍人でした。これは40年ということになります。 山縣有朋はそもそも西郷隆盛なんかと一緒に日本軍を作り徴兵制をはじめた人ですが、それは明治2年です。日清戦争のときも主役を張っていましたがこの人が最後にかかわった戦争は日露戦争で、明治38年です。大正4年に対華21ヶ条要求を批判したりして軍事の全面にいました。この時点では45年になっていますね。 山梨半造は明治18年陸軍に入隊し、昭和9年に退役しましたから太平洋戦争にはかかわらなかったけど、その間49年です。 大島健一は明治14年から陸軍ですので日清戦争は経験しています。最後は枢密院にいましたが昭和21年公職追放で失職するまで45年です。 米内光正は海軍明治34年からですから、昭和20年まであしかけ45年在籍です。 こういうのは調べてみたらでて来ますよ。 ただ、二等兵のままで50年近く軍にいたひとはいないと思います。 たいがい昇進しますから。 ただ長くやる人間はやっぱり下士官以上で、少尉ぐらいからスタートするでしょうね。それだったら最後は陸軍大臣や海軍大臣になりますから。

Directio
質問者

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  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11216/34842)
回答No.4

山本五十六提督は、日露戦争の日本海海戦に参加してそこで負傷したという経歴を持っています。あと指一本吹っ飛ばされていたら海軍を強制退役させられていたそうですよ。 しかし日清戦争というのはないでしょうねえ。そもそも「爺さんが・・・」というのなら戦後もしばらく生きていたということになります。日清戦争が1894年だから、そのときに仮に16歳だったとしても1878年生まれ。90歳まで生きたとすると1968年で亡くなっているわけですから、それが「祖父」であるならその人はどんなに若くても40代、常識的に考えれば50代か60代のはずです。その書き込みをした人がその年代だと推測されるかどうかですね。

Directio
質問者

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第二次世界大戦の開戦時に連合艦隊指令長官であった山本五十六ですら日清戦争に参加していないのですから、その部下のなかに日清戦争に参加した人がいるとは考えにくいですね。今調べたら、東条や阿南ですら、日露にも参加していので、なおさらの感があります。回答ありがとうございました。

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  • doraneko66
  • ベストアンサー率11% (535/4742)
回答No.3

偉けりゃそうなるでしょうね。 指揮官は、突っ込めーって言ってるだけですからね。

Directio
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

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  • tak7171
  • ベストアンサー率40% (77/192)
回答No.2

現役で日清戦争~太平洋戦争というとちょっと違うかもしれませんが、伏見宮博恭王がギリギリでしょうか。日清戦争のあった1894年に少尉任官、1946年に亡くなるまで海軍元帥でした。

Directio
質問者

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回答ありがとうございました。

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