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近代トルコ史:ムスタファ=ケマル

世界史の勉強の過程で、ムスタファ=ケマルに興味を持ちました。 第一次世界大戦で敗北したオスマントルコをトルコ共和国として復活させ、世俗主義、近代化を掲げた初代大統領としての彼の面は知っていますが、第一次世界大戦中の彼の軍人としての業績、その後どのように旧政権を打倒、大統領の地位を得たのかというところがいまいちよくわかりません。 かいつまんで説明してください。 ケマルの思想の背景にあるものについても教えていただければありがたいです。

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  • ss79
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回答No.2

ケマルは当時オスマン帝国の支配下にあつた国に軍人として才能を発揮、第1次世界大戦時にはソフィア駐在武官から師団長に転出、英仏連合軍の侵入を阻止、ついでロシア戦線に転出ロシア軍を破りビトリスを奪還する。 1916年シリア戦線アレッポ北方で敗戦を迎える。 以上のように各地に転戦し輝かしい戦歴を収めた。 しかし敗戦のため時の政府が結んだセーブル講和条約の過酷な条件に反対しアンカラ政府を組織した。 セーブル条約ではイラク、パレスチナ、シリア、アラビア半島など中近東地帯を放棄、バルカン半島のイスタンブール以外をギリシャに割譲する他多くの権益を連合国に譲渡するなど国家の解体に等しいものだった。 ケマルのアンカラ政府はアナトリア地方に侵入してきたギリシャ軍を阻止した後、連合軍と休戦し、1923年改めてローザンヌ条約を締結、現在のトルコの全土を回復、種々の権益も取り戻した。 その後スルタン制、カリフ制を廃止、民法の制定、太陽暦メートル法の採用、産業の振興など明治維新の日本のように近代化を推進し、トルコ共和国の礎をきずき国民の支持のもと初代大統領に就任しました。 彼は純粋なナショナリストで封建制度から近代的な国家への脱皮を図ったのだと思います。 その中で日本の明治維新後の近代化の歩みを参考にした感じが強いように思います。

parthian-shot
質問者

補足

ありがとうございます。 つまり、旧体制であるスルタンに対抗して立てた「アンカラ政府」の代表として大統領に躍り出たということですね。 露土戦争、イタリア=トルコ戦争などで連戦連敗だったトルコ軍がここに来て大きな活躍を見せるのはやはり彼の力によるところが大きいのでしょうね。

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  • Ryu831
  • ベストアンサー率38% (241/621)
回答No.1

私自身も彼の名前程度しか分からないですが。。 以下のサイトが参考になるでしょうか? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%86%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%82%AF http://www.europe-z.com/tabi/tu199712/a1.html

parthian-shot
質問者

補足

詳細な情報の紹介、感謝します。 英領オーストラリア・ニュージーランド軍はがりポリの戦いで敗北を喫していますが、この戦いの中で国家の成立が促されたとして、戦いの始まった日を祝っているというのはなんとも皮肉ですね。 「国家」を守るためなら、西洋か・民主化・世俗化を惜しまぬ(カリフ・スルタン制廃止などの政教分離政策、アジア初の男女平等選挙、ラテン文字の導入)彼の考え方はトルコの右派、左派両方に評価されています。 彼はどのようにこの考えにいたったのでしょうか? 更なる情報をお寄せいただければ... 

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