- 締切済み
負けることを覚悟の上での戦とその大義
戦というのは、勝つことが前提という戦がほとんどで、負けてもやむを得ないという戦が多少はあるかも知れない???と想像しているのですが、将も士も、戦の前から、「負けを覚悟していた。それでも闘った。」という戦というのはあるでしょうか??? そして、その負け戦を支えた大義というか、負け戦に挑んだ美学とでもいうのでしょうか……それは何だったのでしょうか??? 日本史の中で、その事例を挙げて欲しいという趣旨ですので、BAは選ばないで締め切ります。それでもよろしければ、教えて下さい。 それと、それを知ることの出来る小説名などを教えてもらえるとなお有り難いです。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
みんなの回答
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
#4です。 >これが理由ですか???この理由があの大きな犠牲を導いたのですか??? >だとしたら、何であんな悲惨な戦争をギリギリまで継続してしまったのだろうか??、本当に講和の機会はなかったのだろうか?? 東日本大震災では、福島第一原発事故というとんでもない大事故を起こしてしまいました。2号機が爆発の危機を迎えたとき、吉田所長や現場の人たちは「もし2号機が爆発したら、東日本に人が住めなくなる」と戦慄したと後に証言しています。2号機が水素爆発を起こしたら、考えたくもない量の放射線物質が吹き飛ぶと予想されたのです。何らかの理由により(このへんは今でもまだよく分かっていないようです)2号機の圧力が低下して最悪の事態は全くもって「幸運」にも回避されました。 そして今、それでも我々は原発を「捨てる」ことができません。もし、もう一度同じような事故が起きたらどうなるのでしょうか?もしそうなったら、我々は後世の人々から「なぜあのような怖ろしい事故を経験しながら、当時の人々は原発をやめようとしなかったのか」と永遠にいわれることになるでしょう。 未来を知らぬ我々は、少なくない人々が「もうあんな事故は起こらない」と思っています。しかし、そうである保証はどこにあるのでしょうか。日米開戦した1941年の時点で、将来日本本土が文字通りに焦土にされ原爆という怖ろしい兵器まで登場することになると想像した人がいたでしょうか? もし未来からやってきたと名乗る人が「今すぐ原発をやめてください。この後にまた大地震が起きて原発が事故を起こし、日本に人が住めなくなる」と訴えたら、どうしますか。 私はここで、福島第一原発事故が起きた直後から「福島第一原発事故は、ミッドウェー海戦の敗北である」と言い続けていました。ミッドウェー海戦も敗戦したときはまだ「日本優位の立場」は崩れていませんでした。後に南太平洋海戦でアメリカ軍は損害を受けて「稼働できる空母がゼロ」という大変に苦しい立場に追い込まれます。つまり、ミッドウェー海戦の敗北の時点ではまだ「これがターニングポイントになる」と気づいている人はほとんどいなかったと思います。 野球の試合だって「あのプレーがターニングポイントだった」なんて、後になってみれば、ってものじゃないですか。 福島第一原発事故を受けて、世界は脱原発に大きく舵を切りました。その結果が何を招いたのかというと、東芝の(実質的な)破綻です。日本トップレベルの超優良安定企業だった東芝は、原発事故による世界脱原発の影響を受けてウェスチングハウスと共倒れになるような形で打ち出の小槌の半導体事業を手離さざるを得ない事態に追い込まれました。 ミッドウェー海戦の敗北で戦争の先行きを見通せなかった日本人が数多くいたように、福島第一原発事故で原発の先行きを見通せない日本人はまだ数多くいます。私は一貫して「もう原発はオワコンですよ」と主張しているのですが、いつも「そう思う」がマイナスになります・笑。 質問者さんは「膨大な税金を投じた大海軍と大陸軍が戦わずして負けを受け入れることはあり得ない」という私の意見を「そんなことで!?」とお思いのようですが、同じように、膨大な税金を投じて作ったのと建設途中の原子力発電所を全てもう終わりにしてやめようという決断を支持できますか。もちろん老朽化したものもありますが、まだまだ使える原発もあるし、それこそ建設途中のものさえあるんですよ。 後世の我々は、航空機主導の戦争になった太平洋戦争で戦艦至上主義を変えられなかった人たちを「時代遅れ」と嘲笑しますが、きっと我々は、再生可能エネルギー主導の時代になりつつあるのに原発至上主義を変えられないことを後世の人々から嘲笑されることでしょう。 私はこの考えに絶対の自信を持っているのに、なぜか世間の人々から理解されない。
- staratras
- ベストアンサー率41% (1498/3648)
森鴎外に「阿部一族」という短編小説があります。 これは江戸時代初めの寛永年間(1643年)に熊本で実際に起きた事件を元にした小説で、細川家の家臣だった阿部一族が藩と対立し、屋敷に立てこもって藩の討手と戦って全滅する物語です。なぜ、一族が全く勝ち目のない戦いに参加したのかが問題ですが、短い小説で「青空文庫」にもありますのでお読みになってみたらいかがでしょうか。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E4%B8%80%E6%97%8F また同じ熊本では、明治9年(1876年)の「神風連の乱」(しんぷうれんのらん)も有名です。明治政府の「廃刀令」に反発した一部士族が10月24日の深夜、熊本鎮台の司令官や熊本県令を襲撃して殺害したのち熊本城内にあった鎮台を襲撃したものです。不意を突いて一時は砲兵営を制圧しますが、翌朝本格的な反撃を受けて敗退・壊滅しました。銃砲で武装した近代的な軍隊に対して、銃砲を使わず刀や槍、弓などだけで戦いを挑むことは現代人から見れば無謀にしか見えませんが、厚く神道を信仰していた敬神党の人々には別の考え方があったということです。 この「神風連」については、学生時代に読んだ「血史 熊本敬神党」(小早川秀雄)が印象に残っていますが、なぜ戦いを挑んだのか100%納得できる理由は見つかりませんでした。明治43年(1910年)に出されたこの書には、池辺三山という著名なジャーナリストが「敬神党の事は、(死亡した)大野、加屋二氏を蘇らせて自ら説明させたとしても、今の世の人に了解させることができるかどうかは極めて疑わしい」という意味の序文を寄せているほどで、明治時代も終わりになればすでに理解が困難になっていたことがわかります。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%A2%A8%E9%80%A3%E3%81%AE%E4%B9%B1
お礼
ご回答ありがとうございました。 「阿部一族」……小説の名前だけはかすかな記憶が蘇ってきました。明治文学には全く関心が無かったのですが、これは興味深いですね。短編のようですから、探してみます。 九州の中心地は福岡と思っていましたが、「熊本」も表現できない「何かがある」という印象ですね。 三島由紀夫は、晩年、神風連の乱に強い関心を持ち、敬神党の思想に共感して、豊饒の海第二巻『奔馬』の題材としたといわれる。……そうだったのですか???再度興味は湧いてきましたが、もう一度読み返す気力は残っていません。(T_T)(T_T)(T_T)
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
>将も士も、戦の前から、「負けを覚悟していた。それでも闘った。」という戦というのはあるでしょうか??? 太平洋戦争(日米開戦)でしょうね。海軍は事前の兵棋演習では何度やってもアメリカ海軍に勝てませんでした。だから、アメリカの海軍力は侮れないということは十分知っていました。 陸軍は、とにかくソ連が仮想敵だったのでアメリカ軍についてはあまり研究していませんでした。というか、第二次世界大戦に参加するまでアメリカ陸軍というのはほぼ存在しないも同然程度の兵力しかなかったので判断のしようもなかったですけどね。 でも国力の差を考えると日米の差は圧倒的だったのは当時知識がある人だったら(官民問わず)誰もが知っていることでした。ただ、アメリカ国民が戦争を望んでいないのが唯一の希望だったのです。 >その負け戦を支えた大義というか、負け戦に挑んだ美学とでもいうのでしょうか……それは何だったのでしょうか??? 陸海軍とも、当時の国家予算の30%くらいをもらって軍備強化をしてきました。そこまで税金を投入されていながら、戦わずして白旗をあげるってことはとてもできることではありませんでした。 じゃあなぜそんなに国家予算が投じられたのかっていうとこれはもうちょっとのっぴきならない事情があって、戦前の日本は第一次世界大戦のときに繊維業でバブル景気に沸いたのですが、大戦が終わると質が低かった日本製の繊維は途端に売れなくなって不景気になったのです。それで、これからの時代は重工業だとなったわけですが、日本国内市場にはその重工業を支えるだけの需要がそもそも存在しなかったのです。だから、重工業を発展させるために軍需で軍艦や戦車やトラックを作ることで需要を創出していたという事情があったのです。 この国策は当時鉄鋼生産量を10倍近くまで増やしたので、ある程度以上には成功していたといえる面がありますね。しかしその軍備増強が結果的に大日本帝国を追い込むことになる皮肉が生まれてしまいました。
お礼
ご回答ありがとうございました。 先の戦争のことは、tzd78886さん、xitianさんからも提起されています。が、勝つことを前提に闘っていたと思っていたものですから、正直白状するとかなり以外でした。 陸海軍とも、当時の国家予算の30%くらいをもらって軍備強化をしてきました。そこまで税金を投入されていながら、戦わずして白旗をあげるってことはとてもできることではありませんでした。……これが理由ですか???この理由があの大きな犠牲を導いたのですか??? 昭和という時代がますます分からなくなってきました。 しかしその軍備増強が結果的に大日本帝国を追い込むことになる皮肉が生まれてしまいました。……涙が出てくるような「皮肉」ですね。平和の国ジパングが国際社会の荒波に揉まれつつ、国民もろとも黒い渦の中に巻き込まれざるを得なかったと言うことでしょうかねぇ。 少年の頃、太平洋戦争に関する戦記物はかなり読んだ記憶だけが残っているのですが、昭和戦後の人間として、太平洋戦争というものを、あの世に逝く前に、しっかりと復習する必要があるのかも。
- gesui3
- ベストアンサー率50% (95/187)
木下順二『平家物語による群読ー知盛』です。 壇ノ浦の段で、彼は言います。 「見るべきほどの物は見た。(平家一門は)一か所で一緒にどうにでもなろう(全滅しよう)。」 兄の言う降伏を拒否し、滅亡へと自らを追い込みました。 焼けのやんぱちのように聞こえますが、 運命を受け入れようという潔さに美学があったのでしょう。 後の武士道かな?
お礼
ご回答ありがとうございました。 「見るべきほどの物は見た。一か所で一緒にどうにでもなろう。」……この1行だけでも、何か???感動的ですね。 運命を受け入れようという潔さに美学があったのでしょう。後の武士道かな? ……武士の発祥の歴史も単純ではないと聞いたことがありますが、「武士の美学」の一端が形成されつつあったのかも知れませんね。
テルモピュライの戦いでスパルタは圧倒的多数のペルシャ軍と戦い、全滅した自軍の2倍以上の敵を殺害し、撤退した本軍に準備の時間を与えて後の勝利に貢献し、子孫にプライドを与えました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%83%80%E3%82%B91%E4%B8%96 命より名誉が重んじられた国で、命より名誉が重んじられた職業の平敦盛。敵に声を掛けられればひきかえさざるをえませんでした。またこれを討った熊谷直実も我が子に似た敦盛を討ったことだけが理由ではありませんが後に出家しました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%95%A6%E7%9B%9B 関ヶ原の前哨戦で鳥居彦左衛門は落城する予定の伏見城に入り敗死しました。親のポストを子が相続する封建体制は子孫の繁栄のために死ぬことはソロバンが合い、靖国神社で若者を騙して死なせるよりは合理性がありました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85%E5%85%83%E5%BF%A0 指導者自身の頭の上に原爆が落ちるかもしれないと言う日まで降伏を言い出す勇気が出ず、戦いを命じました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89
お礼
ご回答ありがとうございました。 平敦盛……平家物語に登場してくるのでしょうか??以前から関心を持ちつつも、とうとう読む機会を失ってしまいました。 関ヶ原の前哨戦で鳥居彦左衛門は落城する予定の伏見城に入り敗死しました。……「個」は「家」のためにあるという精神でしょうかね。?? 降伏を言い出す勇気が出ず、戦いを命じました。……一番大切な勇気を失ってしまっていたということですね。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
まず、「負ける」ということの定義をどうするかです。日露戦争は日本史では日本が勝利したように書かれていることが多いですが、あれは日本海海戦でロシア軍が戦意喪失したうえ、国内も騒乱期に入ったために講和に応じただけです。ですから賠償金支払いには一切応じなかったし、樺太も南半分しか割譲しませんでした。「納得いかなければモスクワまで攻め込んでみろ」というわけで、そんなことは日本軍に不可能なことは初めから分かっていたからです。 大東亜戦争でも、日本軍は本気で国力が数十倍の米軍に勝てるとは思っていなかったはずです。日露戦争同様初めに叩いて戦意喪失したところで講和に持ち込む腹だったはずです。まさか米軍が本気で怒って総力戦を挑んでくるとは思ってもみなかったはずで、「想定外」以外の何物でもなかったでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございました。 先の戦争のことについては、全く無知です。 「大東亜戦争でも、~~「想定外」以外の何物でもなかったでしょう。」……だとしたら、何であんな悲惨な戦争をギリギリまで継続してしまったのだろうか??、本当に講和の機会はなかったのだろうか??、と今更詮無いことですが、その犠牲の大きさに涙が出てきます。「昭和」という時代は一体何だったのだろうかと。誰が何をして、誰が何をしなかったのかと。
お礼
eroero4649さんの思いをぶつけていただきまして、感動しています。 何であんな悲惨な戦争をギリギリまで継続してしまったのだろうか??、本当に講和の機会はなかったのだろうか??……遅ればせながら、昨夜、とりあえず手元にある本を読み始めました。これからも私の質問を見かけたらよろしくお願いいたします。<(_ _)> 福島第一原発事故に限らず、起こったことには、必ず「幸運」と「不運」がつきものだと思います。それと、「起こった事実は一つしか無い。」のですが、それに対して、「これが真相だ。」とか「これが真実だ。」というものは、沢山出てきます。立場や考え方で、それこそ星の数ほどの「これが真実だ」というものが現れてくると思うのです。そして「良い、悪い」じゃなくて、「何を信じるのか」ということが大切になってくるように思います。ただ、その大前提にあるのが、「現実に起こった事実をねじ曲げない」ということだと思います。 原発の問題は、日本人のみならず、世界の人々に、「これからの人間の生活はどうあるべきなのか???」という大きな問題を投げかけています。そして、原発に限らず、今地球上で起こっている事件、事案の多くが、この問いを投げかけているのだと感じます。賢い人はそのことに気づいていますが、その賢い人が、愚かにもそのことに目を背けています。(T_T) しかし、これは1個人、個人の問題じゃなくて、人類の背負わされたどうにもならない「不可逆的宿命」のような気もしています。 未来を知らぬ我々は、少なくない人々が「もうあんな事故は起こらない」と思っています。しかし、そうである保証はどこにあるのでしょうか。……確かに保証はありません。そんなことはわかりきったことです。ただ、忘れてしまう、忘れてしまいたいというだけのことだと思います。それと、歴史から学ばないということだと思います。事実かどうかも確認していませんし、東北の人々を批難する気持ちはサラサラありませんが、東北地方は、過去にも津波で大きな被害を受けており、これよりも低い土地に住んでは駄目だという石標があるという話を聞いたことがあります。事実であれば、過去の歴史、先人の遺訓に学ばなかったということです。 それと、本当に、少なくない人々が「もうあんな事故は起こらない」と思っているでしょうか???むしろ「また、起こる」と思っているのではないでしょうか??? 日米開戦した1941年の時点で、将来日本本土が文字通りに焦土にされ原爆という怖ろしい兵器まで登場することになると想像した人がいたでしょうか?……いなかったと思います。 もし未来からやってきたと名乗る人が「今すぐ原発をやめてください。この後にまた大地震が起きて原発が事故を起こし、日本に人が住めなくなる」と訴えたら、どうしますか。……どうするでしょうかねぇ。本当に原発を止めるでしょうか??? 私はここで、福島第一原発事故が起きた直後から「福島第一原発事故は、ミッドウェー海戦の敗北である」と言い続けていました。ミッドウェー海戦も敗戦したときはまだ「日本優位の立場」は崩れていませんでした。後に南太平洋海戦でアメリカ軍は損害を受けて「稼働できる空母がゼロ」という大変に苦しい立場に追い込まれます。つまり、ミッドウェー海戦の敗北の時点ではまだ「これがターニングポイントになる」と気づいている人はほとんどいなかったと思います。 野球の試合だって「あのプレーがターニングポイントだった」なんて、後になってみれば、ってものじゃないですか。……その時点で、「ターニングポイント」を気づくほど人類は賢くないということではないでしょうか???「歴史から学んで、歴史を教訓と出来ない人類」には、ターニングポイントは見えません。私はその点では悲観的です。 いつも「そう思う」がマイナスになります・笑。……そういえば早々とマイナスになっていますね。ファンがいるというのはうらやましい。(*^_^*) 膨大な税金を投じて作ったのと建設途中の原子力発電所を全てもう終わりにしてやめようという決断を支持できますか。……止めても良いと思います。たかだか原発にかけた税金など知れています。まさに、「そんなことで!?」ということです。それよりも、原発を止めることによって出てくる影響というのが検証されていないし、国民にも提示されていないということのほうが問題だと考えています。さらに言えば、これは日本に限った問題ではないにも関わらず、統一した見解というものが出されないところに人類の限界を感じます。 私はこの考えに絶対の自信を持っているのに、なぜか世間の人々から理解されない。……(*^_^*)(*^_^*)理解している人、共感をする人もいるし、同じ数だけ理解を示さない人、反感する人もいると思います。だから人間は面白いし、人生を生きる価値があるというものだと感じます。 あっ、それからマイナスポイント消しておきます。(*^_^*) (T_T)(T_T)(T_T)(T_T)……「お礼」を投稿する前に、やったのですが、間違って、マイナスの方をクリックしてしまいました。<(_ _)><(_ _)><(_ _)><(_ _)>