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違う意見の人と話し合うことはできないのでしょうか
- 違う意見の人と話し合えない理由として、問題のすりかえや人格攻撃、具体的な説明の欠如、レッテル貼りなどがあります。
- 著書には研究者間での意見の対立や難しさが述べられており、話し合いや対談が難しいと感じることもあります。
- 一般人だけでなく、研究者の間でも違った意見が存在するため、対立は人間にとって必然的なものかもしれません。しかし、具体的な議論や理解を通じてコミュニケーションを図ることは可能です。
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1。「話し合い」とか「対談」のようなことは研究者間であっても難しいのかな、と感じました。 これは、「話し合い」で何をさすかによるでしょう。終わりに「同じ」意見になる、という意味なら、必ずしもそうはならないと思います。 2。人間は対立するものなのでしょうか。 両者が、「お互いにわかり合う」ということなら、あり得ると思います。相手の意見が自分とは違うということを理解するわけで、健康だと思います。 しかし相手の立場にせよ、自分の立場にせよ、「一つになる」とは限らないと思います。強い方の言い分に屈するより「対立する」方が望ましいと思います。
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- stray-dog1990
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こういうところだと、自分の思い込みを正論として、こちらの回答を否定から入る人には、追加で回答はしません。 私が困るわけではないので、話を聞く気がない人には話ません。時間のムダなので「生き恥を晒せばいい」と思って見捨てちゃいます。 リアルでも上記のような人は見捨てます。付合いきれません。 他には障害で自分のルール以外の社会秩序があることが分からない人もいます。 他人の全てを理解するのは難しいと思います。「この人はこういう考えやルールの人なんだな」それを理解して、そのルールに自分がどのくらい妥協できるかで、論争を減らせるのかな?と思います。 私は人間が出来てないので人格否定されたら、バッサリと関係切りますけど。
お礼
回答ありがとうございます。 ここ以外でも、ネットやテレビのニュース番組なんかでは、偏った思い込みを正論として、反対意見の否定ばかりしていますね。 そして「私たちはこんなに正しい」と自画自賛していたりして 聞いていてあまり気持ちのいいものではありません。 >話を聞く気がない人には話ません。時間のムダなので「生き恥を晒せばいい」と思って見捨てちゃいます。 これはありますね。 私もついこの間そういうことがありまして 何を言っても問題をすりかえらえ、具体的説明をさけ「アホバカ」呼ばわりをされまして これは何を言ってもだめ、時間の無駄だと思って切ってしまいました。 > 他には障害で自分のルール以外の社会秩序があることが分からない人もいます。 そうですね~ こういっちゃあなんですが、国語の能力に問題がある人なんかがいて どんなに丁寧に説明しても伝わらず、敵意をもっていわれのないことを言われたりすることなんかもありますね。 おそらく障害があるんだろうと思うんですが そういう方とどう接したらいいのかわからなくて悩みますね。 >「この人はこういう考えやルールの人なんだな」それを理解して、そのルールに自分がどのくらい妥協できるかで、論争を減らせるのかな?と思います。 なるほど、参考になりました。
- tanakanono
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答えが一つでないと考え方の違いで対立します。 答えが一つなのは数学や物理等の法則がわかっている場合。 具体的に反論できないときに負けたくないので問題のすり替え等でごまかそうとします。 研究者でも仮説を立てるときには正解がわかっていないので、考え方が違えば仮説が異なり、共同研究だと対立するでしょう。 簡単な例: 徹夜したから眠いので寝たい人と1日中何も食べていないから食事に行きたい2人が一緒に行動しないといけないとすると、いくら話し合っても対立します。 どちらかが譲るしかないです。
お礼
回答ありがとうございます。 >答えが一つでないと考え方の違いで対立します。 そうですね、でも低レベルなケースになると 答が一つなのに言い争ったりも・・・・ お互い絶対自分が正しいと思っているからこうなるんでしょうけど 当たり前のことですが、たいていどちらか一方が勘違いしていますね。 間違っているかもしれない、と考えられないのがいけないのかなあ。 > 具体的に反論できないときに負けたくないので問題のすり替え等でごまかそうとします。 これ、本当に嫌になってしまいますが、国会なんかでもやっていますね。 イエスノーで答えろと言っているのに、全然違うこと話し出したり。 まるで問題をすりかえることが、国会議員には必要であるかのようです。 負けてもいいというくらいの気持ちで議論すると相手の思うツボになってしまってダメなんでしょうか。 >研究者でも仮説を立てるときには正解がわかっていないので、考え方が違えば仮説が異なり、共同研究だと対立するでしょう。 初期の本には、『どんな疑問にも真摯に答える」とか書いておられる人が、 別の研究者の反論に答えませんでした。 別の研究者の初期の本には『〇〇となら有意義なディスカッションができそうだ』と書いてあるのですが、数年後には『〇〇はうそつき』と書くしまつです。 まあ、対立してもいいんですが ニュース番組などでは、対立するふたつの意見を報道するというケースが少なくて残念です。 右寄りの番組は右寄りコメンテーターばかりをよび、 左寄りの番組は左寄りコメンテーターばかりをよんでいます。 そして右寄り番組は左寄り番組の悪口をいい 左寄り番組は右寄り番組の悪口をいうのですが どちらも聞いていて感じのいいものではありませんね。
- zebura23
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私たちは自分が心底信じて疑わないことについては、 基本的に言い争ったり、強く主張したりはしないものです。 なぜならそれが真実であることは、自分にとって明確なことであり、 主張する必要すらないからです。 たとえば地球は平らであると強く主張し、それを押し付けようと して攻撃的な人に対して、 私たちは誰もこの人と議論して戦おうとは思いません。 そうしたバトルが存在するということは、 互いの間に自分の主張に対する深い確信がないという表れなのです。 つまり主張している本人自身が、自分の主張を実は信じていない ということです。 だから相手に対して対立や攻撃、否定が必要になるのです。 そうしなければ自分の説が覆されてしまうという危機感を 感じているからです。 「真実を知りたい」という真の探究心だけが、こうした 不毛のバトルを避けて一歩を進めることができます。
お礼
回答ありがとうございました。 >だから相手に対して対立や攻撃、否定が必要になるのです。 そうしなければ自分の説が覆されてしまうという危機感を 感じているからです。 そういう心理はあるかもしれませんね。 >不毛のバトル こういうのが、多いですね。 時間の無駄だと思ってさっさと退散してしまうこともありますね。
- NOMED
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いろいろな例がありますので、一概にこれだ!というのは難しいです ただ、ココのような場所は、互いに匿名で、年齢も職歴も学歴も性別もわからない中でやりあっています 書かれている著書?などは、相手が特定されていますので、話が変わりますし、二人だけのやりとりではなく、第三者(ココの場合も)が見ている聞いているのでしたら、姿勢も変わります 対談なら、相手に話しをしているようであっても、実は読み手・聞き手に発信しているのであって、そこにいる相手を納得させたり、理解し合うことはそもそも目的にありません >人間は対立するものなのでしょうか。 二人だけなら、相手にしないかもですし、まぁまぁまぁ・・・となるやもですが、書かれている例では、互いのことは関係なく、あくまでも第三者に向けた発信ですので、そこでは相手と意見が最後まで違う状況は、当たり前ことかと思います
お礼
回答ありがとうございました。 たしかに私たちは、相手と話をしているようにみえて 実は第三者に発信しているということがありそうです。 だから本に「〇〇にこんなことを言われた」みたいなことを書くのでしょう。 実際には二人で話をしたのでしょうが、それを第三者に発信していますね。 人間は対立するものだといえるかもしれませんね。
そもそも、サイトや著書で自分の意見や意思を表示できる人はそれだけ信念と行動力がある方が多いのではないでしょうか? 自分の主張にそれなりの自信があり自分の意見は正しい!自分の経験は貴重なものだ!などと思っていなければ早々できない行動だと思うのです 違う意見を受け入れ話し合う事はそういう自信や経験の中の落ち度や失敗点を 改めて見つめて理解するという必要性が出てきますが そういった信念や行動力を誇ってきた人にとってそれらを否定される事はひどく不愉快なことなのではないか、と まして、その立場の人と意見を出し合い述べ合うということは ある程度相手も同じように実績を積み落とし所を見失った自分の主張が第1だ!という考え方でしょうから お互いに譲歩しつつお互いの理論を受け入れて…と行動したり理解するよりも お前の意見は違う!自分の経験を否定するな! とドッチボール状態で意見をぶつけ合うことしか出来ないのかなぁと ですから、自分への自信や誇りをそこまで持っていない(表現が下手ですみません)一般人よりも むしろその実績と誇りでのし上がり今の地位を築いている研究者の方がそういった傾向は強いようにも思うのですがいかがでしょうか? 違う意見の人と話し合うことはもちろんできますが 対立しないようにお互いが気を付けよう、と思っていることが大前提です それこそ2.3歳の子供を相手にする母親のような心持ちでないと実現しないとは思いますが… 相手に取りやすいように優しく言葉のキャッチボールをすれば良いのでしょうが 多勢に無勢だったり相手が普段から自分より劣っていると感じる相手、 自分のことを否定しようとする相手だと 人間どうしても相手が嫌がるであろう玉を投げ自分を優位に立たせたい、相手の意見を叩き潰したいと思う生き物なのかも知れません
お礼
回答ありがとうございました。 たしかに、意思表示をする人は信念と行動力があるのでしょう。 上等じゃないか、ということですね。 > お互いに譲歩しつつお互いの理論を受け入れて…と行動したり理解するよりも お前の意見は違う!自分の経験を否定するな! とドッチボール状態で意見をぶつけ合うことしか出来ないのかなぁと なるほど、でもよく考えてみたら、 そのときはどちらが正しいとか結論がでなくても 10年20年100年たってみたら結論が出ているかもしれませんね。 それみろ、間違っていたじゃないかという人もいるかもしれませんが 間違いだったことを証明できるというのも、嫌みではなく、意味があることだったといえるかも。 > それこそ2.3歳の子供を相手にする母親のような心持ちでないと実現しないとは思いますが… お互い大人なので、腫物にさわるように接するよりも対立したほうがいいかもしれませんね。 >人間どうしても相手が嫌がるであろう玉を投げ自分を優位に立たせたい、相手の意見を叩き潰したいと思う生き物なのかも知れません あー、そういえば、そんなことを考えたことがあります~。
>いろいろなサイトなどを読むと 意見を述べる場合、おおまかに言えば、次の様な段階を踏むものと思います。 A)相手の意見で賛成できる点を述べる。 B)次の自分の意見を述べる。 C)相手の意見と自分の意見との違いを分析して述べる。 しかし、サイトでA)とB)を述べるためには、多くの文字を必要としますので、結局、B)の作業が中心となり、そのことが、相手を攻撃する形になるのではないでしょうか。 サイトの場合、或る程度これはやむを得ないことだと思っています。 皆様、わたしの意見、如何でしょうか。
お礼
回答ありがとうございました。 A)相手の意見で賛成できる点を述べる。 これ、大事だと思いますが、しない人が多いですね。 C)相手の意見と自分の意見との違いを分析して述べる。 分析というのも、なかなかしない人が多いかも。 恥ずかしながら、自分自身もできていないかもです。 >サイトの場合、或る程度これはやむを得ないことだと思っています。 そうですね、何か言われたり炎上しても、平然としていたほうがいいかと思いますね。
- bardfish
- ベストアンサー率28% (5029/17766)
人の話を聞かない人は自己の主張を一方的に押し付け、自分と意見が違うと攻撃的になるように感じます。 その人個人の資質であったり問題意識の捉え方の差だったりするのでしょう。 事実を事実として捉え、そこからなにを考察できるか。 某半島国家の日本へのヘイトも人の話に聞く耳を持たず、自分たちが希望する言葉を引き出すためなら一方的にそして攻撃的に執拗に繰り返し、論点を随時すり替えて問題点をコロコロ変える。それが事実ではなかったとしても事実かどうかなんて関係ないという姿勢で只々攻撃的な態度を貫く。 そんな方々と「話し合い」なんて出来ませんよね。 相手はこちらの話を聞かないんですから。 人間の本質なのかもしれませんが、自分の意見を誰かに否定されると頭にくる(怒る)という人は少なからず存在します。 そういう人は心が狭く物事に対して受け入れられる許容量がとても小さいのでしょう。 そういう人のことを「小さい人間」とか「小人(しょうじん)」と呼びます。 「小人(しょうじん)」というのは中国で古くから使われている言い回しの一つです。 浅ましく卑しい人という意味でも使われていると思います。今の中国でも使われているかどうかは知りません。少なくとも文化大革命前の中国ではそういう考え方は普通だったと思います。 文革はよくも悪くも古いものを徹底的に破壊してしまいましたからね…
お礼
回答ありがとうございました。 そうか、私たちは自己主張をするよりも、まず人の話を聞くことを学ばなければならないのですね。 > 某半島国家の日本へのヘイトも人の話に聞く耳を持たず、自分たちが希望する言葉を引き出すためなら一方的にそして攻撃的に執拗に繰り返し、論点を随時すり替えて問題点をコロコロ変える。 そうですね、ですがそれに対して日本人がヘイトでやり返すというのもどうかと思いますね。 いるでしょう、わざと「~ニダ。」みたいな書き込みをしたり 「どうせ〇〇人だから」のようにレッテル貼をする人が。 著名人でも中国の纏足を持ち出して中国人は残酷だといったり 韓国のトンスルを持ち出して恐ろしい民族といったりする人がいます。 そんな昔のこと持ち出してきて批判して、どうするんだ、と思いますよ。 そして、日本には奴隷はいなかったとか、嘘八百のことを言うんです。 >そういう人のことを「小さい人間」とか「小人(しょうじん)」と呼びます。 昔クラスメイトにも小人がいました。 ちょっとしたささいな一言が気に入らないと言って、1年間いじめまくっていました。 しかし、人間は自分が小人になっていることは気がつきにくいのかもしれません。 常々自分の心に問うてみることが必要かもしれませんね。 「自分は小人になっていないか」と。
- Dr_Hyper
- ベストアンサー率41% (2483/6032)
どのレベルでのことを,話し合いができている。と捉えるかによると思います。 例えば今の政権が到底話し合いができていないと,マスコミは報道しますが,そもそも選挙で勝ち続けていることを考えると,国民からは「同意」を得られている訳で,そう解釈すれば「納得」した結果を国会という話し合いの場所で成果として出している。と言えてしまいます。でも強行採決だしみんな悪口ばっかりいってるし。と言えば,彼ら,特に野党は反対するのが仕事で,前のすすませないことだけが役割になっているので,それでお金を貰っているのですからあなたの言う話し合いがそのことを指すのであれば話し合いは成立してはいけません。 それは良いことだ。という野党は野党じゃ無いとあの人たちは思っている見たいですから。 科学者に関しては,論文はある意味話の制度があります。 本を出版するのは正直一方的なところがありますが,論文はその分野の専門家からいろいろな質問や検討すべき事項を要求されます。論文の筆者はそれらを受け入れて,検討しできることは誠実に返答し,不可能であったり自分の説と異なるときはそれを説明します。そしてそれに対して納得できなければ再度専門家から指摘が来ます。そうゆうやりとりをして,国際的な論文は受理されますので,これらはある意味正当な話し合い(文面ですが)だと思います。 web上では匿名を良いことに好き勝手言いますから,話し合いでは無くて罵倒のしあいですよね。私はそうゆう掲示板は勘弁して欲しいなと思います。
お礼
回答ありがとうございました。 > 例えば今の政権が到底話し合いができていないと,マスコミは報道しますが,そもそも選挙で勝ち続けていることを考えると,国民からは「同意」を得られている訳で,そう解釈すれば「納得」した結果を国会という話し合いの場所で成果として出している。と言えてしまいます。でも強行採決だしみんな悪口ばっかりいってるし。と言えば,彼ら,特に野党は反対するのが仕事で,前のすすませないことだけが役割になっているので,それでお金を貰っているのですからあなたの言う話し合いがそのことを指すのであれば話し合いは成立してはいけません。 ものすごく説得力があります。 「野党は反対ばかりして」という人がいますが、確かにそれが彼らの仕事ですね。 ただ、安倍政権を倒すための反対、とかいうのはいただけないですね。 昔、民主党は自民党案に賛成していたこともあったと思います。 確か防衛とか自衛隊がらみのことだったと思いますが。(曖昧ですいません) それがいつのまにか自民党の言うことは何でも反対となってしまったという印象です。 >論文の筆者はそれらを受け入れて,検討しできることは誠実に返答し,不可能であったり自分の説と異なるときはそれを説明します。そしてそれに対して納得できなければ再度専門家から指摘が来ます。 よくわからないんですが、学会?の在り方はこうなっている、ということですね。 確かにこういうやりとりは正当な話し合いだといえそうですね。 学会とかに属していない研究者もいますね。 そういう研究者同士が、お互いの説を批判しあって決別してしまったというケースがあったと思います。 批判を受け入れて,検討しできることは誠実に返答し,不可能であったり自分の説と異なるときはそれを説明するということが 人間にはなかなか難しいということかもしれませんね。 学校教育で議論をとりいれたりすると、かわってくるでしょうか。
- tzd78886
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人間知り合いでもなければ会ったことも無い、顔も見えない相手だと普段以上に攻撃的になるそうです。ネットというのは基本匿名社会ですから、普段はそうでない人物が攻撃的になっても不思議ではありません。私はこれに懲りたので、「掲示板」というところに書き込むのは止めました。私の書き込みに賛同できない人たちが「集中砲火」を浴びせて来て、とても耐えられなかったからです。こちらは基本質問と、それに答えるだけですから本来ならそんなことはないはずですが、実際には似たようなことをする人が少なからずいるようです。
お礼
回答ありがとうございました。 おっしゃるとおり掲示板の中には攻撃的なものがありますね。 人間は顔が見えないと本性を出してしまうんでしょうか。 あっと、すると人間の本性は攻撃的なんでしょうかね? くだらない内容ほど炎上するという印象です。 学問・政治経済・労働問題などむつかしいことは、ある程度知識がないと書き込めませんが 不倫がどうしたこうしたとか、スカートの丈が何センチとかいうようなことは誰でも書き込めますもんね。
お礼
回答ありがとうございました。 >終わりに「同じ」意見になる、という意味なら、必ずしもそうはならないと思います。 おっしゃるとおりですね。 また同じになってしまっても問題がありそうです。 ただ、対立する2つのグループがあって、どうしても折り合いをつけなければならないという場合は できるだけ『同じ意見に近くする』ことができるともめずにすみますが 現実にはむつかしいかな。 >強い方の言い分に屈するより「対立する」方が望ましいと思います おお、なんかうまく言えないですが、目から鱗的な・・・ そうですね、対立するほうが望ましいですね。 ただ、問題のすりかえ、人格攻撃、 具体的な説明をしない、レッテル貼りなどはいただけませんね。 こういうのは民度に関係してくるかも。