• 締切済み

だらしない男

タバコは、本当に健康に良くないのではないかと思い、「やめた方が良い」と自覚しているのですが、これまでの人生の中で、喫煙と禁煙の繰り返しです。アルコールは、ほどほどであれば、「百薬の長」という諺に、甘えながら、やはり「飲み過ぎ」の部類に入るし、「もう、これきり」と反省はするのですが、また繰り返すというだらしない男です。健康であれば、まだしも死ぬまで治らない厄介な病気を3つほど抱えているにもかかわらずという60代後半の男です。 「どうすれば良いでしょうか???」なんていうのは、「人生相談カテ」だと思うのですが、この年齢になって「人生相談」なんて、「今更」という気もするし、もしかしたら、こんなにだらしないのは、私だけではないのではないかと思い、ふと、自分自身の慰めのためにも、これまでの、日本の歴史の中でも、タバコやアルコールに限りませんが、「血筋や功績などから、それなりの立場にありながらも、しかし、だらしなく、身を持ち崩し、それでも何とか人生をまっとうした」というような有名な人物はいないだろうかということが知りたくなってきました。 酒やタバコに限りませんし、沢山推薦していただきたいし、どれがベストアンサーということでもないような気がするので、ベストアンサーというのは選びません。無駄な努力になりますが、それでもよろしければ、ご推薦をお願いいたします。 歴史は全く詳しくないので、人物名に、時代と立場を教えていただければ、自分でも調べられると思いますが、若干の推薦理由を添えていただければ、なお有り難いです。

みんなの回答

回答No.4

(1)煙草関連で,(意外に?)長生きされた偉人達 ○ 吉田茂;言わずと知れた,日本の戦後復興に寄与した総理大臣..東大政治学科卒,外交官,政治家など..葉巻や煙草が好きで,詳しかったそうです..度々,高血圧などに見舞われるも,日本の政治家として頑張られ,医者にも,冗談を言っていたとか..晩年は,脳梗塞を患われたのか,療養されていたそうです..89歳で亡くなられ,国葬されました.. ○ マッカーサー元帥;言わずと知れた,GHQのボスで,軍人..吉田茂氏と同様,葉巻好きなどでしたが,89歳まで,生きられたようです.. (2)非常に酒好きな偉人 ○ 山内容堂(豊信);幕末期の,土佐藩前藩主で,あだ名は,『鯨海酔侯』..公武合体派の藩主などとして,土佐勤皇党を弾圧し,武市半平太(瑞山)氏等を,処断したが,酔うと,自身が,断罪した,部下の武市氏のことを思い出したり,勤皇家になったりする,ユニークなお殿様だったらしいです..明治維新後は,新政府にも,真面目に,出仕せず,東京の妓楼などで,酒や,女遊びなどに興じ,たくさんの芸妓を囲ったとか..しかし,やはり,脳卒中で,46歳で,亡くなられたそうです.. (3) 梅毒で亡くなったかもと思われる偉人 ○ 吉田稔磨;幕末期の,長州藩の下級武士で,吉田松陰氏の門下生..尊皇攘夷活動中に,京都の池田屋で,新撰組などに襲われ,斬られた..江戸遊学中の遊廓通いで,梅毒にかかっていたとも,言われている..坂本龍馬もか? ○ 高杉晋作;長州藩の上級武士で,同じく吉田松陰氏の門下生..奇兵隊を率いたとされ,藩内で,佐幕派に対するクーデターを敢行する..第二次長州征伐などでも,活躍するが,ろう害(結核)が悪化し,死去..

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。 さすがに、私も吉田茂やマッカーサー元帥をだらしない男とは呼べませんが、山内容堂は他の回答者様の推薦もありますので、「当確」という印象を持ちました。(*^_^*)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11204/34805)
回答No.3

#2です。 >昔の庶民はお殿様よりも幸せだったのではないか? 現代でいうなら皇族と同じですね。プライベートっていうのは皆無です。女とするときもお付きの人は次の間で控えていますからね。ただ、生まれたときからそういう環境だったので我々ほどストレスではないでしょうけどね。 江戸時代ってのはだいたい200年くらい続きましたが、実はお取り潰しをされている藩も二百藩くらいあるのです。つまり、ほぼ毎年どこかの藩が取り潰されているんですね。お取り潰しとなったら家臣を路頭に迷わせることになるので大変です。だからとにかく幕府に目をつけられたらヤバいと鼻毛を伸ばしっぱなしにしてアホに見えるようにしたという涙ぐましい努力をしたお殿様までいたほどです。 「西郷どん」で佐野史郎が演じることになる井伊直弼は、彦根藩主の十四男(!)として生まれました。普通藩主の息子っていうのは養子なんかに出されるのですが、さすがに多すぎて引き取り手がない。こういう兄弟は「藩主が死んだときのバックアップ」とされますが、まあさすがに14番目ってのは(養子に出た兄が沢山いても)出番があるはずがない。 こういうときは「部屋住み」という飼い殺しにされるのですが、彼は自分の住んでいた屋敷に「埋木舎(うもれぎのや)」と名付けました。自分は埋もれたままで終わると我が身を皮肉ったんですね。彼は偶然に偶然が重なって藩主となりましたが、そのまま埋もれて終わっていた人たちもまた大勢いたことでしょう。 また江戸中期の宝暦時代に幕府は薩摩藩を潰す戦争を仕掛けました。戦争といっても、薩摩に全く関係ない木曽川の治水工事を命じるというものです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E6%9A%A6%E6%B2%BB%E6%B0%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6 これはもう薩摩藩の財政にとってもやらされた人々にとっても文字通りの塗炭の苦しみが強いられたものなのですが、51名もの藩士が自害したといいますから並大抵ではありません。責任者を命じられた平田靱負は工事の終了を見届けた後、責任を取り自害したといいます。 藩主の島津重年は、治水工事を命じられたとき、若干二十歳の若者でしたが、この工事の(特にお金の面での)心労は並大抵ではなかったのでしょう。工事の終了を見届けると、まるで魂が抜けたかのようになんと27歳の若さでこの世を去っています。 他にもいろいろ面白い話がありますが、今日はこのへんで。

noname#238475
質問者

お礼

私のつまらない妄想に、さらにご説明をいただきまして、恐縮しています。本当にありがとうございます。 ただ、生まれたときからそういう環境だったので我々ほどストレスではないでしょうけどね。……「環境が人に与える影響」という観点から考えさせられました。今更考えてどうなるというものでもありませんが。(*^_^*) 現代でいうなら皇族と同じですね。プライベートっていうのは皆無です。……私には、全く分からない世界ですし、何とも言いようがありませんが、ただ私の拙い知識とだらしない男の気持ちではありますが、今の陛下と皇后様には、「本当に日本を支えていただいた」という気持ちがしますし、「平成」という時代の重い宿命を背負ってこられたのかなぁと。 「部屋住み……飼い殺し」……羨ましいですね。そんな時代、そんな立場で生まれてこなかったのが、だらしない男としては…… 他にもいろいろ面白い話がありますが、今日はこのへんで。 ……他にも、もっとお礼をしたいのですが、なにせ「だらしない男」なものですから、今日はこのへんで。

  • citytombi
  • ベストアンサー率19% (1721/8628)
回答No.2

でしたら、5代目の古今亭志ん生を挙げたいですね。 落語家です。孫には女優の池波志乃がいます。 さて何が自堕落というと、とにかく大の酒好き! 何と言っても寄席があるのに昼から飲んでます。 夜の寄席、トリに上がるころには当然ですが相当酔っぱらっていました。 大喜利ではとうとう顔をうっぷしたまま、いびきをかいて寝てしまいました。 客からは笑い声が出ますが、誰一人として志ん生を責める人はいません。 “まぁ、仕方がない、寝かせておいてやろう”・・・ お客も彼が大酒飲みということは知っているんです。そういう雰囲気の寄席でした。 落語家でありながら、そういう意味では落伍家でもあった彼は、83まで生きました。

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。 「5代目」を継いだのですから、表現が適切かどうか分かりませんが、「それなりの落語家」だったのでしょうね……というよりも、本人の存在そのものが「落語」だったのかも知れないなぁと想像してしまい、落語を聞いたわけでもないのに、一人、笑ってしまいました。CDか何かを残しているかも知れませんね。店に行って探してみます。(*^_^*)酔っ払って落語やっているようなCDがあれば最高ですね。 83まで生きました。 ……長寿のための「落語的な生き方」というのがあるのかも知れないなぁ……と考えてしまいました。私には、もう遅いのですが。 それにしても、酔いつぶれて、それが仕事になるというのは、「うらめしい」……じゃなかった、……「うらやましい」……のきわみですね。(*^_^*)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11204/34805)
回答No.1

日本史でとなりますと、幕末土佐の最後の藩主である山内容堂でしょうかね。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%86%85%E5%AE%B9%E5%A0%82 頭のいい人ではあったらしいのですが、なにせ酒好きというかもう完全に酒乱の人で「酔えば勤王、醒めれば佐幕」と揶揄されたほどです。 明治維新になってもお殿様気分は抜けず、かつての家臣や領民となんていうのかな、こう、同じ高さになるのがどうも我慢できなかったみたいで、「大名で倒産した奴ァいねえから、俺が第一号になってやる」と文字通りの酒色に溺れる毎日を過ごして、46歳で脳溢血で亡くなりました。 「40代じゃあ人生全うしてねえじゃねえか」とおっしゃるかもしれませんけれどもね、なにせ医療が発達してない時代は一度倒れたら終わりです。身を持ち崩して長生きできるほど甘くはないんですよ。質問者さんとて、現代医学の治療を受けなければとっくに天に召されていたと思います。 海外まで視野を広げれば、あの「ワルキューレの騎行」で知られるリヒャルト・ワーグナーがそんな感じですね。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC ワーグナーは69歳で亡くなっていますから、天寿全う組でいいでしょう。ただし晩年は音楽界からも追われ借金まみれだったみたいですけどね。しかし女は放蕩三昧だったのに死に水をとってくれた女がいたってのは十分幸せだったと思いますよ。 「それなりの立場だったけれど身を持ち崩した」というパターンだと、歴史に名前を残すような立場の人でしたらまず誰かに滅ぼされていますね。お殿様みたいな立場の人たちはそれはそれで大変だっていうことですね。まあ戦国大名なんて、暴力団の組長みたいなものですからね。

noname#238475
質問者

お礼

山内容堂ですか。おもしろいですね。司馬遼太郎が、わざわざ「酔って候」という作品を作るくらいですから、相当の人物なのですね。(*^_^*) 本屋にあるのかどうか知りませんが、行ってみます。 質問者さんとて、現代医学の治療を受けなければとっくに天に召されていたと思います。……そうですね。現代医学に感謝しないわけでもないのですが、どうも、「今の日本の医療の仕組み」……詳しいわけではないのですが……とか、「病院や医師のあり方」ということには、疑問が多いです。患者のくせに生意気なことを言いやがって……とせせら笑っている医師の姿が見えてくるのです。末期的な「妄想」ですかね??? 「ワルキューレの騎行」……ワーグナーだったのですか。誰が作ったのかということには、まったく関心がないのですが、記憶に間違いがなければ、何か気分が高揚してくるようなというか、……うまくは表現できませんが、……洋風の軍歌というのはこんなものではないかという響きを感じさせる、……私の好きな曲の一つです。 歴史に名前を残すような立場の人でしたらまず誰かに滅ぼされていますね。……私のような「隙間だらけのスカスカな人間」だったら、とてもつとまらなかったでしょうね。しがない庶民で良かったです。親に感謝です。もしかしたら、……昔の庶民はお殿様よりも幸せだったのではないか???と、つまらないことが思い浮かんでしまいましたが、なにせ武士の時代についての知識がありません。(T_T) ありがとうございました。

関連するQ&A