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歴史の通説が変わりつつある人物像や事件など

 歴史研究の進展によって、歴史上の人物や事件で、これまで映画やドラマで描かれ、私たちがイメージしているものと、その実像や評価が異なってきている人物や事件について教えて下さい。  1例を概要を含めて紹介していただいても構いませんし、「こんなのもあるよ、あんなのもあるよ」ということで、いくつかの例を列挙していただくだけの回答でも構いません。ネットでも調べられるものもあると思うので。  この類いの書籍は市販されているとは思いますが、市販本の中で「これは推薦できる」という書籍があれば、紹介していただけると参考になります。URLを紹介していただけるとなお有り難いです。  紹介していただくという趣旨ですので、ベストアンサーは選ばないで締め切ります。それでもよろしければご回答をお願いいたします。

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  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.3

武田信玄・源頼朝は歴史の教科書に載っていた肖像画が別人だったとされています。 石田三成、武田勝頼が江戸時代の観念で悪者・能無しと思われていたのが、実は比較的優秀だったのではと再検討されています。 桶狭間の織田信長、明治時代に迂回奇襲で油断した義元を討った軍事の秀才と思われていたのが、実は義元は丘の上に油断なくきちんと陣を構えていたのに信長が強襲で打ち破ったことが明らかになってきて、もっとわけわからん軍事の天才だとなってきました。 島津久光、兄斉彬に比べ西郷と仲の悪い頑固な田舎者と思われていましたが、冷静に業績を見ると斉彬路線をきちんと踏襲してやり抜いており、また斉彬派の家臣を西郷はじめきちんと登用しているわけで、斉彬と家督相続争いを繰り広げた割にはそもそも仲が悪かったかどうかから謎が多いです。 斉彬から久光に向けた政情を伝える書簡が多く出てます。まるで斉彬が自分の死期を悟り後継者を育てているかのように。

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。 源頼朝の肖像画が別人だったというのは何かで読んだかすかな記憶があります。確かに両人共に有名な肖像画ですよね。 石田三成、武田勝頼が江戸時代の観念で悪者・能無しと思われていたのが、実は比較的優秀だったのではと再検討されています。……江戸時代には、「能なし」として仕立てられたという側面はあるかも知れませんが、今の自分の立場や経歴を考えると、両人とも比較のしようが無いほど立派だと思います。 桶狭間~~もっとわけわからん軍事の天才だとなってきました。……これで信長を主人公にしたドラマは終わりですね。(*^_^*)(*^_^*) 島津久光、~~謎が多いです。……NHKの大河でもやっているようですね。観ていませんが、当人同士よりも、取り巻きや女性が絡む事件というのは多いのかも知れませんね。

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回答No.8

ここ最近で最も評価が好転した武将は 石田三成と武田勝頼ではないでしょうか? 三成は家康に無謀な戦いを仕掛けた反逆者 と言うイメージでしたが 三成の才覚は家康が最も評価しており 家康が最も恐れていた男であった事も 分かってきています だからこそ関ヶ原ではあれだけ徹底的に「三成包囲網」 を形成させたわけですね 武田勝頼は父信玄の死後 家臣の忠告を聞かずに暴走して 自滅した愚将 と言う評価でしたが 実際の勝頼は信玄よりも勇猛果敢 内政・軍略にも優れて居た と言う事が分かってきています 古参の家臣(馬場や山県など)が勝頼に反発して(ある意味信玄を凌ぐ才能に嫉妬して)言うことを聞かなかったのが武田家滅亡のきっかけになった と言うのが最近の評価です

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。 奇しくも、jkpawapuroさんも石田三成と武田勝頼の名前を挙げておられます。その意味では、現代にいたって、名誉回復ということですよね。しかし、それ以上に、「歴史に名を残し、今日に至っても、まだ忘れ去られない。」というのは、何なのでしょうかねぇ??? 私なんかは、家族からも忘れ去られてしまうのではないか???と。(*^_^*) 三成は家康に無謀な戦いを仕掛けた反逆者と言うイメージでしたが……そうなんですか???私には、そんなイメージはなかったですね。素人のドラマの見過ぎかも知れませんが、反逆者ということでは、むしろ家康のほうが。単にそろばんや槍の数だけでははかれないけどそれらも含めた「人の心」というのが勝敗を決したのではないかと??? 徹底的に「三成包囲網」を形成させたわけですね……勉強不足ですが、なにせ戦ですから、何が起こるか分からない、家康にも、のるかそるかのばくちという側面もあったのではないでしょうか???私が家康だったら、間違いなく小便漏らしていると思います。失礼<(_ _)> 武田勝頼については、全く知りませんので、何とも言いようがありませんが、ただ、勇猛果敢ということだけでは乗り切っていけない「時代の変化」ということに気づいていなかったのではないか???という気がしています。 古参の家臣(馬場や山県など)が勝頼に反発して(ある意味信玄を凌ぐ才能に嫉妬して)言うことを聞かなかったのが武田家滅亡のきっかけになったと言うのが最近の評価です……仮に、「信玄を凌ぐ才能に嫉妬して」としたら、そんなことで名門武田家を潰したわけだから、「どっちもどっち」っという印象ですね。ただ、潰すか、潰されるかという時代ですから、評価は難しいですよね。ちょっとした「運」、「不運」というのが、……。 ただ、ご推薦のように、両人とも「有能で立派な人物」というのは間違いないと思います。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.7

 #1です。補足です。 1。「歴史研究の変転によって」とします。……「変転」というのをどう理解すれば良いのか分かりませんので、あえて感想は述べません。  ころりコロリと変わることで、日本の中国観、米英観など二十世紀の前半と後半では大違いなのが、その例でしょう。近隣の日本観も盛んに変転していますね。 2。……世界史には、これまで全く興味を持ったことがないので、理解できません。差し支えなければ、2~3行で構いませんので解説していただけないでしょうか???  三行ですが、下記などをご覧ください。  https://matome.naver.jp/odai/2137722458985264201  http://rekisi.amjt.net/?p=1304  http://www7b.biglobe.ne.jp/~yappi/tanosii-sekaisi/04_america/04-04_indian.html  

noname#238475
質問者

お礼

再度、ありがとうございました。恐縮です。 SPS700さんのおっしゃるのは、「歴史研究の変転」というよりも、「世界を取り巻く状況の変化」とでも表現すべきものではないでしょうか???それは、当然の如く変化すると思います。 「近隣の日本観も盛んに変転していますね。」……というのは、中国と朝鮮半島のことでしょうか???そんなに変化していますか???専門家ではありませんが、私には、全く変化していないように思えるのですが。むしろ「少しは変わってくれよ」と言いたいくらいなのですが、どんなところが変わっているのでしょうか??? インディアンの虐殺については、「こんなことはあっただろうなぁ」と、私がこれまでの知識で想像できる範囲内のことなのですが、紹介されたURLは、私の見落としもあるかも知れませんが、米国政府の見解や米国の歴史学会の認識が変わったということでのご紹介なのでしょうか???

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34516)
回答No.6

日本史の学会って、長いこと権威主義だったんですよ。「偉い先生がそうだといったら、そうだ」ってなっていたらしいので、昔からいわれていた通説がそのまま引き継がれる傾向がありました。 それが大きく転換するきっかけになったのが遺跡捏造事件だというから皮肉です。捏造事件が発覚する以前から「ちょっと不自然なのでは?」という声もなくはなかったらしいのですが、学会全体として偉い先生に逆らっちゃいけないみたいなのがあって見過ごされていたのです。それで、捏造事件がきっかけでやっぱり学問は実証主義じゃないといけないと遅ればせながらようやく気づいたらしいのです。 前置きが長くなりましたが、そういうこともあって今、特に日本史が実証主義で大きく書き換えられようとしています。 「邪馬台国はどこにあった論争」は未だ決着がついていませんが、奈良県の纒向遺跡が現在有力視されています。纒向遺跡からはなんと全国の様式の土器が出土しているそうです。そこから、纒向遺跡は現在の国連のような国際都市で、各国代表の大使館が集まる場所ではなかったかといわれるようになってきました。もしそうだとすると、邪馬台国はひとつの統一国家ではなく、国家の集合体を表す、文字道理の「国際連合国」という意味ではなかったのかといわれるようになってきました。 これは有名な話ですが、今「教科書から聖徳太子が消えるかもしれない」といわれています。聖徳太子という人物は最初から存在せず、創造された人物ではないかということです。 じゃあ聖徳太子のモデルになった人はいないのかとなりますが、最近注目を集めているのが蘇我入鹿です。というのも、蘇我入鹿は乙巳の変(大化の改新)で暗殺された人物。彼を暗殺して天下を取った人たち(中大兄皇子と中臣鎌足)が正統派になったので、「蘇我入鹿が十六条の憲法を作りました」だと「じゃあなんでそんな素晴らしい人を暗殺しちゃったの?」となってしまうので、聖徳太子という人物を創作して蘇我入鹿の功績は全部聖徳太子がやったことにしちゃおう・・・となったかどうかはまだ結論が出ていませんが、最近はそういう流れですね。 歴史の教科書で「大化の改新」といっていたのは、最近は「改新というほどのことじゃないよね。大きな事件といえば、蘇我入鹿暗殺事件でしょ?」ということで、最近は「乙巳の変」と呼ばれるようになりましたね。 昔歴史の教科書に出ていた兜をかぶらずに馬上で太刀を背負う足利尊氏の絵は、あれは足利尊氏ではないことは確定したそうです。高師直なんですって。 で、その足利尊氏もあの絵の頃は野心に溢れた人物と思われていましたが、最近は「周囲に担がれて、なんか強気に出られなくて行き掛かり上こうなってしまいました。陰謀家で野心家だったのは後醍醐天皇のほうです」ってことになってきそうな流れです。確かに本物の足利尊氏と思われる人物の肖像画や木像はなんだか温厚そうな顔立ちの人です。 源頼朝は、権力者ではなく「御輿の上に担がれた象徴的存在」ではなかったかといわれています。当時の東国武士団には、血統的権威ってのがなかったのです。そこにちょうど東国武士団の誰もが納得する良血の御曹司が伊豆に流されてきたのでそれを手に入れて北条氏が利用した、という説があります。 だから頼朝は一度も鎌倉を出なかったと。鎌倉は南側を海、他の三方向を山に囲まれ、それぞれ出口は一か所ずつくらいしかなかったので「敵襲から守るための天然の要害だ」といわれていたのですが、むしろ話は逆で頼朝が逃げないように監禁していたんじゃないかって・笑。だから平氏が滅ぼされて鎌倉幕府が成立すると、頼朝は「馬から落ちて死んじゃった」とあまりにあっさりした書き方で死んでいます。本当は用済みになったから殺されたんじゃないかという説がありますね。二代目頼家は暗殺され、三代目実朝は同じ源氏の公暁に暗殺されたことになり(本当に公暁が暗殺したのか、かなり怪しい)、その公暁は暗殺した後に追手に追われて死んで源一族は「そして誰もいなくなった」になり、時代は北条氏の時代となります。うーん、きな臭い・笑。 私の大好きな戦国時代は話題がありすぎて割愛。書いたらキリがない・笑。 幕末の志士・・・まあよくよく考えたら、こいつらみんなテロリストだよねと・笑。 ペリー来航。突然来られて幕府は狼狽、市民はパニックになり、そこにペリーはつけこんで日本を開国させたといわれておりますが、実際はそこまでそういうことはありませんでした。何しろペリー来航の3年前から「どうもアメリカが日本に開国を求めて船団を送る準備をしているよ」とオランダ経由で情報は入っており、1年前にも「いよいよ動くみたいだよ」と情報を手に入れていたのですが、そういう情報を事前に得ても実際に何も起きていないと何も準備をしないっていうのはわが国の困った癖で。 江戸市民からして「噂のアメリカの船が遂に来たぜ」くらいのノリだったようで。連日野次馬が観光客のように船まで立てて押し寄せる様にペリーは「びびらせるつもりだったのに、思ったほどびびってくれない」と焦ったという話がありますね。 それでも慣れぬ国際交渉だったせいもあり、日本は特に強引に弱いですからペリーの強引なやり方に押し切られてしまったというのはあります。しかし日本側もこのままやられっぱなしじゃ悔しいので、精一杯の反撃をしてやろうと最後の席で「ところで、パナマ地峡の鉄道線はもう完成したのですか?」と尋ねたそうです。 極東アジアの野蛮な非文明国だと思っていた日本がなんでそんな情報を知っているんだと、アメリカ側はかなり動揺したようですよ。

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。 前置きが長くなりましたが、そういうこともあって今、特に日本史が実証主義で大きく書き換えられようとしています。……自分の国の歴史がより実証的に検証される方向にあるということはすばらしいことだし、学会がそれに気づいたということは、もっと素晴らしいことだと感じました。ふと、古い時代のことで読んだ記憶が蘇って、調べてみたら、旧石器時代の存在が明らかになった「岩宿」の発見もそうでなかったか???という気がしました。発見したのが行商の青年だったということで、なかなか認められなかったということではなかったかと。 しかし、こんなことって、「日本史の学会」に限らず、人間が集団を組むと必ず現れる現象のような気もします。「人間の性」なんでしょうかねぇ。程度の差はあっても。そこには、昨年流行になった「忖度」(*^_^*)も働くでしょうし。(*^_^*)最近テレビに出させられている「高級官僚」と呼ばれる人たちの姿を見ても、けしからんと思いつつも、可哀想だなと同情したくなる気持ちも湧いてきます。単に、国語、算数、理科、社会の成績が良かっただけで、人格不相応???あるいは人格相応かも知れませんが、人も羨む職場に就職して、立派な立場になってしまったばかりにと。(*^_^*)それよりも、なお開き直られない立場というのに、心にもなくついつい同情してしまいます。 奈良県の纒向遺跡が現在有力視されています。……これで決まりですかねぇ。まだ頑固な抵抗分子もいると思うのですが。(*^_^*)そういえば、志賀島の金印も捏造というか、埋められた臭いという話を読んだかすかな記憶があります。(*^_^*)邪馬台国の位置なんかどうでもいいし、そもそも邪馬台国なんて関心が無いのですが、なぜか、この「頑固な抵抗分子」の今後の行方のほうが心配です。こんな素人に心配させるということは、それだけ、「邪馬台国」というのは日本史のロマンだったのでしょうか???まぁ、いろいろですね。 「教科書から聖徳太子が消えるかもしれない」といわれています。……有名な話なのですか。知りませんでしたが、そういえば、先般、新聞か何かで、何かあったなぁ……と。関心がなかったので読みませんでした。詳しく説明していただきましてありがとうございます。 兜をかぶらずに馬上で太刀を背負う足利尊氏の絵……かすかな記憶があります。ただし記憶に間違いがなければ。絵全体が赤っぽく見えたような記憶が残っています。 高師直なんですって。……(T_T)(T_T)(T_T)まったく知りません。(*^_^*)<(_ _)>気が向いたら調べてみます。 周囲に担がれて、~~なんだか温厚そうな顔立ちの人です。……なんか、どちらも隣近所や町内会にもいそうなタイプの人物ですね。(*^_^*) 源頼朝は、~~時代は北条氏の時代となります。うーん、きな臭い・笑。……通説という以上に痛切なものを感じます。(*^_^*)わかりませんが、私がテレビやなんかでイメージする江戸時代の武士の姿とは違うんでしょうね??? 北条氏が利用した、という説があります。……ご回答にある一連の流れを考えると、これは「あり」のような気がしますね。「なんか」というか、「極めて」というか???不自然ですよね。当時は「監視カメラ」とかなかったと思いますし。……ふと、昔の情報の伝達手段とか、それに対してどんな判断をし、あるいは決断したのか、させられたのか???ということが気になり出しました。……クセなんですかねぇ。ついつい。(T_T)(*^_^*)仕事の上ではバカ、アホ、ボケだったんですけど。(*^_^*) ところで話は戻りますが、「元寇」っていうのは、策士北条家に対する、「天の与えた罰」ではないですかね。(*^_^*)まぁ、そんなものはないとは思いますが、けれど私は、何の知識も根拠もありませんが、北条時宗だけは、日本を救ってくれた人物として尊敬しています。実在しなかったかも知れない人物が1万円札の肖像画になったのですから、北条時宗を採用してもいいと、かねてから思っていたのですがいかがでしょうか???「天の上に……」というのは立派なことだとは思いますが、少しあきあきしました。気分一新を、まずは「お札」から。(*^_^*)(*^_^*) 私の大好きな戦国時代は話題がありすぎて割愛。書いたらキリがない・笑。……お断りします。全部紹介されたら、棺桶までパソコンを持ち込まなければならなくなります。(*^_^*)それに、ちょこっとだけ見せてもらえるところに、「ロマン」というか、「想像力を」というか、「なんと」いうか……。 幕末の志士・・・まあよくよく考えたら、こいつらみんなテロリストだよねと・笑。……「質問するほどではないなぁ」とは思いながらも、また個人的な印象なので間違っているかも知れませんが、幕末期には、けっこう剣豪というか、剣の使い手が活躍しているような思いを抱いていました。やはり、たかだか剣とは言いながら、「剣が武力の象徴であり、剣が強い」ということは、「力」なのかなぁ???……ということを漠然と考えていました。貴族とは異なる何かが……???あるいは、貴族と武士の違いを考える糸口が、この「剣」にあるのかと??? ふと、また感じました。私が少年の頃は、国語・算数・理科・社会の成績が悪くても、「足が速い」とか、「絵が得意」とかいろいろな「3丁目のスター」はいたし、それをみんなが尊重していた時代だったような気がします。こういうのが失われてきているというか、「個」を認めなくなったのが、今の日本ではないかと???つまらぬ愚痴を言ってしまいました。<(_ _)> 実際に何も起きていないと何も準備をしないっていうのはわが国の困った癖で。……(*^_^*)「泥縄」っていうのは、平和の国、日本の固有の遺産では(*^_^*)(*^_^*) ふと思ったのですが、「昭和の迷える時代」も、もしかしたら、日本伝統の「泥縄」の申し子だったのかも。うう~~ん、いや、それ以上に、「泥縄」っていうのは、「日本」を考えるキーワードになりそうな気がしてきました。 江戸市民からして~~焦ったという話がありますね。……そういえば、黒船をやっつけるためのアイデアが江戸市民から出されたというのを何かで読んだ記憶があります。「酒を飲ませて、その隙に……」というような。記憶違いかも知れませんが。(*^_^*) 精一杯の反撃をしてやろうと最後の席で「ところで、パナマ地峡の鉄道線はもう完成したのですか?」と尋ねたそうです。……いやいや、痛快ですね。こんな言葉はないと思いますが、「負けの引き際」というのでしょうか???相互の理解を超えた、むしろ「ユーモアのきわみ」という印象さえも受けます。それに、永遠の課題のひとつだと思うのですが、国だとか、民族だとか、家だとか、私だとか、いろいろあるけど「誇りとは何だ」というのを考えさせられますね。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.5

「歴史教科書は昔と今ではこう変わっている」ということを扱った書籍は何種類も出ています。 文庫本では「こんなに変わった歴史教科書」(山本博文著 新潮文庫2011年)があります。この元になった単行本は2008年に東京書籍から出版されていますが、歴史学者の手による一般向けの実証的な本です。 まずはこうした解説書が手掛かりになるかと考えます。

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。 「歴史教科書は昔と今ではこう変わっている」ということを扱った書籍は何種類も出ています。……私もときどき本屋で目にします。全部読む時間も無いし、面倒くさいのです。それで歴史通に推薦して欲しかったのです。 「こんなに変わった歴史教科書」(山本博文著 新潮文庫2011年)があります。……これも昨日、あぁ、こんなのもあるんだと、本屋で目にしました。本屋に行けば、本は沢山あるのですが、お勧めの本を推薦して欲しかったのです。「こんなに変わった歴史教科書」はお勧めですか??? もう一度、本屋に行って、少し立ち読みしてみます。(*^_^*)

回答No.4

源範頼と義経でしょうかね。 義経は小説・漫画、ドラマでよく題材になっていて戦の天才の英雄扱いですが、兄の範頼は凡庸な描かれ方になっています。 実は趣味でその時代の創作をしていて調べてみると、どうもその2人は生い立ちが似ているところが多く(義経も範頼の養父に接した節がある)、どちらかと言うと戦好きは範頼で、義経はそれほどではなくて、意外と政治能力があったのではないかと。 鎌倉の公式歴史書の吾妻鏡を含む後世の創作物では2人の功績がごちゃ混ぜになってしまっなのではないかと。 (ソース Wikipedia、それいけ!河内源氏物語などなど 色々読んだり観たりして忘れたし書ききれません) 義経の名を知らしめたという一ノ谷での逆落しは創作説が強まっています。 本人の開戦時の報告書(ちゃんと西の陣にいたよ)があり、逆落し実行犯?も判明しているようですからね。。。 実際は義経が有名になったのはその半年後の三日平氏の乱以降ですから。 事務処理が評価されての事だったようです。 それが起きたのも頼朝が近畿の武士の力を弱めるためにわざと彼らに恩賞を与えず乱を起こさせたようですが・・・ 頼朝との関係を悪化させた無断任官事件や腰越状も創作贋作ではないかという説も出てきています。 その後頼朝は義経に対して伊予守推挙していますし(でもごっしーが検非違使のまま併任させちゃった。頼朝としては検非違使辞めさせたかった模様)、吾妻鏡が編纂される前に描かれた平家物語では逆に歓待を受けたように描かれていますし。 少なくとも、1185年初夏あたりまでは頼朝との関係はさほど悪くはなかったように見受けられます。 一方、範頼は都の貴族達との関わり合いが少なかったせいか、記録がかなり少なく、後世の創作物では無能扱いにされてしまいました。 平氏追討戦では戦線が間延びしてしまい、飢饉などもあり物資の供給が上手く行かず苦戦してしまいましたが、基本的には戦上手です。 ・・・運というか、交渉が下手なだけで。 政治能力(交渉力)は義経よりも下かも知れません。が、事務能力は義経と同様まあまああったかと。 報告魔であったとのことですが、義仲戦では義経と同じく詳細な報告が無くて頼朝に怒られています。 義経はホウレンソウがなっていなかったから・・・と言われていますが、当時京都と鎌倉との連絡は片道7日とか。 その間に何かが起きて上手く連絡が成立しなかったと考えてもおかしくはありません。 当時にネットや電話などリアルタイムで連絡しあえるツールがあれば失言が無い限り失脚しなかったかと。 ・・・範頼はその失言で失脚しましたが。。。 他にも範頼・義経のイメージを覆すエピソードがありますが、長くなるので割愛させていただきます。 ・・・範頼の養父が面白い人です。

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。 ずいぶんお詳しいですね。歴史については、ほとんど素人ですので、義経に範頼という兄がいたことさえも知りませんでした。従って、ご回答の内容・意味をほとんど理解できませんでした。申し訳ありません。<(_ _)><(_ _)> 義経はそれほどではなくて、意外と政治能力があったのではないかと。……そうですか。「政治能力があった」という割には、個人的には、「義経というのは不器用な生き方をした」という印象がありますね。どうでしょうか??? 逆落し実行犯?も判明しているようですからね。。。……「逆落とし」はあったのですね。地形が分からないし、物語などで想像すると「ずいぶん無茶なことをしたなぁ」という印象しかありませんでした。人間よりも、馬が大変だったろうなという、素人の馬鹿な考えしか持っていませんでした。 少なくとも、1185年初夏あたりまでは頼朝との関係はさほど悪くはなかったように見受けられます。……幕府成立の頃???ですか。やはり義経って世渡りが下手だったんじゃないですかねぇ。???現代にもいるような気がしますが。 当時にネットや電話などリアルタイムで連絡しあえるツールがあれば失言が無い限り失脚しなかったかと。……しない奴、やらない奴、気づかない奴は、どんなに便利な道具があってもしない、やらない、気づかないという面もあるような気がします。便利であるかどうかよりも、取り巻く状況、置かれている立場を理解して、どう対応するのかという面では、気配りも含めた個人の能力の問題であって、「時代」は関係ないように感じました。<(_ _)> 他にも範頼・義経のイメージを覆すエピソードがありますが、長くなるので割愛させていただきます。……また、私の質問を見かけたら、質問には関係なくてもご紹介下さい。ありがとうございました。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.2

信長の性格などは随分イメージが変わってきていますね。比叡山焼き討ちなどでその残虐性が強調されていますが、これはその後政権を握った徳川家康によってかなり書き換えられた可能性もあるし、そもそも女人禁制であった寺院に女性がたくさんいたということから、事実上の「生臭坊主の巣窟」だった可能性も指摘されています。

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。 他の方のご回答にもありましたが、江戸時代に入ってから、幕府によって歴史が書き換えられたのですかねぇ。???歴史なんていうものは、「書き換えられる」のが当たり前という側面もあるかも知れませんが。 「評価は、人により、時代によりそれぞれですから書き換えられても仕方がない」と思うけど、「起こった事実はねじ曲げないで、しっかりと描写して欲しい。」という気がしますね。 その残虐性が強調されていますが、……信長と家康は信頼関係にあったのでは???面白いですねぇ。 事実上の「生臭坊主の巣窟」だった可能性も指摘されています。……(*^_^*)(*^_^*)坊主も「生き物」であり、「男」ですからねぇ。分かるような気もします。隠れ遊郭もあったかも。(*^_^*)何の根拠もないのに、ここまでいっちゃうと、それこそ宗教に対する冒涜、歴史の捏造になりますか???(*^_^*)ただ、私は、「人間であり、そして人間としての坊主に説教されたいという気がしています。過去や現在をながめていても、人間である、そして人間としての坊主に説教されたい」という気がしています。残念ですが、「坊主としての立場をわきまえろ。」というようなことはあるような。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.1

 僕は歴史はその時の政情に都合のいい作り話と思っておりますので、「歴史研究の進展によって」というよりは「歴史研究の変転によって」とします。  世界史で大きく変わりつつあるのは、スペイン、英国>アメリカ合衆国、などによるアメリカ先住民の大虐殺の歴史でしょう。

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。 「歴史研究の変転によって」とします。……「変転」というのをどう理解すれば良いのか分かりませんので、あえて感想は述べません。 ただ、私は、歴史を考えるというのは、「群盲象を撫ず」(……この諺は差別用語のように思えて使いたくないのですが)ということに陥りやすいのではないかという気がしています。 スペイン、英国>アメリカ合衆国、などによるアメリカ先住民の大虐殺の歴史でしょう。……世界史には、これまで全く興味を持ったことがないので、理解できません。差し支えなければ、2~3行で構いませんので解説していただけないでしょうか???

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