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記譜法などについて
音楽を専門的にやっている方にお尋ねします。 作曲家が、「こういうふうに演じてほしい」という思いを表すためにいろいろな記号を使いますね。 あれを事細かに書き込んでいくことについて、音楽の世界ではどう評価されているでしょうか。 具体的でよい、という声が主流でしょうか? 細かすぎて縛られて窮屈だ、という声がかなりあるでしょうか? 演じ手の裁量に任せて多様な表現を保障すべきだという声は少ないでしょうか? 当方は、音楽の門外漢です。 演劇や朗読・群読の記譜法の参考にしたくての質問でした。どうぞご回答をよろしくお願いします。
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記号の話とサブコメントの話をごっちゃに考えていませんか。 仮にスフォルツァンドと呼ぶわけにもいかないfffffみたいにフォルテが5つついた指示を書くならば、それは必要があって書くのです。記号は必要だから書くのであって、書かない方がいいとか書いたほうがいいなんていうことはありません。 sehr langsam,nicht shnellなどと横に書くのは、演奏時にできればこの注意をしてほしいと考えた、音楽自体の必然性とは無関係な「希望」です。 このコメントをいつも書く人とあまり書かない人が居ます。作曲者としてものがわかっている人ほど書きません。 ブルックナーなんていうのは、どう演奏されるかが非常に不安なのでぐだぐだコメントを書きました。で、演奏者はどうするかというと、そんなもんは無視して弾きます。楽譜自体に書いていないことなんか、従う理由がないからです。そうすると、また余計ごたごた書くようになり、ええい面倒だ、楽譜ごと編集しなおしてやれ、というのがノヴァーク版とかハ―ス版とか別人の再編集した楽譜になるわけです。こういうものを作らないとウザすぎるということです。 シナリオの話でいいますと、コンテを書いて、コンテの枠の外に細かくこちゃこちゃ書きますね。あれがサブコメントです。ただ、コンテ自体の絵がはっきり示されていないのにそんなコメントだけ書かれても、どうせいちゅうんだということになるのと同じです。 まず本体のコンテが、きっちりしたデッサン力のある人間がはっきりとイメージを伝え、その中で不確かなことをコメントにしなければ誰も従えないでしょう。 楽譜も同じです。音符がきっちり書かれていて、演奏記号が明確に示されていてはじめて演奏可能になるのです。そこをちゃんとやらないで「感情を大きく」なんて書かれたって何もできません。
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- pachipo
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書いてある記号等は、最低限の演奏表現。そこに、自分で感じた感覚で肉付けをし表現すればいいのではないでしょうか。1つの曲でも指揮者・演奏者・グループなどによってさまざまな演奏スタイルがあります。基本の上に応用表現があります。難しく考え過ぎない方が楽しいと私は思います。・・・ダメでしょうか?
お礼
おっしゃる通りです。 群読脚本に新しい記号までも使って事細かに注文を付ける作者がいて、私はうるさく感じたものですから、音楽の世界ではどうなのかなと思ったのです。 これくらいをうるさがっていてはいけませんね。
- seble
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音楽ジャンルにもよると思いますが、元々抽象的な表示ですから解釈は様々です。また、クラシックなら指揮者の解釈が優先されるでしょうから、そちらに従います。 事細かに、とありますが、そんなに細かく書かれる事はあまりないだろうと思います。 クラシックなら楽譜を忠実に演奏するのが主でしょうが、ジャズなら逆、フェイクするのが当然で、ラルゴの曲をビバーチェでやるなんてのも普通に行われます。ただ、ジャズでもフルバンドの場合は譜面通りが基本です。 アドリブの指示で、「海中を泳ぎながら瞑想するような」えっと、それって一体どんな?誰にも分かんないから。w いえ、言わんとするイメージが湧かない事もないですけど、そういうアドリブをしろって?えらく難しい注文な気が・・ また、クラシックでも指揮者の解釈次第で、同じラルゴやビバーチェでもテンポが違うし、また、曲中のテンポも微妙に変化させるもんです。 演劇などでも同様だろうと思いますが、思うところを正確に伝えられるのか? また、演者にそれを的確に表現できるだけの技能があるか? 書けばそれで済むという問題でも無いように思います。 そのために演出家なるものが存在するのかと。
お礼
なるほど、やはり楽譜の記号ごときはまだまだ少ない情報・指定なんですね。 音楽の指揮者と演劇の演出家。確かに類似性がありますね。ためになりました。ありがとうございました。
細かく書き込まれている楽譜は、とりあえずその通りに演奏します。 それから、指導者・演奏者によって、さらに自分たちで物語をつくっていき、書き込まれていた以上の記号を加えていく場合が多いと思います。 縛られて窮屈だというよりは、音楽的には作曲者の意図を掬い演奏し、より感動するようなものを作ることが目的なので、作曲者はそこまで沢山の音楽記号を指定はしていません。例えばforte(強く、大きく)にしてもpiano(弱く、小さく)にしても、楽団ごとにMaxの大きさや小ささは変わってきますから、表現を指定しても表現方法はひとつに限らないので、決して窮屈ではありません。 作曲者は場面ごとに必要に応じて最低限の記号を書いていますが、そこからどれだけ自分たちで記号を付け加えていき素敵な音楽にするかを考えなくてはならないとされていることが多いのではないでしょうか。 なので表現の指定については、場面展開ごとに最低限やってもらわないと困ることを書き、あとは演じ手の裁量に任せるのが適策だと思います。
お礼
そうですか。 たくさん書いてあるように見えても、実際の演奏では、もっとたくさんの選択や工夫を積み上げているものなのですね。勉強になりました。 ありがとうございました。
お礼
「記号の話とサブコメントの話をごっちゃに考えていま」した。 2種類あるのですね。その違いが分からない程の素人です。 記号は必須で厳守、サブコメは参考程度と理解しました。 ありがとうございました。