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江戸幕府崩壊直後の年貢.
旗本の多くは、明治元年1868(慶応4・明治元)年8月~ 10月頃までの間に、先の見込みがないまま家族共々駿河・遠江に移り住んだそうです。 関東一円には多くの旗本の知行地がありましたが、この年あるいは翌年の年貢はどうなったのですか。 例えば、旗本が居なくなったので、百姓は、年貢を納めずに済んだというような例もあるのですか。 どこの村でもよいのですが、何か具体例があれば教えてください。 よろしくお願いします。
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旗本の多くは、明治元年1868(慶応4・明治元)年8月~ 10月頃までの間に、先の見込みがないまま家族共々駿河・遠江に移り住んだそうです。 関東一円には多くの旗本の知行地がありましたが、この年あるいは翌年の年貢はどうなったのですか。 例えば、旗本が居なくなったので、百姓は、年貢を納めずに済んだというような例もあるのですか。 どこの村でもよいのですが、何か具体例があれば教えてください。 よろしくお願いします。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 廃藩置県は、明治4年7月でしたから、それまでは「今までの殿様(知事)」ということですね。 明治元年・二年の「年貢割付状」や「年貢皆済目録」のようなものがあれば、分かると思いますので調べてみます。