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《〈わたしはわたしである〉わたしがわたしする》
1. 《〈わたしはわたしである〉わたしがわたしする》――これが じんるいのさとりである。 2. ところが この命題(ひとの判断)は 《わたし》のその時・その場の自己表現であるに過ぎないという特徴=限界をもっている。 3. 言いかえると 《わたし》の一面のみを語っている。 4. わたしは 《わたしがわたしであるわたし》に逆らってものごとを考え さらにそのことを実行に移すこともある。《わたしがわたししていない》わたしも起きる。 5. それでも この命題は 活きる。《わたしに逆らうわたし》も内にふくむと見れば足りる。 6. 語ったのは――つまりこの命題は―― つねにわたしの一部であると言える。 7. これが じんるいのさとりである。 ☆ コメントをどうぞ。 8. 例証をひとつ挙げます。いぢめという事態は 相手を――それと同時に自分自身を――ほかから区別し その固定化と特別視とで差別をおこなうことに始まる。 9. ですから・つまり そのとき相手のを含めたそれぞれの《わたし》の一面を捉え その時その場の自分の命題としている。 10. つまり そういう《わたし》の一部分が起きている。と見ることが出来る。 11. かくて すべての事象は 《わたし》論なるひとつの命題におさまる。
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- kazamidori360
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補足
受け容れられません。 覚えのないウソを取り消すことはできません。 もうひとつの話は 何のことか分かりません。