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自分が気に入らないから排除・差別をして相手の好きな物事や自由を奪う。それが正当化されたら…
- 世界や社会での排除・差別が正当化されると、論争や戦争、罵り合いが当たり前になってしまう可能性があります。
- 一方、争いや差別によって場合によっては人や物事、社会が良くなることもあります。
- しかし、正当化された排除・差別は道徳的に問題があり、個人の自由や平等を侵害するものであると言えます。
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- numadu_yanki
- ベストアンサー率23% (3/13)
平均、生理的に無理な人間が2~3割いるとか生物学的な話で専門家がいっていました。 もし殺人しても法に触れない、遺族などに損害賠償なども発生しない。 こうなるとあっという間に人間は全ていなくなるとやっていました。 世の中のストレスのほぼ100%は、この合わない人間の存在によるもので 世の中で一番いなくなってほしいのが合わない人間ではあるのですが。 だから社会でも仕事でもずば抜けているのが人間関係のストレスなんです。
- izumi044
- ベストアンサー率36% (1333/3622)
こんな社会になったら、子どもは辛いですね。 親の私が気に入らないんだからと、排除される、差別される。 好きな物ごとや自由を奪われる。 反抗すれば、やり返される。 すると子どもは、親のいいなりになるしかない。 親と違うものを好きになることも、親と別の価値観を持つことを許されない。 本来、親と子どもは別の人格のはずなのにです。 自分が心から楽しむことを許されず、親の顔色をうかがいながら生きる世の中なんて。 不幸すぎます。
正常な世界は自分が気に入らないものを排除・差別をして相手の好きな物事や自由を奪うことによって作られています。 小さな女の子を誘拐して監禁する男。この男を気に入らない人が100万人、いや少女誘拐はいいんじゃないかという人が15人いたとします。相互に、自分が気に入らないものを排除しようとするでしょう。100万人対15人で、少女を誘拐監禁した男を社会から排除しようという意見が通るでしょう。彼はたったひとつの生きる喜びを奪われることになる。少女誘拐監禁犯人は、前科という差別を受けることになります。 ニワトリや秋刀魚やキャベツを殺害して料理して食べてしまおうという考え。これを気に入らない人が1万人、いや鶏や魚やキャベツは殺して食ってもいいんじゃないかという人が1億1千万人いたとします。これも多数が勝利して、動物や植物は友達だという人たちは、大事な親友の命を奪われることになるのでしょう。 正義とは単に、多数がそれを好んでいるという意味に過ぎません。正義は数学的に証明できない。だから正義は対立するのです。豚を食べてはいけない社会の正義、牛を食べてはいけない社会の正義、犬を食べてはいけない社会の正義、クジラを食べてはいけない社会の正義、みな相反していますが、その社会の中では多数がそれを善いとなんとなく思っているという、それだけのことです。 つまり、みんながひとりひとり、何を排除するべきか、何を差別するべきかを真剣に考えれば考えるほど、世の中は善が研ぎ澄まされ、安全で便利になります。善とはそれを学習して身に付ければ便利に暮らせる道具です。 社会を悪くするのは、排除や差別ではありません。社会を悪くするのは、一部の人が考える排除や差別を、他の大部分が無関心であったり無視したりする場合です。それっておかしくないか、とその場で大きな声を出さず、ネットの匿名掲示板で、これってどうなんでしょうとコソコソ質問するだけの人たちが、現実の善になにも貢献しない人たちです。
- cse_ri3
- ベストアンサー率25% (165/640)
逆に、現在の中国のように、一党独裁国家になって、党に反対する者は、容赦無く牢屋に打ち込まれる社会になるのではと思います。
- Osric
- ベストアンサー率17% (280/1580)
もしではなく、国単位であれば、そういう国はありますよ。ですから、日本も戦争はしないと言っていても自衛隊があるわけです。日本に軍備がなく、日米安保もなければ、あっという間に、沖縄、南西諸島、対馬、北海道北部は、他国領になると思います。平和でいるのも大変ですね。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
生物学で言う「すみわけ」を調べたらどうでしょうか。