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仏ヴィシー政権時のフィリップ・ペタンの評価

仏ヴィシー政権時のフィリップ・ペタンの評価について教えてください。ペタンは、コラボラシオン下において、待機主義であり消極的な対独協力をやむを得ず行っていたような評価があり、むしろ、後任のピエール・ラヴァルが積極的な対独協力者であり戦後に処刑されています。今も、ラヴァルが諸悪であるかのようにされているように思えますが、1940年10月にペタン政権下で、ナチスも予期していないユダヤ人迫害法を制定させています。今もこのペタンの悪徳について、仏内できちんとした反省がされていないように思うのですが、このあたりの所説に詳しい方、ぜひ現状についての評価の助言が頂きたいです。

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  • ithi
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回答No.1

AZ90 さん、こんばんは。 ヴェルダンの英雄と呼ばれた男である。ペタンには部下のドゴール将軍も尊敬していたんでしょう。ヴィシー政権下ではドイツに協力するのは最低限で非戦両地域は中立でした。ペタンはその地域では絶対的な人気を誇っていました。むしろその取り巻きラバァルのような人物がペタンの権威によって虎の威を借る狐のような政治を行っていたと思います。44年9月に政権が崩壊しました。その時に主席を辞任しました。45年4月フランスで逮捕され、終戦後、もう高齢のペタンは戦後裁判にかけられ、死刑を求刑されるけど、無期禁固になりました。1951年7月に死にます。死後、ペタンを擁護する会というのがフランス陸軍の将軍の提唱で作られました。極右論者の温床になりました。11月11日の第一次世界大戦戦勝記念日には彼の墓碑銘にリボンを大統領が送るという慣習がありましたが、彼の信奉者に引き裂かれ、ミッテラン以降はしないことなりました。 フランス陸軍のマジノ線信仰はとても強いもので、ドイツに敗れ、戦後アメリカ、イギリスに巣くってもらったのを隠し、それを彼の人気で救ってもらおうとしている。ドゴール政権の不完全さを象徴しています。 フィリップ・ペタン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%82%BF%E3%83%B3

AZ90
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。ペタンにやはり人気があり、後続の政権もペタンを政治利用するという流れの中で、ユダヤ人迫害法については、いまだ反省がされていないという考えがあり得そうに思えてきました。いろいろと理解を深めることができました。ありがとうございました。

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