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形而上学の自然哲学

現在の自然科学は、昔は「自然哲学」と呼ばれていて、形而上学の一部分だったらしいのですが、 どうして、いつからか、自然哲学は形而上学から離れて、自然科学と呼ばれるようになったのでしょうか? 哲学では無い理由があるのでしょうか? よろしくお願い致します。

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回答No.1

 はじめまして。  要は、現在の西洋哲学の源流とも言われる古代ギリシャに発します。  古代ギリシャでは、学問とは「この世の仕組みを解き明かすこと」これひとつしかなかったわけです。古代ギリシャではこの世はすべて「調和(ハルモニア)」によって成り立っていて、神が作りたもうたこの世界に不調和などあるはずがない、と考えられましたので、この世界に実際に存在する様々なものを観察してその「調和」のあり方を学ぶことこそが哲学であり学問そのものでした。  残念ながら、ソクラテス以前の哲学者たちというのはその著書が体系的に残っているものはありません。ですが、残っている断片から見る限り、自然物を観察してその仕組みをひたすら記述していることがわかります。たとえば「音階」なんていうものは波長の違う音同士の「調和」ですので、弦の長さが1:2である場合はどうとか、2:3である場合はどうとか、そんなことが書かれています。ですからこのころ、音楽というのは数学の1ジャンルでした。  数学にも非常に強い関心が寄せられたようです。ギリシャ人にとって「完璧な調和」を象徴するのが「円」であり「球」でした。どちらも、中心点から周辺への距離が1:1:1・・・となりますよね。古代ギリシャ人たちにとって「円形」または「球形」は「完璧な調和」のシンボルだったわけです。  ちょっと余談めきますが触れておきますと、人間というのは男女が背中合わせにくっついている球体の動物だった、とギリシャの言い伝えでは言われています。しかしあまりに驕ったため、神の怒りに触れてふたつに分割されてしまい、腕・脚・首を反対向けに付け替えられるとともにお腹の部分が縫い合わされた。だから人間のお腹というのは身体で一番大きな皺が寄る部分であり、球形だった(=完全だった)ころの思い出が残っているので男は女を、女は男を求めるとされています。  さて、話を戻りまして、プラトンの著書によるとソクラテスが、あるいはプラトン自身がと言ってもいいかもしれませんが、人間がどういう風にものを認識してどういう風に考えるのか、ということに対する思索を「学問」の中に繰り入れます。いわば人文科学の始まりです。  それでもシンプルな自然哲学は生きていたのでして、直径1である円の周囲の長さが物差しの目盛りをいくら細かくしても正確に測れないというのは「なぜ神はこんな数を用意したのか?」として学者たちの研究対象であり続けました。直径1である円の周囲の長さは何かの性質を持つはずだ、というところから円周率を巡る様々な数学理論が展開されたわけです。これは√2という数字なんかにも同じことが言えます。  万有引力の法則を発見したニュートンなんかも、その時代には「自然哲学者」という扱いがされいます。ガリレオ・ガリレイが地動説を唱えたら宗教家の方面から強硬な反対論が出たのも「神が作りたもうたこの世界が、宇宙の中心でないはずがない」という宗教的な意味を持ったからです。  要するに学問とはどんな学問を取っても「神が作りたもうたこの世界の仕組みを解明すること」というベクトルをみんな持っていたわけです。  しかし、研究が進むに従って、神が作りたもうたハルモニアにしては妙に中途半端な現象がいろんなジャンルで発見されます。特に自然科学の諸分野では、誰が見てもそうとしか見えない具体的な「もの」とか「数値」に現れますので、いちいち神様にお伺いを立てていては学問が進まないことになってしまったわけです。  ですので自然科学者たちはだんだんと神の存在を「カッコにくくる」ようになります。神様の考えはともかく、いま目の前で起こっている現象を虚心に観察しようじゃないか、ということです。こうして自然科学は次第に哲学から離れていきます。  そして、そういう客観的事実としての「科学」がいわば学問の典型の位置に座ることによって、人文科学や社会科学も「神様の意思」を問うことはなくなっていきます。現象に対する虚心な観察と分析が学問の絶対条件になっていくわけです。  神様の意思から離れたというとニーチェの「神は死んだ」が思い起こされるかも知れませんが、ニーチェが言ったからいきなり神がどうでもよくなったわけではなく、神様は何を考えてこういう風に世界を作ったのだろうか、と考えることがいろんな学問にとって「足枷」になりかけていたのでだんだん嫌われるようになったというところです。  自然科学において行われている「観察」は本当に信用できるものだろうか、ということを考える「科学哲学」なんていうジャンルもできました。  そういうわけで自然科学は神様の手の中から飛び出したわけですが、私はそろそろもう一回自然科学も人文科学も社会科学も神様の手の中に戻るべき時が来たのではないかと思ってます。学問的な見地から見て「正しい」ではなくさらにそれを超えた「善」を考えるべきではないかと思うのです。プラトン哲学的すぎる言い方かも知れませんが。  たとえば、極めて科学的見地から見て言えば、生産拠点は労働力が安く買える国に移し、それを比較的裕福な国である日本国内で売って利潤を上げ、上がった利益はタックスヘイブンに移して蓄えておくというのは経済的合理性に適っているのかも知れません。ですが、それで本当にいいのでしょうか?  素人目に見ても何かおかしい、そう感じる感性を「商道徳」と呼んだんだと思います。西洋的に言えばやっぱりプラトンの「善」に相当するとしか思えません。プラトンの善とは人間には絶対に届かない、しかし目指すべきものである究極の原理であって「神」と言い換えてもいいと思います。そういうものを考えてもいい段階に来ていないか、そう思います。

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補足

ご回答ありがとうございます。 こんな初心者の質問にすみません。 善に戻るというお話は凄く勉強になりました。 そしてタックスヘイブンの件なのですが、 例えば、安く生産して高く売った利益を、きちんと再分配する事が出来れば、 それも善なのかなーと思ったのですが、 いかがでしょうか?

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  • koosaka
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回答No.6

自然は、古代ギリシャでは、ピュシス(フィジス)と言われ、中世のラテン語では、ナトゥーラと言われましたが、同じ自然でも、古代ギリシャの植民都市イオニア自然哲学でいう自然とは万物の根源という意味、それに対して同じギリシャのアテネのソクラテスやプラトンにとっては、ものの「本性」という意味、たとえば人間の自然といえば、人間の本性のこと。 そしてローマ帝国で、自然といえば、自然法のことで、実定法に対比される言葉、そして最初に出来た法典、ユスティアヌス法典・ローマ法大全はその自然法によって初めて作られた法典だといわれる。 中世で自然と言われると、それは自然法則=自然法で、神がこの世界を秩序あるものとして創造されたといわれ、自然も人間も共に神が創造された非・造物と言われる。 このように同じ自然と言っても、この世界にあってその位置づけはそれぞれ異なる。 古代ギリシャには「物活論」と言って、鉱物も、植物も、そして生物も、人間も等しく生命と考えられていました。 今は、鉱物は生命とは思われていませんが。 そしてアリストテレスの「自然学」でいう自然は、この世に存在するもののすべてを意味します。 ですからアリストテレスは運動する物体は、故郷が懐かしくて、大地に帰る、という言い方をしています。 物体が故郷を懐かしむ、と。 まるで物体は人間みたい! 今の私たちは自然科学と人文科学を分けていますが、そういう区別は古代にはありません。 物体も生物も、等しく生命という「物活論」は中世をとおして人々に抱かれている自然観でした。 ところが17世紀にいたり、「科学革命」が起こり、この古代から中世まで続いた有機体論的な世界観が、デカルトが精神と物質を二元的に分けたことにより、「パラダイム」が大きく変わります。 もはや自然は本性とか、根源という意味はなくなり、物理的自然の概念に取って代わります。 でも、まだ自然の意味が変わったとしても、ガリレオが数学的自然科学を創始するにあたり「贋金鑑識官」でいうように、「この神の作った自然は数学の言語で書かれている」と言ったように、それは神を讃えるためでした。 それはニュートンにも言えて彼は「自然哲学の数学的原理」を著わし、神がこの世界を秩序あるものとして作ったと信じていて、「万有引力の法則」は神の存在する証拠だといいました。 そして晩年のニュートンは錬金術に熱中しました。 このようにして17世紀を境に、デカルト以来、機械論的世界観が蔓延し、自然や人間をあたかも機械であるかのように考える風潮がずっと継続し、そしてそれは今でも続いています。 20世紀になると二度の世界大戦と人間による人間の虐殺、環境破壊、自然破壊、大気汚染、そして原爆の発明と投下が続きましたが、これは自然や人間を機械と見做す機械論的世界観の生み出したものでした。 物理的自然の概念がいつ登場したか、それは明確には言えないと思いますが、少なくとも、17世紀以降、啓蒙主義以降だと思っております。 啓蒙主義は理性をもって、この世界を合理的・機械的に考えることを促進し、それによって自然を人間による支配の対象として行きました。 主体と客体が二元的に分離され(これはデカルトの二元論に基づくものでしたが)、主体である人間が、客体である自然を支配し、改造し、そして破壊する、というものでした。 これを東洋に目を転じてみると、老子の「道徳経」に言う「無為自然」とは行為を形容するもので、西洋のように名詞ではなく、副詞でした。 つまり、「おのずから」という意味です。 おのずから生成するものが自然である、と。 また、親鸞のいう「自然(じねん)法爾」とは、人為によらず、おのずから法、すなわち世界が出来上がるという意味です。 自立でなく、他立。 このように東洋の中国にしろ、日本にしろ、自然とは「おのずから」という意味で、副詞的用法で、自然は名詞ではありませんでした。 つまり自然とは行為を形容するもので、何らかの対象という意味はありませんでした。 それに対して、西欧文法は主語・述語からなっており、主語が主体・支配するもの、述語が客体・支配されるもの、と見做されることが避けられませんでした。 日本語が述語中心で、主語が不要なのとは大いに異なります。 主語がないということは、自我・主体がないということです。 人間と自然が不可分離に結びついていて、分離できない。 人間=自然。 このような風土では、物理的自然の概念は生まれようもありません。

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  • Nakay702
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回答No.5

>どうして、いつからか、自然哲学は形而上学から離れて、自然科学と呼ばれるようになったのでしょうか? ⇒「自然哲学から自然科学への移行」の一点に絞り、なおかつ、それが最も特徴的に現われた時期に絞り込んで、なるべく簡潔に答えるとすれば、例えば、次のようになります。 いわゆる自然科学分野の専門化が始まったのはフランスの啓蒙主義からでした。それまでは学問の中核に神学・哲学があって、要の役を果たしていたと見られますが、「神の死」によってその機能が消え、かつてその存在から派生していた学問的統合の原理も消滅しました。つまり哲学は、極大と極小を繋ぎ合わせる「ウロボロスの蛇」のような特性をもって、学問を一つの有機的な統一体に束ねていたわけですが、近代以降その統合的機能が失われ、特に自然科学の領域が独立に発展していった結果、専門化した科学が分立しました。「神学的・哲学的」なものを削り落す作業と並行するような形で、我々が今日「科学」と呼ぶものが成立してきた、といえるでしょう。こうして世界は、いわゆる「啓蒙主義化」を経験しますが、啓蒙主義のスローガンの1つは「反信仰」であり、永年ヨーロッパ社会のあらゆる局面を支配してきたキリスト教からヨーロッパを解放することがその主目的だったようです。この知的営為の革命的変革の過程で、神学的な前提を剥ぎ取る作業が熱心に行われたのは18世紀のことでした。 この作業の結果、学問を1つの有機的な統一体に束ねていた神学・哲学の働きが失われ、個々の領域が独立していった結果が、専門化した「自然科学」の成立でした。それまで「有機的な統一体に束ねていた」といっても、神学にはいまだ魔術や奇跡等の概念を含む匂いがあったので、それを払拭し、学問を「科学」として確立した啓蒙主義者の所業はそれなりに有意義でした(この科学の「科」は「区分」という意味)。ごく大雑把ですが、自然哲学が形而上学から離れて、自然科学(形而下学)と呼ばれるようになったのは、以上のような経緯によります。(村上陽一朗『科学・技術と社会』、オルテガ『大衆の反逆』などを参照)。 以下は補足的追加です。 しかし、18世紀後半に入る頃から「科学に携わる人たちの側に」細分化・専門化が求められるようになると、のっぴきならぬ問題が生じてきます。科学を進歩させるために、「科学者自身の専門化」が必要とされたのです。科学に関わる労働が、不可避的に専門化しなければならなくなったのです。これは一面「悲劇」でもありました。科学者が、ますます狭くなる知的活動分野の中に次第に身を閉じ込めていったからです。 自然哲学の後身が自然科学となって形而上学の分野から外れたのは上に見たような経緯でしたが、こうして分立した科学は、次第に、他の科学分野や宇宙の総合的解釈との接触を失っていきました。「自然科学が哲学的視点を失った」ための悲劇でした。ところが、世界・宇宙の「総合的解釈」こそ、真の科学、文化、文明の名に値するものである、ともいえるでしょう。科学の仕事は、何らかの意味で社会的分業にならざるを得ないでしょうけれども、それを通じて、「全体との関係」を意識することが必要とされるはずです。 それは、知を総合することであり、それが文化・文明を担うことにつながるからです。そして、それは(僭越ながら)「先端技術を持つ現代人の当為」であり、「倫理的要請」でもあります。なのに、現代の哲学界には、こういうことに関する意識や使命感は必ずしも十分とは言い難いように思います。今日では、「科学哲学」なるジャンルが、「細々と」その問題に取り組んでいるようではありますが。

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回答No.4

 補足ありがとうございます。 >例えば、安く生産して高く売った利益を、きちんと再分配する事が出来れば、 >それも善なのかなーと思ったのですが、  はい、そのとおりです。ですが、ひとことにそう言ってもいろんな問題があります。  まず、どれぐらいの利益を上げた人からはその利益を回収し、どれくらい以下の収入しかない人にどうやって再配分するか。  再配分の仕方はどうするか。現金でいいのか。あるいは労働環境の整備に充てて一般人でも働いて、ある程度の(商品が買える程度の)収入を得やすくするのがいいのか。  これは、絶対の答えがある問題ではなく、経済環境によって時々刻々と変化する問題です。人間には「絶対に正しい答え」はわからない、つまり絶対の善を知るのは神様だけ、ということになります。  人間というのは、たとえて言えば闇夜に地図を持たずに東京でスカイツリーまで歩いていくことを試みている集団のようなものです。スカイツリーは、高いので遠くに見えます。ですので、なんとなくあっちに向かう方に動けばいいんだな、というのは誰にでもわかる。でも、具体的な道は知らないという状態です。  そういう集団が、分かれ道に来たときに右と左どっちに行くべきか意見が分かれるわけですが、そこでみんなの意見を聞いて多数の意見を採るのが民主主義というものです。スカイツリーはとにかくあそこにあるのだから、正確に知らなくてもなんとなくスカイツリーの場所はわかってる人たちが「たぶんこっちだろう」という方向がとりあえず正しいだろう、と仮定するわけですね。違うのは、スカイツリーにはいつかたどり着けるでしょうが絶対善とか神とかいうものには永遠にたどり着けないということでしょうか。  絶対善というものを目指すという心の働きは誰にでもあるので、みんなの意見を聞いてより多い方がより絶対善に近いだろうという判断をする行為、それが選挙です。  言い換えればすべての人に対して絶体的権力を誇る王様のたぐいを排除して神様という手の届かないところにしまってしまい、あとは「より多くの人間が考えることが神様の考えに近いであろう」という仮定で社会を運営するのが民主主義だということもできます。  ちなみに外に追いやった神様をもう一回人間の社会に繰り入れたのが民主集中制、いわゆる共産主義ですが、これに関しては「失敗した実験」と判断していいと思います。  神様にお伺いを立てるというのは特に西洋の文化においていろんな形で行われており、たとえば罪を犯したことが疑われる人間が両手を熱湯につけてやけどしなければ無罪、なんていう裁判がありました。これは根底にあるのは「正しければ神の加護を受けてやけどはしないだろう」という発想です。  高いところから飛び降りさせて怪我をしなかったら、という裁判もありました。実はこれ、裁判という意味ではありませんが形を変えていまでも残っています。スキーのジャンプ競技。あれはこの裁判が形を変えてスポーツになったものだそうです。  いずれにせよ、私はそろそろ科学的なもの(人文科学・社会科学を含む)の先にある「善」について思いを馳せる時代が来たと思っています。たとえて言うのならば「科学的にこうだから正しい」というのは「偏差値が高い大学を出たから幸せ」みたいな言い回しだと思っています。科学ではこうだと判断した、だったらそれをどうやってその先にある「善」と結びつけるのか、そう考えて科学の研究結果を使うべき時が来たと思うんです。  たとえば、生まれてくる子供が遺伝的な病気にかかっているかどうかはいまの科学なら妊娠の早い段階でおおよそわかります。「科学的に正しくない遺伝子を持つ胎児だから中絶した方がいい」という科学的な言い回しは「善」という価値観を持ち込んだときに同じことが言えるのか?  科学は長い間「神様」を「とりあえず措いておいた」だけであって乗り越えたのではありません。いろんな科学の結果が出揃ったいま、改めて神様のことを考えてもいいと思います。

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  • hekiyu
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回答No.3

簡単にいえば、哲学の目的は真実の発見にあります。 しかし、真実発見なら、科学の方がはるかに優れて います。 時代が進むにつれ、科学の実績が積み重なり、 人々は科学の優秀さを認識するに到り、 哲学の多くの部分は、科学に侵略されたのです。 どうして、いつからか、自然哲学は形而上学から離れて、 自然科学と呼ばれるようになったのでしょうか?    ↑ 1,どうして  哲学の目的が真実発見で、科学の目的も真実発見  だからです。  哲学は科学に敗れたのです。   2,いつから  産業革命が始まり、科学が産業化され、更に制度化され  るようになってからです。  火薬、印刷、羅針盤、紙など、個々の発明は中国でも  ありましたが、中国はそれを産業化、制度化できません  でした。 哲学では無い理由があるのでしょうか?   ↑ 哲学の対象は、神と人間と自然でした。 自然が科学にとって代わられ、現代は人間もとって代わられ つつあります。 神などは、とうの昔に死にました。 哲学は、いまだ科学では解明されていない分野で 細々と生きながらえているだけです。

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回答No.2

形而上学の一部であったのではありません。 哲学は 昔の第一哲学=中身は形而上学=観念論哲学 昔の第二哲学=別名は自然学=現在の自然科学 という分類で理解された方が良いと思います。 >哲学では無い理由があるのでしょうか? 理由は有りません。 実際、アインシュタインやボーアなどの自然科学者は哲学書を読むひとたちだったそうですし、またポパーやクワインなど現代哲学者も自然科学を哲学する人が大勢います。

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