- ベストアンサー
【日本史】「勧進帳とは武略なり」ってどういうことで
【日本史】「勧進帳とは武略なり」ってどういうことですか? かんじんちょうは民から寄付を募る理由書だそうですが。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
勧進帳とは歌舞伎十八番の演目で、江地時代から現代にいたるまで 歌舞伎座で好評を博しているものです。 これは、史実を元にしているため誰でも知っている事件を歌舞伎に 取り入れたものとしては、仮名手本忠臣蔵と双璧を為す演目です。 主人公は源義経、武蔵坊弁慶、富樫左衛門の三人です。 義経が兄頼朝に追われ、奥州平泉に逃げ落ちるため安宅関を通り抜 ける算段として山伏に化けたが、関所の富樫左衛門にバレそうになり 弁慶が何も書いていない勧進帳を開き、東大寺への寄進をするため と一芝居を打ったが、それでも納得のいかない富樫は弁慶に対して 「本当にその者は従者なのか」と言ったところ弁慶は義経を杖で 打ち据えた。その迫力に富樫は根負けし関所を通した。ということ です。これが「勧進帳は武略なり」の言葉となったのですね。
その他の回答 (1)
- oteramairisuki
- ベストアンサー率34% (511/1475)
そういう言葉がどこで出てきたのかは存じませんが、歌舞伎十八番の「勧進帳」の事を言ってるのではないでしょうか。 どういう話か簡単に説明すると、平家を滅亡に追いやった立役者九郎判官義経のことを兄である頼朝は鬱陶しく思いはじめ、義経を討つことを決めます。 義経は東北平泉の藤原氏(中尊寺のミイラでお馴染み)を頼り、みちのくを目指します。もちろん弁慶など数名も義経を守るために同行します。彼らは山伏の姿に化け、北陸から東北を目指しますが、現在の石川県に有る「安宅の関」で頼朝の息の掛かった守護富樫に詮議を受けます。 弁慶は「東大寺再建のために勧進(質問者さんが書かれていることです)を行う」と、何も書いていない巻物をさもそのように読み上げます。富樫は彼らに安宅の関を通ることを許しますが、富樫の部下の1人が山伏の中のひとりが義経であることを見破ります。 弁慶が主人である義経に対し「おまえがあまりにも義経に似ているから、あちらこちらでこうして詮議を受けるのだ」と叱責し、山伏の持つ杖(金剛杖)で激しく義経を打ち付けます。もちろん主人を金剛杖で打ち付けるなどとありえないことだと騙すためにです。 富樫はおそらくその前から義経だと気づいてはいたでしょうが、頼朝のやり方にも不満があったのか、平家を滅ぼした大将義経のことを尊敬していたのか、弁慶の迫真の演技に感動したのか、安宅の関を通してやるというお話です。 能では「安宅」その能を歌舞伎に変えたのが「勧進帳」という演目です。どこまでが史実かはわかりませんが。 「敵を欺くためには主人にも暴力をはたらく」ということだと思います。
お礼
みなさん回答ありがとうございます これが武略?!