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子供の声が嫌い?喜びを否定する精神とは
- 子供の声が嫌いな人々について考察し、喜びを否定する精神について解説します。
- 保育園の新設に関する苦情対策をめぐる社会問題について説明します。
- 子供の声に対する福祉への配慮と、苦情を感じる気質の人々について考えます。
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わたしは哲学についても無知ですが 派生語や語源は好きなんです。 14~15歳くらいは 少女特有の色気がありますね。 映画で見る妖精は寂しい人のまえに 急に現れて夢中にさせておいて 姿を消すでしょう。もっと落胆するんです。 試したり、ひとの気持ちをもてあそぶことは 罪です。 >かんたんに謝る習慣にはもちろんさからった方がいい。 悪いと思ったら謝ります。 >喧嘩に発展したほうがよっぽど楽しい。 中国のことも話すのは好きです。 楽しい話は好きです。 本気で考えていることほど ひとを選んで話します。 言葉の安売りは資本制度のサービスです。 喧嘩はできません。 やり方が分からないかも。 どんなに腹が立っても罵ることはないんです。 言葉が思いつかない。 でも急に帰っちゃう。 ひとの本性は怒ったときに 現れると思います。 褒めることは誰でもできます、 怒ったときにどんな言葉を使うかです。 きちがい、白痴なんて言葉を使う人には 一生近づきません。 他人をどう評価するかで 本音が見えると思います。 >理解しあえたか定かでないまま、 話がそこで途切れるからだ もう理解し合ってるでしょう? 言葉の意味は端々に現れます。 Assiduus usus uni rei deditus et ingenium et artem saepe vincit.
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共同体です。 医師でも教師でも 同じ収入で同じような 住居を与えられ ある意味、平等なんです。 わたしが中国にいたときは本当に そんな感じでした。 誰かに認められる、能力の評価が 何か分かりません。 外部からの刺激か概念? 学校の先生が大学の卒業生だったんです。 頭良さそうなのに仕事を選べなかったのかな。 国語の先生がドイツ語学科出身だったり。 先生がどう思っていたか分からないのですが。 一人っ子政策の真っ最中だったので みんな子どもを見ると喜ぶんです。 夏になるとタクシーの運転手と 一緒にスイカ食べたり。 子どもの声はたしかにイラッとくることも ありますが、わたしも子どもの頃そうだったんです。 でも怒鳴られたり怒られたりしなかったから。 ですが、日本人が 外国人だったことはないので 別の理解だと思います。 >苦情を感じて憎らしくて 仕方ない人たちがいるみたいだね。 学校に行って読み書きができるから 本や映画、いろいろ楽しむことができるんです。 嫌なことがあっても楽しいことが あるたびに交換して プラマイゼロにしてます。
お礼
その分だとSUVIさんの子供時代は生命力旺盛だったんだね。 私は「死」と因縁のあるほっといたらどうなるかわからない子供だったよ。 友達と言ったら、厄介ごとを好んで買って出る親切な同級生のことで、ほっといたら死にそうな子供だったんで、親切に面倒を見てくれた。 自ら好んで、できるだけ一人でいようとしていたけどね。 男の子ながら、ぬいぐるみを抱きしめていると幸せだったな。 子供のころ、親切でいかにも子供が好きな大人と、 そのほかの怒鳴る大人と言ったら、なぜ怒鳴るのか意味不明で憎まれているとは思いもよらなかった。 精神的苦痛が本物で、それ自体が福祉の対象なんだってさ。 社会的好況に配慮については実にいい時代だよ。 朝日新聞的ニュースでは、そうした人たちに批判的で、本人の苦痛に配慮しようと報道していない。そうした朝日新聞報道では彼らの苦痛は強くなるばかりだ。 SUVIさんがプラマイゼロにするみたいに、世の中はお互い様だったり、自分で何とかすることの大切さとかを、ニュースにしない朝日新聞だ。 苦情をかきむしっておいて、中国や韓国よりはましだと自慢している。
補足
社会的好況に配慮については実にいい時代だよ。 訂正 社会の公共的配慮については実にいい時代だよ。
- kurinal
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Flareon様、ありがとうございます。 >「釈迦の言った無の悟りの本来は、 信仰とは自らの心そのものであるという信仰の到達で、西洋哲学的にも世界中に残る聖人伝承の一つだ。 それは自らであるゆえ、語る言葉はない。」 そうではないかもしれません。 >「信仰を持たぬバラモン僧などは、何も語っていない。」 なるほど。 >「両者とも無であるゆえ、一切無という処世術で生きたんだ。 ただ、仏陀とまで言う人間の理想像は、自らの自覚だけでなく、他者への理解が必要だ。 人と人とで人間である以上、理解の共通項は信仰と関わり、だからこそ宗教は一つの文明の根幹なのだ。 しかしだ、宗教は個人と折り合いがついていない。 西洋哲学では、キリスト教は神への裏切りで、ニーチェのような思想もある。 仏教は、私という闇の仏陀が指摘するように、釈迦への裏切りが教義だ。 釈迦入滅後500年ののちに編纂された経典は釈迦の教えに背いていて、それが継承されている。 仏弟子を自称するのは全くの誤りなんだよ。」 「信教の自由」を侵害しないでね。 >「宗教により与えられる信仰とは、救いを懇願することだ。 信仰することが救いを求め続けることだ。 本来の自らの信仰は、自らの心を満たし、救いの懇願はない。 唯一我一人を尊ぶ。自己の充足だ。 宗教は君たちの餌付けに成功し、奴隷にしてしまったね。 本来宗教は共同生活に必要だ。 しかし間違いが多く個人と折り合いがつけられないでいる。」 ・・・そうですね。
お礼
君たちの精神は釈迦やイエスに圧倒的に支配されてはいないかね。 それはなぜだ。 答えてみろ。
- kurinal
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Flareon様、こんにちは。 まあね。 「楽」で、いいんじゃないですか。 >「さて時事問題検証ではなくドリル番長の仕事は哲学でして、仏教で娑婆と定義された世の中は、すべてが苦痛の世界です。 世の中をそんなだと思う少数派に向けて宗教的に定義された、「世界観」という見解の一部でしかありません。 この世界観の形成は伝承に対して考察するとお釈迦様が、 君たちにとっては何もかもが苦痛だ。 それは哀れなことだ。〈慈悲〉 私は仏陀だから全く苦痛がない。〈涅槃への解脱〉。 君たちは苦しみ抜くために何度も生き返りそのたびに死と苦痛を体験する輪廻転生を繰り返す。 あーら、かわいそーねー。〈仏陀の慈悲〉 日本で伝わる精神的苦痛は宗教化されております。 釈迦は自分自身の信仰心と、救いをも求める弟子たちの信仰心を区別して、自己とは全く別のことを宗教的教えとして活動しました。」 これは、なるほど。凄いものを見せて頂きました。 「信教の自由」は、重要ですね。
お礼
釈迦の言った無の悟りの本来は、 信仰とは自らの心そのものであるという信仰の到達で、西洋哲学的にも世界中に残る聖人伝承の一つだ。 それは自らであるゆえ、語る言葉はない。 信仰を持たぬバラモン僧などは、何も語っていない。 両者とも無であるゆえ、一切無という処世術で生きたんだ。 ただ、仏陀とまで言う人間の理想像は、自らの自覚だけでなく、他者への理解が必要だ。 人と人とで人間である以上、理解の共通項は信仰と関わり、だからこそ宗教は一つの文明の根幹なのだ。 しかしだ、宗教は個人と折り合いがついていない。 西洋哲学では、キリスト教は神への裏切りで、ニーチェのような思想もある。 仏教は、私という闇の仏陀が指摘するように、釈迦への裏切りが教義だ。 釈迦入滅後500年ののちに編纂された経典は釈迦の教えに背いていて、それが継承されている。 仏弟子を自称するのは全くの誤りなんだよ。 宗教により与えられる信仰とは、救いを懇願することだ。 信仰することが救いを求め続けることだ。 本来の自らの信仰は、自らの心を満たし、救いの懇願はない。 唯一我一人を尊ぶ。自己の充足だ。 宗教は君たちの餌付けに成功し、奴隷にしてしまったね。 本来宗教は共同生活に必要だ。 しかし間違いが多く個人と折り合いがつけられないでいる。
補足
> 本来宗教は共同生活に必要だ。 ちょっと修正。 本来宗教は人と人が共生し人間を自覚するために必要だ。 ところで、最近の研究成果では、 俺様ポケモン教に入信し、 私をウルトラマンだと崇拝することが、正しい信仰心という事になる。 私が行っているおもちゃ屋商売が、哲学でないとした場合の話だけどね。
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お礼
今回は理解しにくかった。 > もう理解し合ってるでしょう? これだけ言っておくよ。 私はSUVIさんのこと好きだよ。 いつもありがとう。
補足
また気が向いたら投稿してくれ。 歓迎だよ。