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無神論者で死が怖くない人は、何故怖くないの?
私は、神様とか天国とか良く分からないので、死ぬのが酷く怖いです。 宗教家の人が少し羨ましかったりします 自分は生物で、種も残さなきゃいけない上に、信仰が無いので、死が怖いのは当然なのですが… 多分、世の中には無神論者でも死が怖くない人もいると思うんです。 そういう人がいたら、是非、何故死が怖くないのか聞きたいです。 自分は、そうだ!とか そういう人を知っている!とか 有名人でこういう人がいた!とか 何か知ってらっしゃる方がいましたら、是非教えて欲しいです。
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- yuchiiiii
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周りの友達はよく、死んだらみんなに会えないとか怖いとか痛いとかで死にたくないと言うが、 人間の感情や理性は脳の作用によるもので、死ねばみんなに会えないとか怖いとか痛いとか考える自分の精神すらなくなる。 死んだら、死が怖いか怖くないか以前に、自分の精神が存在しない。 故に死んだ後はそういった負の感情や恐怖を味わうことはないのだから死は怖くない。 そう考えて生きてます
あなたは何時生まれたの? 死んだら 生まれる前の状態に戻るだけ。 あなたの父親・母親が若い頃、あなたがまだ存在しない頃の写真 その状態ですよ。 別に怖くなんかないでしょ。 まだやりたい事や知りたい事沢山あるし 死ぬ時は苦しいみたいだから死にたくはないけど・・・ なぜ恐怖する? なせ生まれる前の状態が怖いの? 死は嫌だけど怖くなんかないよ。
反神論者ならば、死後に神に復讐しようと考えているので死を楽しみにしているかもしれません。 棋士の村山聖さんは死は怖くないと言っていました。人生であまりにも辛い経験が重なると人生への執着が無くなるのかもしれません。
- ousamatokojiki
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または死ぬことについて考えていないから。
- ousamatokojiki
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死にたくないと思える理由がないから。
- amgotmorra
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生き抜くと決めていますが 生きるのは辛いから。。。。 守るものも、なすべきことも見出せない ただ生き抜くことは決めているので 日々生きていこうと思っていますが この世にも執着がないからでしょうか。 人に迷惑を掛けることや死までの長い苦痛は怖いですが ひとおもいに死ねるなら怖いことはないですね。
養老孟司さんがこんな事を言っています。 「生きていいる間は意識がある。 しかし、死んでしまえば意識がなくなるので、死を認識できない。 認識できないなら、死は存在しないと同じである。」 「死は存在しないから、恐れる必要はない。」
- sheep67
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僕自身は死ぬのが怖いのですが、 世間を見るなら、怖くないという人もいます。 そういう中で、本当に幸せで満ち足りてる、信仰や真理に達してるのでので怖くない、と言う人を除外します。 人間の問題点は、必ずしも「死の恐怖」として現れるとは思いません。 単に、いろんな性格の人がいるので、問題の現れにいくつかパターンがあると思います。 あり得るパターンとして、 1.虚無的ニヒリズムになってる人(ある意味の意気消沈)、あるいはその反動での自信過剰 2.フィクション世界を現実だと思ってる人(強烈な自己暗示によるハイテンション) 3.「自分」という感覚を中心に世界を構成してるため、死の恐怖を感じない人(強く閉じた自我世界) あまりうまいまとめじゃないですが、現実を見てる限りこの3タイプが多い気はします。他にもあるかも知れませんが。 これらの3タイプは、死ぬのが怖い、とは言いませんし、本当に心の底から死の恐怖を感じてはいませんが、実は表現の違いに過ぎず、死が怖いのと同等の問題点をはらんでいます。 生きることや人生に矛盾を抱えていたとしても、性格によっては、それが死の恐怖として現れるとは限りません。つまり、メンタル感情に問題が吹き出るとは限らないです。 なので、ごく一部の本当の信仰や悟りを持つ人を除いたら、「みんな怖いんだ」と思っていいと思います。そういっておおざっぱに間違いじゃないはずです。ほぼ100%です。 これらの3タイプの人は、死が怖いことの別表現ですから。 人間の最も深い奥深い問題点(僕なら死ぬのが怖い)、についての表現は、人間の性格によって、この一番深い部分の表現さえ、性格によって変化するし、いろんな言い方をされます。 なので、「私は死ぬのが怖くない」という風な、言語的表現はあまりあてにしたり気にしない方がいいと思います。あまり声高でない人を捜した方がいいんじゃないかと思います。 無神論者というか、神よく解らない、と言う人は、 1.理解によって真理に達したい人 タオー老荘思想 法や密教や禅など仏教哲学 ダルマ、太極、ブラフマン クリシュナムルティなどの思想家の話 ヨーガ 心理学、脳科学 抽象的論理的な理解の好きな人は、こういう極限概念や、真理の構造の理解を通して問題を克服されてます。唯一の真理に達する努力を好みます。 2.神仏ではないが、この世成らざる何かを信じる人 生まれ変わり、アカシックレコード、スピリチュアル、ハイヤーセルフ、愛、仏性など、神仏ではないけど ちょっと神秘的なというか、人の理解を超えたこの世を超越した概念、ある種の機構を信じる人もいます。ヨーガはこちらにも属しますが。 3.仏様を信じたいタイプ あるいは投稿者さんは、自覚がないだけで本音では神を信じたいタイプかも知れないですが。わかりませんが。 1と2は、ある種の客観性、抽象性があります。能動、受動の違いはありますが。 3の仏様や、神様は、主観的で具体的です。 どちらを望むかは、性格や個性の影響を受けます。 説明のため脳という概念を持ち出すなら、これらは完全性を脳が捉える時の切り口の違いです。 脳機能はパーフェクトを理解しえないので、脳機能の種類によって、完全性はいくつかの極限概念として現れています。 完全な何か(?)は、ある脳には客観的抽象的な法則や唯一のものとして、ある脳には主観的具体的な神様や仏様として現れます。 自分の適性を見つけてください。 本当に不安なく生きるには、自分にあった何かを見つける必要があると思います。
- 島崎 信也(@zakky74)
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生が何なのか? 死が何なのか? 明確に理解できている状態でございます。 信仰や宗教では、自分個人一人の分だけは不安や恐怖から逃れるかもしれませんが、理解にまでは至る事はないかと思います。不安や恐怖と向き合う最良の道は、僕は明確な理解であると確信しています。
神とか そういう不確かというか 証明できないことは事実ではないのです 感情論ではなく 生きてるから死ぬ それだけです 死になにも見出せません 神様におすがりすること自体が死への恐怖の現れです