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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:イエスの哲学は 《存在》論である。宗教を卒業しよう)

イエスの哲学――存在論と宗教の卒業――

このQ&Aのポイント
  • イエスの哲学は《存在》論であり、宗教を卒業することを提唱しています。
  • アブラハムやモーセ、イザヤなどの先人たちの存在論の系譜を引き継ぎ、実現を待つと述べています。
  • イエスの存在論は彼自身の生涯や死後の信仰者たちの言動を通じて実証されることを伝えられています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ponyo7
  • ベストアンサー率18% (134/726)
回答No.17

<ご批判をどうぞ 批判ではありませんが、神もイエスも知識ではなく感じるものです。 知識に偏向してまうと知識論争になってしまい、神を感じることがなくなってきます。 また、私は自分を聖人、あるいは神の使いという人を信用していません。 本当に聖なる領域に近い人は私の知っている人では2人だけです。 一人はキリスト教で一人は神道です。共通しているのは目が青みがかっているということです。では外人が全てそうかといわれると反論できませんが・・・。 科学では説明できないことも多く経験し、科学で説明できないことがこの世にはあると思っています。 手を頬に近づけると温かいです。温かい、つまり放熱です。熱はエネルギーです。もしこのエネルギーを増幅出来れば大きな力となります。これがイエスの力となって聖書に記されています。 神を知らない者にとっては、西行法師の「何人のおわしますか知らねどもありがたさに涙あふるる」の心境です。 また神は雄弁ではありません。ほとんど語らないと言ってもいいでしょう。 また神は無であり、神と接触できるのは我々が生きている間だけです。生きている間しか神と接触できません。 神と話すのではなく神を感じるのです。言葉で説明できるものではありません。 あなたは私なんかよりよほど真剣に求道されている方かと存じますが、知識だけでなく感じるようにしてください。体が温かくなり、涙が自然と流れてくるようになります。 もうあなたと会話することもありませんが、レベルが違うと無知として扱われるかもわかりませんがどうかあなたに祝福ありますように・・・。

bragelonne
質問者

お礼

 そうですね。  もう一回 そうですね。  まづは ご回答をありがとうございます。  あめんほてぷ氏のほかに やっとまともなご投稿を得ました。  そうですね。  まづは わたしは いぢわる人間ですので エラーの訂正です。  ○ なにごとの おはしますかは 知らねども    かたじけなさに なみだこぼるる  ですね。  汲めども尽きぬ泉の水の湧くごとく あなたの心に 乾いたと思ったら いつもみづみづしさがあふれ出て来ます。  それゆえに われら《神を感じる》やからは 神について なるべく合理的に説明するつとめがある。わたしは こう思っています。  一隅を照らすといった・ひとつのつとめは なるほど 思いやりや助け合いをつうじて そのあたたかさに触れ得るならば 光を見たと感じることが出来ます。  あるいは 医学といった科学のちからで なお光を見させることが出来るようになって来ています。  これらは ただし 人間の能力と努力とで見ることのできるひかりです。  ところが さきほど泉の水の湧くごとくと言いましたが ひとの心を照らすというよりは おのれの心の中でそのこころの燈心がともされるということ。あかあかと ただし燠の火のように ゆっくりとチロチロといった風に燃えるともしび。  神を感じるというのは そういうあり方の成ることを言うのではありませんか?  なぜなら 科学やひとの思いやりといった人間のチカラだけでは そうは成らないと考えられるからです。  もし:  ★ 体が温かくな  ☆ っていらっしゃるということでしたら そのとき・そこから:  ★ 涙が自然と流れてくるようになります。  ☆ だけではなく・また 涙はこぼれるにまかせて そうではなくそのあなたの心のありさまを しっかりと言葉にしてひとに伝えるようにして欲しい。  これが わたしたちのつとめです。  神は 神そのものを:  ★ 言葉で説明できるものではありません。  ☆ ということでしょうが 神を感じるありさまについては 伝えることが出来るはずです。  ただ かたじけない ありがたい と言っているだけでは ダメです。  わたしは へそ曲がりですから   ★ 祝福  ☆ も要りません。こうやって《放火》のつとめをおこなっています。それだけです。

その他の回答 (16)

  • kagakusuki
  • ベストアンサー率51% (2610/5101)
回答No.16

>これだけの説明で ひとつの仮説が出来ています。  それがどうかしたというのですか?  その仮説が正しいという証明を貴方はしていないのですから、貴方の考えが中身のない空っぽなものである事に何ら変わりはないではありませんか。  それに、 >後、7ばかりに拘っておられる様ですが、貴方が事実であると証明していない仮定は他にも幾つもあるのですから、もしも例え7の話が事実であると証明出来たとしたところで、それだけでは貴方の話が中身の無い無駄話ではないという事にはなりませんよ。 と書いた筈ですが、やはりそちらは証明出来ないのですね。

回答No.15

もっと考えることです。」←?・・ 考えるって?・・ あなたが 他人に聞かずとも 神の意図を知ればイイだけ・・ 聖書を読んだのなら 神に聞く方法は知ってる筈だが?

回答No.14

★ あなたの思う回答しか正解にならない・・  ☆ というふうに あなたが思うことが ただしいとすでにあなたは決めつけている。」←「ご批判をどうぞ」と なってるのに批判すれば それを批判するだけでしょ?・・ そして あなたの思う回答で無けりゃ あなたは受け付けず この質問自体締め切る事になる・・ これって このサイトの欠点なのです・・ あなた達は 運営に踊らされてるだけって事を理解していない・・ 何も解決出来ないのです・・・ この様なサイトの やり方では・・・・

bragelonne
質問者

補足

 もっと考えることです。

  • kagakusuki
  • ベストアンサー率51% (2610/5101)
回答No.13

>事実にもとづき それについての解釈をも交えている。と言えば 分かりやすかったですか。  むしろ分かり難いですね。  その解釈が正しい解釈の仕方で、正しく事実を表したものであるという事を貴方は一切証明しておりませんから、その様な解釈に基づいている貴方の考えは、貴方の個人的な仮定に基づいた考えに過ぎず、万人に当てはまる様なものでは全くなく、正しいか否かを広く問う事が可能な段階にある問いなどとは到底呼べる代物ではありません。

bragelonne
質問者

補足

 あなたは 存在論を知らない。  これだけの説明で ひとつの仮説が出来ています。

  • kagakusuki
  • ベストアンサー率51% (2610/5101)
回答No.12

>表現の歴史として事実である。 >事実にもとづいて仮説している。  嘘はいけませんね。 >ここまで 及んだのだと捉えます。 と捉えたのは誰なのですか? >この神の名を告げたときの命題を人間に当てはめた場合の――《存在》論 が表現の歴史として推移して来たと考えているのは誰なのですか?  どれも貴方がそう捉えてそう考えているというだけの事に過ぎず、万人が認める事実などではないではありませんか。  その様な、貴方の個人的な思い込みによる仮定を事実であると見做すという誤った考えに基づいてばかりいるのですから、貴方の考えを推し進める事で得た結論の話など中身のない空っぽなものに過ぎず、そのような中身のない話をすることは単なる無駄話以外の何物でもないと言っているのです。  後、7ばかりに拘っておられる様ですが、貴方が事実であると証明していない仮定は他にも幾つもあるのですから、もしも例え7の話が事実であると証明出来る様たとしたところで、それだけでは貴方の話が中身の無い無駄話ではないという事にはなりませんよ。

bragelonne
質問者

補足

 事実にもとづき それについての解釈をも交えている。と言えば 分かりやすかったですか。

  • kagakusuki
  • ベストアンサー率51% (2610/5101)
回答No.11

>☆☆ 表現の歴史として捉える >☆ と言っているはずです。  だから、 >それもまた単なる仮定に過ぎず、正しい見方であると証明されている訳ではありませんよね? >貴方はそれらの前提が正しい事を証明しておりません。 >それより先の話に関して >>広くみなさんに問う >などという事をしたところで、 >そんな問いに正解などある訳がないじゃないか」 >という事になりますので、 >先に話を進める事は無意味であり、その様な無意味な事に関する話は無駄話以外の何物でもないという事です。 と言っているはずです。

bragelonne
質問者

補足

 表現の歴史として事実である。  事実にもとづいて仮説している。  その内容がただしいかどうかは 次の問題。  

  • kagakusuki
  • ベストアンサー率51% (2610/5101)
回答No.10

>そして まだその見方については まさに仮説ですから  そうですよ。だから、それより先の話に関して >広くみなさんに問う などという事をしたところで、 「そんな話は7が正しいかどうか分からないのだから、正しいかどうかも分からないじゃないか。  そんな正しいかどうか分からない7より先の話に関して正しいかどうかを問われても、そんな問いに正解などある訳がないじゃないか」 という事になりますので、7より先に話を進める事は無意味であり、その様な無意味な事に関する話は無駄話以外の何物でもないという事です。  あなたの考えの結論は、貴方が7以外にも設けている幾つもの仮定が事実でなければ成り立たないのですから、尚の事、貴方の考えは結論を出せる様な段階には全くなっていないという事になります。  それにもかかわらず、貴方は何の根拠も証明もなく結論を出しているのですから、その様な結論は無意味であり、貴方の考えは無駄話に過ぎないものという事になります。 >単純に 《われはある / 存在の理論》と見なして あとは 全体として捉える  それもまた単なる仮定に過ぎず、正しい見方であると証明されている訳ではありませんよね? >☆☆ 8. ~ >☆☆ 9. さらにその後 イエスは この存在論の実証をしたと伝えにはあるようです。 に関しても同様で、貴方はそれらの前提が正しい事を証明しておりません。  従って、貴方の反論は お門違いです。だから 中身がからっぽだと言いました。

bragelonne
質問者

補足

 ☆☆ 表現の歴史として捉える  ☆ と言っているはずです。

  • kagakusuki
  • ベストアンサー率51% (2610/5101)
回答No.9

>あなたの挙げている《正当な理由》は なおまだその中身が明らかになっていません。あなたの主観の内では成っているのかも分かりませんが 相手に・つまり質問者に対しては 証明がされていないし じっさい中身すら明らかになっていません。  それは話が逆ですね。  質問文の7辺り以降で挙げている貴方の考えの前提条件が、貴方が勝手に設けた仮定ではなく、事実であるという事を貴方は証明していません。  それ故、貴方の考えを >貴方の個人的な仮定に基づいた考えに過ぎず、万人に当てはまる様なものでは全くない。 と見做すのは順当な事であり、貴方の考えが真実に近いものであるか否かという事に関して証明する必要があるのは、その考えを主張している貴方自身であって、批判する立場である当方は貴方の考えに「前提条件として仮定にしか過ぎないものを用いている」という穴がある事を指摘するだけで十分な批判になるのですから、貴方の考えが仮定に基づいたものである事を証明する必要など全く無いのですよ。  「事実であると証明もしていない単なる仮定に過ぎない事」を事実であるとしなければ成り立たない考えなど中身のない空っぽなものに過ぎません。  前提条件が正しいか否かを問わずに話を進めたところで、もし前提条件が間違っている事が明らかになればそれまでの話は全て無駄になるのですから、前提条件が正しいか否かを検討もしていない貴方の話は単なる無駄話に過ぎません。

bragelonne
質問者

補足

 ★ 質問文の7辺り以降で挙げている貴方の考えの前提条件が、貴方が勝手に設けた仮定ではなく、事実であるという事を貴方は証明していません。  ☆☆ 7. 《神と人間――おのおの我れ――とのカカハリ》が――人間の言葉による表現上―― ここまで 及んだのだと捉えます。  ☆ 《表現》の問題として 《神とわれとの関係》の歴史があった。あるいは 《わたしはある》という――この神の名を告げたときの命題を人間に当てはめた場合の――《存在》論が やはり表現の歴史として――わづかな例示においてながら―― 推移して来た。  このように言っています。  そして まだその見方については まさに仮説ですから 広くみなさんに問うというかたちです。  そして これは 表現の歴史という問題ですから 特にその命題と展開の証明を問うものではありません。単純に 《われはある / 存在の理論》と見なして あとは 全体として捉える・・・こういう構えです。  このような――軽い――意味において 次のように作業仮説を設定しています。:  ☆☆ 8. ひと言で言って 《存在》――《わたしは ある》――をめぐる理論の問題である。そしてこれで 完成だと言ってよいのではないでしょうか。  ☆ なぜ《単純で軽い意味において》でよいのかと言えば 存在論は 《われがわれである》という自同律として成り立っているものだからです。  あとは イエスがイザヤ書のくだりに触れて言ったこととしては 貧困者とわれとの関係といった社会的な側面が 課題として加えられている。という恰好です。  これも しかしながら 存在論の単純な応用ないし実践のもんだいとなります。だから 気軽に扱えるという考え方です。中身は重大でしょうが。  ☆☆ 9. さらにその後 イエスは この存在論の実証をしたと伝えにはあるようです。  ☆ これについては 《10》以下で説明しています。  存在論が 自同律にもとづくというのは 《万人に当てはまる》普遍的な理論です。自己同一性のことです。  あなたの批判は お門違いです。だから 中身がからっぽだと言いました。  今後において同じあやまちを繰り返す投稿であるなら 放っておきます。  はっきり言って 常識以前の投稿内容です。

回答No.8

ってったって できるわけないのは 分かっている」←うん・・同じネームで ならね・・ そして このネームでも批判する気は無い・・ 何故なら 此処って あなたの思う回答しか正解にならない・・ ならば あなたが解かる日が来るまで 間違ってても仕方ない・・って事だから・・  

bragelonne
質問者

補足

 ★ あなたの思う回答しか正解にならない・・  ☆ というふうに あなたが思うことが ただしいとすでにあなたは決めつけている。

  • kagakusuki
  • ベストアンサー率51% (2610/5101)
回答No.7

>それでは >おまえのかあちゃん でべそ! >のたぐいのののしりです。  何故その様に思われるのか理解に苦しみます。  当方は >その様な考えは貴方の個人的な仮定に基づいた考えに過ぎず、万人に当てはまる様なものでは全くない。 >それ故、その結論も正しいものという事は永遠に出来はしない。 という正当な理由を挙げているのですから、真っ当な批判になります。  御質問は >ご批判をどうぞ。 というものなのですから、私の回答は立派に回答となっております。  貴方は >ご批判をどうぞ。 としているにもかかわらず、 >中身としての説明がありません。 >無駄な投稿は 遠慮なさってください。 と要求しているのですから、貴方のコメント内容は不当な要求というものであり、それ故、 >中身としての説明がありません。 >それでは >おまえのかあちゃん でべそ! >のたぐいのののしりです。 というコメント内容の方こそ単なる不当な罵りに過ぎないというものです。  このサイトは質問者の意見に賛同する回答を得る事のみを目的とした投稿を行う事は禁止されていますよ。

bragelonne
質問者

補足

 ★ ~~~~~~~~~~~~~  当方は   >その様な考えは貴方の個人的な仮定に基づいた考えに過ぎず、万人に当てはまる様なものでは全くない。   >それ故、その結論も正しいものという事は永遠に出来はしない。  という正当な理由を挙げている  ~~~~~~~~~~~~~  ☆ 《おまえのかあちゃん でべそ!》の場合も 結論としては明確に述べています。  ただ その理由が 推測なわけです。そのかあちゃんのヘソが出べそかどうかは 分からないまま・あるいは 事実として分かっていてもそれを相手に証明しないまま 結論だけを叫んでいます。  あなたの挙げている《正当な理由》は なおまだその中身が明らかになっていません。あなたの主観の内では成っているのかも分かりませんが 相手に・つまり質問者に対しては 証明がされていないし じっさい中身すら明らかになっていません。  別の言い方をすれば すべての学説はひとりの人間の仮説に始まると言っても間違いではありません。  だから あなたの挙げている批判とその理由は まだ海のものとも山のものとも明らかではありません。  中身がからっぽです。

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