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イエスの大嘘
イエス・キリストの大嘘について どう思いますか? ナザレのひと・イエスは ヨセフという父親とマリアという母親とから――むろんその交渉をつうじて――生まれたふつうの一人の人間であったわけですが 自身はそうであると同時に(つまり 人間であると同時に) 神の子でありみづからも神であると言ったのです。――これが ひとつのウソです。 もっともこのウソのからくりについて 人びとが納得の行くように説明することも出来ます。 つまりは 何のことはない 例のブッダター(仏性)というあれです。アートマン(霊我)でもよいわけです。この神の霊が 人間にはやどっているといった・人びとの常識にまで成った想定の話を少し拡大して イエスは 《わたしが その神の霊である。つまり ブッダターである。つまり アートマンである》と言ったわけです。 すなわち ふつうは人は 神の霊であるアートマンやブッダターなる霊を わが身と心とにやどす・つまりそれは 分有するということなのですが イエスの場合は 分有ではなく 自分がその神の霊そのものであると言ったのです。 すなわち イエスはふつうの人間であると同時に その身と心〔と非思考の庭〕とで百パーセントが神の霊であると言いました。――これが 第一のウソです。 第二のウソは 神は どんな名であろうと全体として ただひとつであると言いました。それには ひとつの手法として 十字架にハリツケになって そのまま去って行くというかたちを採った。これによって 神という神は すべてひとつであることが 確認された。 なぜなら 神である(=キリストである)イエスが その十字架上から もしおまえが神の子なら降りて来いとなじられても 降りて行かなかった。降りて行ったなら それは おまえが神であるから出来たことだ 神の奇蹟などは おれたちにはお呼びではないと人びとは思い言い合って おしまいになる。ゆえに 奇蹟を起こさなかった。 またもしただ人間としてハリツケに遭って死んだというだけなら それは せいぜいよくやったな がんばったぢゃないか おまえのことは覚えておいてやるから 往生しーやと言われておしまいである。そうではなく 神がハリツケにされたのである。と語ったわけである。これが 第二のウソだ。 このウソによれば 人びとは 笑おうが泣こうが とにもかくにも 元気が出る。ハリツケのイエス・キリストを見れば ひとは元気を取り戻す。ということになっちゃった。――これがウソの効用。 しかも やがては 名の違う神どうしのケンカは もう用無しとなるはずである。そのために 大嘘をついた。イエスという男。 宗教のオシエは どうでもよい。のです。
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- dropyork
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お礼
☆ イエスが みづから自分はヤハヱーなる神の子であり 父の子は 子の父と一体であるとも言っているところです: ▼ (マタイによる福音 16:20) ~~~~~~~ それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。 * 16:16 ペテロの言葉として《生ける神の子》があり イエスは それを《わたしの天の父が表わした》と答えている。 ▼ (ヨハネによる福音4:25-26) ~~~~~~ 〔* サマリアの〕女が言った。 「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。 その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」 イエスは言われた。 「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」 ▼ (ヨハネによる福音書 14:6-14) ~~~~ イエスは言われた。 「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、 だれも父のもとに行くことができない。 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることに なる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」 フィリポが 「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」 と言うと、イエスは言われた。 「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていない のか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父を お示しください』と言うのか。 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じない のか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではな い。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言う のを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じな さい。 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、 また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くから である。 わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、 父は子によって栄光をお受けになる。 わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあ げよう。」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~