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理数系が得意といって、羨ましいといわれたことは?

当方、英語翻訳者です。 と職業を言うと、「英語が出来て羨ましい」と100%の割合で言われますが、理数系の方で、「理科または数学の教師(講師)をしている」といったとき、同じように「XXが出来て羨ましい」といわれたことがありますか? あるとしたら、どう応えますか?またどう思われますか? ないとしたら、なぜ「英語が出来る」というとそのように言われるのでしょうか。

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回答No.3

こんばんは。 > 英語翻訳者です。と職業を言うと、「英語が出来て羨ましい」と100%の割合で言われます これは興味深いポイントですね。 理数系ではおそらく同様の状況はないでしょう。日本人は、社会に出てしまえば、微積ができなくても、電気回路のブリッジの問題が解けなくても、モルの計算ができなくても、(学校の先生や実際にそれを使って仕事する研究者、技術者を別にすれば)自分がそれをできないことを残念に思うことはないでしょうが、英語だけは、自分がそれをできないことを残念に思うようです。 さらに興味深いのは、ほかの語学と英語は違うらしいことです。日本人は、韓国朝鮮語や中国語、タイ語、インドネシア語ができる人に会っても、自分はそれができないということを残念に思わないようです。そして相手に「うらやましい」と言うことも(その言語をできるようになりたい特別な動機がある場合を除いて)ほとんどないでしょう。逆に、タイ語やインドネシア語の場合、「どうしてそんな言葉を勉強されたのですか?」といった質問をするかもしれません。 お店の店員さんなどは、英語を話す人が訪れると、「あ、英語だ、どうしよう、私は話せない、誰か連れてこなくちゃ」と自分が英語ができないことが自分の落ち度のように狼狽するようです。職場に英語の電話がかかってきても同様です。ところが、これが中国語やタイ語だと、確かに困惑はするでしょうが、自分の落ち度であるかのようにはもちろん思いません。 数年前に、北京の、ものすごく気張ったユニフォームを着たスタッフの男性と女性が一人ずついる立派なホテルのフロントで、英語で"Where is the rest room?"と聞いたら、何も聞こえなかったようにまったく微動だにせず、視線すら動かさなかったのは興味深い経験でした。彼らは日本人のように「あ、英語だ、どうしよう!?」とはこれっぽっちも思わないようです(ちなみに、英語が通じないのがわかったので、中国語で「厕所在哪儿?(お手洗いはどこですか?)」と言ったら、2人ともバネではじかれたように「あっち」という感じで指さしました。ですので当然ですが、仕事に不熱心で反応しなかったわけじゃないのです)。 日本ではコミュニケーション手段として英語が必要だからうらやましがるのだろうという意見には賛成できません。日本は教科としての英語を除けば、ほかの科目では英語ができなくても大学4年まで何の支障もなく行ける国です(タイやインドネシアでは、学術用語が自国語に翻訳されてないので、大学の学部でもいろいろな専門科目を英語で勉強するそうで、英語がちゃんとできることは大学生になるために必須のようです)。社会人になっても、外資系など一部の企業を除けば、英語なしで立派に食べてゆけます。 もちろん、外国人がとつぜん訪問してきて、英語ができない人がもたもた対応してその場に困惑が広がっているときに、英語のできる人が出てきて問題が一挙に解決するという状況は起こりうるわけで、「うらやましい」というのもわからなくはないです。ですが、たとえばパソコンの設定に詳しい人が、にっちもさっちも行かなくなったパソコンをうまく直してくれて、問題が一挙に解決したとして、我々の多くは「うらやましい」と思わないのじゃないでしょうか?そういうパソコンに詳しい人は、「職場に一人いると便利な人」というにすぎなくて、自分がそうなりたいとは思われないようです。それが英語ができる人だとなぜ、「職場に一人いると便利な人」という扱いにならずに、羨望の対象となるのかはとても不思議です。 というわけで実は私も『なぜ「英語が出来る」というとそのように言われるのでしょうか。』への確たる回答を持ち合わせていないのですが、ひとつ考えられることは、やはり一種の英語コンプレックスが社会全体に広がっているのだろうと思います。国際的であることは日本人に本質的に要求されていることで、その象徴がともかくも英語が話せることだ、というような信念が根強くあるのじゃないでしょうか?その辺で、ただパソコンの設定が直せる人との扱いの差が出てくるのじゃないかと思います(蛇足ですが、実際には英語ができれば世界のことがなんでもわかるなんてのは一種の迷信だと私は思っています。たとえば日本語の世界を考えても、英語になってない日本語の情報は膨大な量があります。当然のことながら、中国のことなら中国語、マレーシアのことはマレー語、ケニアのことならスワヒリ語までわかってやっとその国のことがわかるわけで、日本語で受け取れる情報が偏ってるのと同じように英語で受け取れる情報もやはり偏ってるのは動かしがたい事実だと思います)。 ご質問の答えになってるかどうかわかりませんが、私の感じていることを書きました。ご参考になれば幸いです。

その他の回答 (2)

  • akiye2
  • ベストアンサー率27% (160/573)
回答No.2

社会生活において理数系は必需ではなく、 必要な時は得意な者に任せれば良い。 しかし語学はコミュニケーションです。 特に現代のIT社会では必需です。 寝たきりであろうとネットで国際交流ができますので。 機械翻訳で外国語から日本語はまだまだですが、外国語から英語はかなり正確です。 ですので英語<=>外国語機械翻訳を多用してます。 タイ語<=>英語の正確さには驚かされます。 欧米アルファベットや漢字でない場合は文字すら分かりませんが、 英語を介せば国際交流ができます。 英語ができれば世界が広がります。

  • Dr_Hyper
  • ベストアンサー率41% (2483/6032)
回答No.1

社交辞令なので,気にされないで良いのでは無いですか? あなたの場合仕事で使っているツールですしね。 私は理系の研究者で留学経験もあります。それ故社交辞令でどちらも言われますが,枕詞のようなもので取りあえずそう言って反応しておかないと落ち着かないだけという印象です。 米国に住んでいた程度で,英語がはなせてうらやましいと,あなたが言われるのと同じ文言は言われます。 仕事として使っている英語と生活できるって程度の英語のレベルは全然ちがうのに,使わないひとにとってはおなじ扱いです。極端な話し,あなたが数学が得意で数独が得意です。といって「うらやましい」と言われるのと同じような物ではないでしょうか?それ故,言っている方に大意はない。というのが私の感想です。 むろん日本人は英語にはコンプレックスを持っている人が多いですが,今の大学生ぐらいからは,その感覚も薄れてきますし,英語はできないといけないという意識はかわりませんが,うらやましい。という感覚はあと10年もすれば減っていくとは思います。小学校の英語教育で外国人との会話も増えてきました。自分が勉強している英語が通じないのは当然と思っていた時代と変わってきていますので,そのうち社交辞令にならなくなれば,言われる回数は自ずと減っていくと思います。それであなたの職種の価値が下がるわけでもなければ,リスペクトが無くなるわけでも無いと思いますが。

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