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徳川重好に息子がいたら11代将軍になっていた?
もし、家重の次男で家治の弟でもある、清水徳川家の祖“徳川重好”に子供がいて、その子が男子だったとしたら、その子が11代将軍になっていたでしょうか? その子は家基の従兄弟となり、家基の再従兄弟である家斉よりも、家基との血縁が近いです。 徳川重好に男子がいたら、その子が11代将軍になっていた可能性が高いかどうかを教えてください。
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第10代将軍である徳川家治との血縁の近さで言えば、徳川重好の息子などよりも徳川重好自身の方が近い事になります。 重好の没年は1795年であり、家治が急死した1786年には重好はまだ41歳で存命であったにもかかわらず、重好は将軍にはなれませんでした。 これには、重好が病弱で子供がいなかったという事や、後に第11代将軍になった徳川家斉の父親である徳川治済らによる後継工作があったためと言われている様です。 最も近い血縁者である重好自身が将軍になれなかったほどなのですから、その息子など将軍になれたとは到底思えません。 もし仮に重好に息子がいる事によって「重好が子供がいなかった」という理由が無くなったとしても、徳川治済らによる後継工作を退けるほどの要素になったかどうかは判りませんし、もしその類の後継工作を退ける事が出来た場合には、序列から言って第11代将軍になるのは重好自身であり、もしその息子がいたとしても将軍になるのは第11代目ではなく、第12代目の事になるのではないかと思われます。 因みに、48歳で第6代将軍職に就いた徳川家宣の例がありますから、家治が急死した時の重好の年齢が41歳であったからと言って、将軍になるには高齢過ぎるとは言えません。 【参考URL】 徳川家斉 - Wikipedia > 1.1 第11代将軍就任 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E6%96%89#.E7.AC.AC11.E4.BB.A3.E5.B0.86.E8.BB.8D.E5.B0.B1.E4.BB.BB 徳川重好 - Wikipedia > 1 生涯 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E9%87%8D%E5%A5%BD#.E7.94.9F.E6.B6.AF 徳川家治 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E6%B2%BB 徳川治済 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E6%B2%BB%E6%B8%88
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- ithi
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jgmwtad さん、こんばんは。 確かにゼロではないでしょう。でも、家臣がお家を乗っ取りを企んでいるような家のイメージって最低だと思いませんか?だから、重好に息子がいてもなれなかったと推測します。 田安家には宗武、一ツ橋家には宗尹という強い個性のある投手があったとすると清水家の重好はあまり個性のない殿さまでしたからね。 清水家 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E9%87%8D%E5%A5%BD
お礼
御回答ありがとうございました。 清水徳川家は、家臣がお家の乗っ取りを企んでいるようなイメージを持たれていたのですね。 これでは徳川重好に男子がいても、徳川治済に勝てそうにありませんね。 ありがとうございました。
お礼
御回答ありがとうございました。 徳川重好に男子がいても、11代将軍は一橋治済の息子・家斉ですか。 ありがとうございました。