※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:自分であるには・・・・・)
自分が自分であるにはどう生きていくか
1957年、昭和32年でした。私に珍しく新刊本で買いました。
堀田佳衛氏の"インドで考えたこと"という岩波新書。
インドっていう字がタイトルにあって。
日本人に対する分析というか、反省というか、観察が書かれて部分がありました。
"Sophisticated People"という言葉が使われていました。
洗練されたとか世慣れしたという意味よりもっと負の意味が持たされていたと思います。
私はその読書の時にまぁ悪ずれしたとか、上手く立ち回るとか、都会的に住み慣れたとかいうような意味に解釈されました。
私を重ね合わせて自己嫌悪しながら想起してきたのが論語の章句、公冶長第五―第十句でした:
(1)宰予晝寝、子曰、朽木不可雕也、糞土之牆不可朽也、於予與何誅、子曰、始吾於人也、聽其言而信其行、今吾於人也、聽其言而觀其行、於予與改是
読み下し:宰予、昼寝ぬ。子曰わく、朽木は雕るべからず、糞土の牆は朽るべからず。予に於てか何ぞ誅(せ)めん。子の曰わく、始め吾れ人に於けるや、其の言を聴きて其の行を信ず。今吾れ人に於けるや、其の言を聴きて其の行を観る。予に於てか是れを改む。
(2)子路第13-第27句:子曰、剛毅朴訥近仁
読み下し:子曰く、剛毅朴訥、仁に近し。
質問
自分が自分であるにはどう生きていくか、日々、その時その時にどう対するか。
そして立派な思想や哲理にどう対するか。
禅の課題でもあろうが、私は門外漢ですから。
自身の幼児からの課題であってきたわけです。
どうか何かのコメントを!
お礼
日本人も日本人たる自分自身全く嫌悪しておりません。 度の国、民族の心性や民族性よりも素晴らしいと存じています。 人間としてはいろんな経験や素晴らしい人、哲理や思想に出会ったとき、自己の硬い基盤で対したいという事です。 そのようにしてきています。 一般にそうするための心構えを質問しています。
補足
ここも外国人という極東の人が多いですね。私も6年ほど前初めてここに参加したとき、プロフィールのラディカル革新の文言を逆手にして反日と小中華に追尾、いじめられました。何のことか分かりませんでしたが、皆さんの違反報告で助けてもらいました。 曾祖父は軽輩ですが水戸藩士、父の実家は水戸の本陣です。 私は79年前に浅草生まれ育ちでこの東京から一度も都外へ転居したことはなく、日本人です。まぁ下から二番目ですから二度の戦災に逢った時は父も母も前期高齢者でした。つまり日本以外には知識も経験もないのです。