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水戸藩の3代藩主

水戸藩の3代藩主は何故、2代藩主・光圀の息子・松平頼常ではなく、光圀の兄の息子の綱條(つなえだ)になったのでしょうか? 普通に考えると、水戸藩3代藩主には光圀の息子・頼常がつくはずだと思います。 どういう理由で、光圀の息子の頼常がいるにも関わらず、綱條が水戸藩の3代藩主になったのかを、わかる範囲で結構ですので、教えてください。

みんなの回答

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9602)
回答No.2

yvcbd さん、おはようございます。 水戸家の光圀は儒学を学びました。確か、中国の古い「伯夷と叔斉」の故事を読み、自分は次男なのに兄を差し置いてかと家督を継いだ自分自身に罪悪感を感じ、自分の子を高松の分家へ養子に差し出し、兄の子を代わりに世継ぎにしました。徳川綱條その人です。  伯夷と叔斉 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%AF%E5%A4%B7%E3%83%BB%E5%8F%94%E6%96%89 水戸光圀 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%85%89%E5%9C%80

noname#222074
質問者

お礼

御回答ありがとうございました。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

光圀は次男であったために水戸藩を継いだことに兄に引け目を感じていたからです。

noname#222074
質問者

お礼

御回答ありがとうございました。

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