遣隋使はあったのですか。
日本書紀に小野妹子は大唐国に行ったと書いてあります。遣唐使があったというのは判りますが、遣隋使があったという根拠が判りません。本当に遣隋使はあったのですか。
『隋書』に「開皇二十年倭(*)王姓阿毎 字多利思比孤 號阿輩倭彌 遣使詣闕 上令所司訪其風俗 使者言倭王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺坐 日出便停理務 云委我弟 高祖曰 此太無義理 於是訓令改之」
とあります。
でも、日本の天皇に、阿毎、字は多利思比孤、阿輩倭弥と号づく、なんて尊王はしゃらしゃらなかったのでないでしょうか。あるいは、私の知らない他の書物にそのような天皇のお名前が出ているのですか。
また『隋書』の「東夷傳倭國傳」に「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」とありますが、それと日本の天皇との関係が判りません。私が高校時代に教わった教科書によると、それを送ったのは日本の天皇だと書いてあっただけですが、「東夷傳倭國傳」の文面からはそうだとは確証できません。
一豪族が派遣しても遣隋使と言うのでしょうか。だったら、もっと前に中国に派遣されていた外交団があったのではないでしょうか。あるいは、中国人には天皇の本当の名前を言わなかった(あるいは隠していた)とでもいうのでしょうか。昔の人達が今の人達の違って合理的でなかったとは思えません。
実際に書いてある物を否定するには余程の根拠があると思うのですが、その根拠とは何ですか。誰か偉い方が遣隋使があったと言ったからというような根拠ではなく、実証的に教えて下さい。
(注)「倭」に当たる*の正文字は「教えて!goo」になし。
お礼
そんな大昔に、それだけの便があったとは驚きです。改めて、日本と朝鮮半島の結びつきを知りました。それなら、帰国の便を確保するにはわけないですね。ありがとうございました。勉強になりました。