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遣隋使の帰国方法
遣隋使の小野妹子とともに中国へ渡った恵隠という僧は、新羅を経て帰国したそうですが、当時の新羅には、日本への定期便などは無かったでしょうから、一体、どのようにして、日本へ渡る船を確保したと思われるでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
恵隠は個人的に船を調達して帰国したわけではありません。新羅の朝廷が恵隠らを日本に送り届ける名目で派遣した使節(新羅送使)にともなわれて帰国しています。恵隠の帰国は639年ですが、このころ新羅と日本の外交関係は非常に緊密で、新羅から日本への使節派遣は、7世紀の100年間に計52回もあり、とくに638年以降はほぼ毎年(白村江の戦いで関係が悪化した10年ほどを除く)派遣しています。事実上、定期便があったようなものといえるでしょう。
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- あずき なな(@azuki-7)
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回答No.3
東隠は確か 遣隋使の返礼の使者として隋からやってきた船に一緒にのって帰国したんじゃなかったっけ
質問者
お礼
お経を解説した本に、新羅から帰国と書いてありましたが… ありがとうございました。
- fujic-1990
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回答No.1
どこかの本に書いてあったという話ではありませんが、可能性で消去していくと、「商船に便乗させたもらった」ということ以外に想像はつかないですね。 もちろん、こん日言うようなマトモな商船ではなく、時と場合によっては海賊船にもなってしまうような荒くれ男たちが乗り込んでいる船だったでしょうけど、そういう船に、隋から与えられたお土産などを全部渡して、乗せてもらったのだろうと想像します。
質問者
お礼
なるほど。そういう可能性もあったかもしれませんね。ありがとうございました。
お礼
そんな大昔に、それだけの便があったとは驚きです。改めて、日本と朝鮮半島の結びつきを知りました。それなら、帰国の便を確保するにはわけないですね。ありがとうございました。勉強になりました。