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英軍がMametz Woodで進撃、逆襲を撃退し800人以上の捕虜を獲得
- 7月3日午前9時、XV軍団はFricourtから北進し、17師団は11時30分にドイツの機関銃の攻撃による遅延があったものの、Railway Alleyに到達しました。
- 21師団の兵士がBottom Woodに進軍し、21師団と7師団の部隊がBottom Woodを占領しました。
- Mametz Wood周辺でワイヤーカットを開始し、7師団の51旅団は約500人の損害を出したものの、進撃を続けました。また、21師団の62旅団はShelter WoodとBirch Tree Woodに進軍し、ドイツ兵の反撃を撃退しました。英軍は185師団の第186歩兵連隊、12師団の第23歩兵連隊、28予備師団の予備歩兵連隊109、110、111から800人以上の捕虜を獲得しました。
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>At 9:00 a.m. on 3 July, XV Corps advanced north from Fricourt and the 17th Division reached Railway Alley, after a delay caused by German machine-gun fire at 11:30 a.m. A company advanced into Bottom Wood and was nearly surrounded, until troops from the 21st Division captured Shelter Wood on the left; German resistance collapsed and troops from the 17th Division and 7th Division occupied Bottom Wood unopposed. Two field artillery batteries were brought up and began wire cutting around Mametz Wood, the 51st Brigade of the 7th Division, having lost about 500 casualties. ⇒7月3日の午前9時、第XV軍団はフリクールから北へ進軍し、第17師団は、ドイツ軍の機関銃砲火にせいで遅れたが、午前11時30分レールウェイ・アレー(鉄道路地)*に到着した。1個中隊がボトム・ウッド(森林奥地)*へと進軍したが、第21師団からきた軍隊が左翼のシェルター・ウッド(退避林)*を攻略するまでは、ほとんど(敵に)包囲されていた。ドイツ軍の抵抗は急に衰え、第17師団および第7師団から来た軍隊が、抵抗を受けることなく「ボトム・ウッド」を占拠した。2個の野戦砲兵中隊が呼び出され起用されて、第7師団の第51旅団のマメッツ森林周囲で回線切断を開始したが、およそ500人の犠牲者を出した。 *これらの語は、地形や建造物などの特徴を半ば固有名詞扱いにする呼称法(例えば、「中ノ島」、「富士見坂」などと同じ語法)。次節のバーチ・トリー・ウッドなども同様である。 >In the 21st Division area on the boundary with III Corps to the north, a battalion of the 62nd Brigade advanced to Shelter Wood and Birch Tree Wood to the north-west, where many German troops emerged from dug-outs and made bombing attacks, which slowed the British occupation of Shelter Wood. German troops were seen by observers in reconnaissance aircraft, advancing from Contalmaison at 11:30 a.m. and the British infantry attempted to envelop them, by an advance covered by Stokes mortars*, which quickly captured Shelter Wood. ⇒第III軍団と北で境界を接する第21師団地域では、第62旅団の1個大隊が北西のシェルター・ウッドとバーチ・トリー・ウッド(樺林)へ進軍した。そこで、多くのドイツ軍隊が退避壕から出てきて爆破攻撃をしたので、英国軍のシェルター・ウッドの占拠が遅れた。ドイツ軍隊は、午前11時30分にコンタルメゾンから進軍するところが航空偵察隊によって観察された。それで、英国軍歩兵連隊が、ストークス迫撃砲*による掩護を受けながら進軍して彼らの包囲を企て、迅速にシェルター・ウッドを攻略した。 *Stokes mortars「ストークス迫撃砲」:1915年に英国のウィルフレッド・ストークスが開発した迫撃砲で、近代野戦砲の基本となった。第一次世界大戦で広く使用され、ストークスはこの迫撃砲の発明1つで巨万の富を築いたという。 >The British repulsed a counter-attack at 2:00 p.m. with Lewis-gun* fire and took almost 800 prisoners from Infantry Regiment 186 of the 185th Division, Infantry Regiment 23 of the 12th Division and Reserve Infantry Regiments 109, 110 and 111 of the 28th Reserve Division. The 63rd Brigade formed a defensive flank, until touch was gained with the 34th Division at Round Wood. ⇒英国軍は、午後2時にルイス銃砲火*で反撃隊を撃退して、第185師団の第186歩兵連隊、第12師団の第23歩兵連隊、および第28予備師団の第109、110、111予備歩兵連隊から、ほぼ800人の囚人を捕縛した。第63旅団が、ラウンド・ウッド(円形林)で第34師団との接触が得られるまで、防御側面軍を張った。 *Lewis-gun「ルイス銃」:米国で設計され、英国で大量生産された軽量自動小銃で、特に第一次世界大戦で多用されたが、その後も朝鮮戦争まで使用された。
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