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獄門、斬首について。
獄門、斬首について教えて頂けませんか。映画やドラマで市中引き回しの上、獄門とか奉行所がいいますが、実際、日本刀で人の首をバッサリ斬れるものなのでしょうか。
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バッサリ斬り落とすことはできます。 できるからこそ、切腹や斬首という処刑方法が定められていました。 ただし、そうとうな熟練が必要です。 映画やドラマにも出てくる介錯人というのは相当に腕がたつ人でした。 江戸時代にも江戸の牢獄には代々山田 浅右衛門と名乗る専門の人がいました。 映画やドラマだけではなく、1970年(昭和45年)に三島由紀夫の首が斬り落とされたことがあります。 下記のサイトにもありますように素人がやると上手く行きません。 参考 三島事件 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/三島事件 抜粋 尊敬する師へのためらいがあったのか、三島の頸部に二太刀を振り降ろしたが切断が半ばまでとなり、三島は静かに前の方に傾いた。まだ三島が生きているのを見た小賀と古賀が、「森田さんもう一太刀」「とどめを」と声をかけ、森田は三太刀目を振り降ろした。総監は、「やめなさい」「介錯するな、とどめを刺すな」と叫んだ。 介錯がうまくいかなかった森田は、「浩ちゃん頼む」と刀を渡し、古賀が一太刀振るって頸部の皮一枚残すという古式に則って切断した。最後に小賀が、三島の握っていた短刀で首の皮を胴体から切り離した。 人の首を斬るというのは技術や切れ味よりも精神的に相当な負担が掛かります。 物理的に切るだけであれば、竹に湿らせた藁を巻いたものを切ります。 これは人の首の骨を含めた強度に相当します。 上達すれば女性でも切れます。 you tubeに動画があります。 女剣士横並び試斬.mp4 投稿者:miyasennin さんのチャンネル 獄門というのは斬りおとした首を台に載せて人目にふれるように刑場の横にさらすことです。 首を斬るだけの場合は下手人と呼ばれていました。 獄門になると遺体を遺族が引き取ることも出来ませんでした。 TVの刑事ドラマなどで犯罪者を下手人と称していますが本来の用法とは違います。 元々「解死人」という言葉に由来する言葉でした。
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No.2です お礼を頂戴しました。 お礼に追加のご質問がありました。 >首を切った人は何の罪に問われるんでしょうね。 最初に手を下した森田某は自身も自害して首を斬られていました。 残りの3名は最後に両者の首をはねた古賀某を含めて 監禁致傷、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反、傷害、職務強要、嘱託殺人とされて懲役4年の実刑を受けていました。 >獄門と下手人は違うんですね。 江戸時代に首を斬り落とす刑罰は、武士の場合は切腹でした。 切腹というのは腹部を切るだけでは絶命しませんので、介錯人が首を斬りました。 中期以降になると、罪人は実際に腹部に刀を刺すということもしないで、扇子を閉じた状態で腹部に当てるだけでした。 武士以外の者に適用されるのは、下手人、死罪、獄門の三つがありました。 幕末の近藤勇は郷士だったことから武士とはされずに切腹ではなく下手人として斬首されました。 違いは、下手人であれば遺体の埋葬がゆるされました。 死罪と獄門の場合は、遺体が試し切りに使われました。 江戸時代に刀を新たに誂えた場合、この試し切りをしてもらって、良く切れましたという主旨の文書が発行されて、時には刀の付け根に彫り込まれました。 このお礼が、首切を請け負っていた山田浅右衛門の貴重な副収入でした。 死罪も獄門も遺体の埋葬はゆるされませんでした。 刑場に放置されていました。 腐敗するとともに野犬や野鳥に食い荒らされていました。 幕末に伊藤博文が吉田松陰の遺体を盗みだしたと言われています。 江戸の小塚原ではこれを見かねた回向院の住職が供養のために巨大な地蔵像を建てました。 現在もくびきり地蔵として残っています。 この時にお堂も同時に建ててましたが、それが現在の南千住回向院です。 大阪ではこの南千住回向院に相当するのが法善寺です。 この法善寺の門前町が現在の大阪みなみの繁華街の前身です。 獄門は、斬首後に首を人目につくようにさらしました。 死罪も獄門も罪状が更に重い場合は、市中引き回しと言って、斬首前に馬に罪人を載せて江戸市中を一回りしました。 江戸時代の刑罰は犯罪を抑制するためのみせしめの意味が最大の目的でした。 百叩きなどいわれる鞭打ちなども公衆の面前で叩きました。 島送りも人目につく河岸から出航させていました。 みせしめだけでは犯罪の抑制効果が少ないということで、鬼平こと長谷川平蔵(長谷川宣以)が、石川島に人足寄場という軽犯罪者の更生施設をつくりました。
お礼
ご回答者様。更なるご回答ありがとうございます。 しかし、ご回答者様は現代史から江戸時代の歴史まで随分、精通なさっておられるのですね。感服しております。 ところで、極刑とはいえ、いろいろあるものですね。 下手人に死罪、獄門。ただ、その目的は犯罪の抑止効果。 現在と変わらないかもしれませんね。 それと三島由紀夫。森田某は自害しているんですね。それだけ、命賭けって ことなのでしょうね。自殺ほう助かなとチラッと思いましたが、嘱託殺人なのですね。大変、勉強になりました。重ね重ねありがとうございます。
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>獄門、斬首について教えて頂けませんか。 ★まずは、獄門=斬首刑の一つです。 三日間、斬られた首が小塚原か鈴ヶ森の刑場に晒(さら)されました。 ★幕府で定められた刑罰は「御定書百箇条」(おさだめがきひゃっかじょう)に書かれてあり、 庶民の刑罰としては、軽い方から・・・。 ◎過料・・・罰金刑。 ◎閉戸(とじこめ)・・・日数を区切って外出の禁止。 ◎手鎖(てぐさり)・・・日数を区切って、両手に手錠をかけられた。 ◎呵責(しかり)・・・いわゆる「厳重注意」です。 ◎押込(おしこめ)・・牢に入れられる。しかし、現代のような「懲役刑」はありませんでしたので、さしむき、「禁固刑」といったところでしようか。 ◎敲(たたき)・・・・牢屋敷の門前に筵(むしろ)を敷き竹に割れ目を入れた(茶の湯で使う茶筅(ちゃせん)を大きくしたようなもの)で50敲、とか100敲、があった。 ◎追放(ついほう)・・これは、江戸からの「追放刑」です。この追放刑にも7種類ありました。 *重追放(じゅうついほう)・・・江戸からの場合は、武蔵、相模、上野、下野、安房、上総、下総、常陸(ここまでで関八州)。 さらに遠くへは、山城、大和、摂津、和泉、肥前、東海道筋、木曽路筋、甲斐、駿河及び現住国と犯 罪地から追放。 京都で執行される場合は上記の他に河内、近江、丹波が加わる。田畑、家屋敷、家財は闕所(けっしょ=没収)。 *中追放(ちゅうついほう)・・・武蔵、山城、大和、摂津、和泉、肥前、東海道筋、木曽路筋、下野、日光道中、甲斐、駿河および現住国と犯罪地から追放。田畑、家屋敷が闕所。 *軽追放(けいついほう)・・・江戸の場合は、江戸十里四方、日光、日光道中および現住国と犯罪地から追放。田畑が闕所。 京や大坂の京、大坂、東海道筋の居住禁止。など。 *江戸十里四方追放・・・日本橋から十里四方立入禁止。農村部の者は居住地の村も立入禁止。 五里四方、という刑もあった。 *江戸所払い・・・品川、板橋、千住、四ッ谷大木戸の内より追放。 *所払い・・・・農村部の者はその居村から追放、江戸および市街地の者は、その居町から追放。 *門前払い・・・奉行所の門前から追い放つ。一種の「保釈」のようなもの。 面白いところでは、このような各種追放刑を受けた者でも、江戸に住んだ者もいました。そして、草鞋(わらじ)履きで町中も堂々と歩いていました。 もし、奉行所の同心などに見つかっても、「(追放の)旅の通りすがりです」と言い訳をしました。 つまり、追放刑を受けた者でも、江戸の町を通過したり横切ったりすることは認められており、それを口実にしたのです。同心も「あやしいな?」と思いながらも見逃していました。 ◎遠島(えんとう)・・・(江戸の場合は)佐渡、伊豆七島(大島、八丈島、三宅島、新島、神津島、御蔵島、利島)へ送る。のちに八丈、三宅、新島の三島に限定。田畑、家屋敷、家財は闕所。 (京、大坂、西国、中国の場 合は)薩摩、五島列島、隠岐、壱岐、天草郡へ送る。田畑、家屋敷、家財は闕所。 ◎死刑(死罪)・・・これにも6種類ありました。 *下手人(げしゅにん)・・・斬首刑。希望があれば、身内に死体を引き渡して埋葬が許された。 *死罪・・・・・・・・・・・斬首刑。死体は様斬(ためしぎり)にされた。死体は希望があれば身内に引き渡されたが弔い(とむら=葬儀)をすることは許されなかった。 *火罪・・・・「火炙りの刑」とも呼ばれた。放火犯に限られていた。 有名なところでは、「八百屋お七」がありますが、お七が十七歳位であったことが考慮されて、実際には牢内で首を絞めて死亡した死体を火炙りにしました。 *獄門・・・・・斬首刑。三日間、斬られた首が小塚原か鈴ヶ森の刑場に晒された。 *磔(はりつけ)・・・十字形の柱に縛られ、槍で突き殺された。その後三日間処刑場に晒された。 *鋸挽(のこぎりびき)・・・反逆罪に限られていた。市中引き回しのうえ、二日間、処刑場に首だけを出して身体は土中に埋められる。そのそばに鋸が置いてあった。その後は磔の刑に処せられた。 一種の「見せしめ刑」で、誰でも鋸で首を挽いてもよいことになっていたが、人々は恐れて近づくことさえしなかった。しかし、江戸時代の中期に酒に酔った男が、本当に鋸で首を挽いて犯罪者を殺してしまった。挽いた男は、一応は「尋問」を受けたが罰せられることはなかった。 ★執行場所は、「斬首」が牢屋敷内の首斬場。「獄門」と「磔」が小塚原か鈴ヶ森の刑場。「鋸挽」は日本橋の晒場で、その後は小塚原か鈴ヶ森の刑場。 ★女性の場合の特殊刑 ◎剃髪(ていはつ)・・・女の命である髪を削ぎ落とした。丸坊主にした。 ◎奴(やっこ=奴婢・ぬひ、とも呼ばれた)・・・主に奉行所出入りの大店(おおだな)の商人に約30両位で引き渡され、一生涯店で「ただ働き」をさせられた。 幕府は「人身売買」を禁止していたので、名目上は「身元引受料」として奉行所へ金銭を支払って払い受けた。 ★武士の場合 「逼塞」(ひっそく)、「閉門」、「蟄居」、「改易」、「預」、「切腹」、「斬首」など。 ★僧侶の場合 「構」(かまえ=寺のある地域からの追放)、「追放」(寺だけからの追放)、「晒」(さらし=日本橋に三日間位晒し者にした)。 *「晒」は「女犯」(にょはん=女との情交)をした者が対象。 (よもやま話) ★「斬首の刑」では、牢屋同心が執行することが義務付けられていましたが、誰もが嫌がったため、山田浅右衛門(やまだ せんえもん)という浪人に「御腰物奉行御用」という役職名を与えて、首斬りを専門にやらせた。その後の死体を使って、大名家などから頼まれた刀の切れ味を鑑定する「様斬」(ためしぎり)をした。 山田家では、刑死者の亡霊が現れるのを防ぐため、夜になると必要のない部屋にも蝋燭を灯した。また、裏手の納屋には刑死者から取り出した「胆」(きも・肝臓や胆のう)が干してあり、それをすり潰して「人胆丸」(別名・「山田丸」)という薬を作り、不老長寿に効くとして売っていた。 ★死刑場には土を、畳一枚位の幅と高さに土を盛り上げてあり、これを「土壇場」(どたんば)と呼んだ。その前に四角の穴が掘ってあり、斬首の刑に処せられる者はその土壇場に座らされ首を前に突き出して首を刎ねられた。 現代でも、もうどうにもこうにもならない状態やもうどこにも逃げられない状態を「土壇場」と言うが、ここからきている。 まだまだありますが、概略的にはこのようなところでしょうかねぇ・・・。
お礼
ご回答者様。ご回答ありがとうございます。 それにしてもずいぶんとまあ、刑罰がいろいろあったんですね。 あと、八百屋の娘さんは事前に”処理”されていたんですね。 こういうのを”人道的”とでもいうんでしょうか。 それに土壇場の語源はここから由来してるんですね。 いろいろなお話、ありがとうございます。
- eroero4649
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首を下に曲げると、後頭部の頭蓋骨である後頭骨と環椎(第一頸椎)の間にそこそこの隙間ができます。ここのところに刃物を上手く滑らせていくと、意外とそんなに力なく首を斬り落とすことができるそうです。首の骨には神経と動脈が通っていますから即死させることができるのです。 熟練した首切り職人は、途中で力を抜いて文字通りに前方の首の皮一枚を残すそうです。そうすると落とされた首から動脈の血が勢いよく吹き出さないので周辺も汚さないのだとか。こうなるとテレビ番組で「匠の技」と紹介するレベルになるそうですけどね。 日本刀と同じ作りで作られた和食調理人向けの包丁ってのがあるそうですが、そりゃあそりゃあスパスパ切れるそうです。「硬い魚の頭もスパスパいっちゃう」そうです。調理人さんから直接聞きました。憧れの一品らしいですが、やっぱりものすごくお高いそうですよ。
お礼
ご回答者様。ご回答ありがとうございます。 なんか外科のウィキペディア?を読んでいる気がしました。 骨を切るというより筋を切るって感じですね。 どちらにせよ、空恐ろしい話です。 恐ろしい質問をしてしまったと思います。 ご回答ありがとうございます。
- nijjin
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上手い人なら切れたそうです。 江戸時代の死刑-山田浅右衛門家の話 http://www.uraken.net/rekishi/reki-nihon012.html あと、アニメなんかではピストルから放たれた弾丸を切っていますがこれも可能なようです。 弾丸 VS 日本刀 https://www.youtube.com/watch?v=Af736wK5Tys
お礼
ご回答者様。ご回答ありがとうございます。 汚れ仕事は外注するってのは、何かわかるような気がします。 武士とかって対面とか世間体が第一って感じです。 首の皮一枚なんて伝説ぽいですね。 それだけ、神業的だし、そうでもしなくては世襲化されなかったのでしょうね。どうもありがとうございます。
お礼
ご回答者様。ご回答ありがとうございます。 ご回答者のご指摘通り、斬首のする側の精神的な負担は計り知れない程だと 思います。三島由紀夫の”事件”は知ってましたが、こうしたエピソードがあったんですね。ところで話が横にそれてしまいますが、首を切った人は何の罪に問われるんでしょうね。ところで、獄門と下手人は違うんですね。 獄門の方が重そうですね。