戦争遺跡にみえる皇軍の実力(非力)
戦争遺跡は史跡として保護すべきでしょう。
とくに小笠原の戦争遺跡は史跡として保護し、後世に伝えるべきだと考えます。いかがでしょうか。
本土の戦争遺跡はただの穴倉にすぎませんが、小笠原の遺跡はただの穴倉ではありませんでした。小笠原でトーチカ、塹壕、弾薬庫、砲台、通信所、照明探照灯、地下トンネル、トロッコの残骸を見てきました。丸1日以上の船旅を現状でも強いられる南洋の果て、諸島の南端となれば周りにはもう島がなく、はるか太平洋です。
そこで皇軍の実力を最下等と判定する戦争遺跡がありました。
遺跡では野望と熱に浮かされた軍人たちの無闇なパワーをジャングルのウネリくねった尾根の先に据えられた砲台と8メートルくらいはあろうかという重い鉄の砲身、トロッコ、海岸付近から山頂まで続く地下トンネルの見学に体験しました。
広い海原を撃ってくれとわざわざ船に乗って母島に近づいてくる敵軍があると皇軍は考えたようです。
でもテニアン島の飛行場から新潟や長崎を空爆する米軍が、小笠原の皇軍から見える場所に撃ってくれとみよがしに来るわけがありません。敵船航路を挟撃するお台場でないと意味のない砲台が、大海原の小笠原に作られたのです。皇軍の実力は非力と判断できます。
きっと大将には戦争の経験もなく知略を謀るほどの知能がなかったのでしょう。内地では鍋釜、五右衛門風呂が無理矢理に供出され、その鉄で作った砲台です。
ただの穴倉ではない戦争遺跡を保存し、加えて皇軍の非力と狂気を証明する資料を非戦の誓いをあらたにするために揃え、解説をつけて戦争遺跡を保存して開陳すべきだと思いました。皇国軍を映す鏡となって、のちの世の反戦のために役立つでしょう。
私の父は3度前線に砲兵として赴任しました。以前には父が戦争体験を幼い私に話し、砲で勝つために必要な条件と技術を伝えてくれました。敵に先んじて、敵の砲台位置と砲塔数、部隊規模を知る情報戦、そして実力が対等より上まる敵には自らの姿をしらせず、気づかせぬまま位置を静かに後退して、敵が単数になる機会を待つ。機会を得たら3発までに撃ち崩し、また敵援軍から姿を隠す。一発目で命中するはずはない。着弾を測定し、計算によって照準を補正せねばならないそうです。3発を撃つのに5分前後に短く、計測と計算を正しくなさねばならないそうでした。火ぶたを切った、敵より先んじている時間が勝利の条件です。
従って、着弾を測定できないでは計算できないでは砲戦に勝てるはずがないのです。
ところが小笠原の砲台は地中の中でした。わずかに開いた窓から敵に砲先を向けるのです。弾を打てば砲台の周りは火薬の煙で目つぶしされます。相手が見えなくなるので、煙を追い出さねばなりません。
でも小笠原の砲台は煙を追い出すことのできない地中でした。敵に姿と位置を知られても砲を持ち出して逃げられぬ地中でした。煙幕弾を浴びせられたら、次弾の一つも命中に導けぬまま、計算もできずに成す術のない地中でした。
知る限り皇国軍はとんでもなく非力だったのです。
お礼
ありがとうございました。