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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:戦争遺跡にみえる皇軍の実力(非力))

戦争遺跡にみえる皇軍の実力(非力)

このQ&Aのポイント
  • 戦争遺跡は史跡として保護すべきでしょう。小笠原の戦争遺跡は特に価値があり、後世に伝えるべきです。
  • 小笠原の戦争遺跡はただの穴倉ではなく、トーチカ、塹壕、弾薬庫、砲台などがあります。皇軍の実力を反映しています。
  • 戦争遺跡を保存して展示すれば、皇国軍の非力さと狂気を証明する資料となり、反戦の意識を高めることができます。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#212724
noname#212724
回答No.2

 まさに今こそ質問者様のお話が役に立つでしょう。でも『戦争できる国』を目指す今の政権が貧弱な日本軍の戦争遺跡を公開するなんてやるはずもありません。こんな状況だって『お国のために戦った』って解釈でしょうね。貴重なお話ありがとうございました。

masaban
質問者

お礼

意図を酌んだご回答をありがとうございます。

masaban
質問者

補足

小笠原では有料ガイドの案内で遺跡巡りがあります。行って見られると、きっと戦争の狂気じみた人間の活動パワーに驚くと思います。すごい暑い蒸し風呂の気候のなかで、足元のおぼつかない谷間をトラックよりも重い砲塔を持って、集団で半日も行進する。そんな軍人の姿があたかも目の前に浮かび現れる体験となります。山の中腹に発した地下鉄のようなトロッコトンネルやスキー場のようなロープウエーが海岸から山頂の基地へあったそうです。一見の価値があります。  有料ガイドも案内しない、隠されたとんでもない大きな遺跡も多数が島内いたるところに散らばっています。小笠原のありのまま、そのままの姿をみて、遺跡の姿を変えることないように注意して、巡って見られてはいかがでしょうか。いたるところ隠れた穴、秘密基地が散らばっています。  しかし島内には自然に慣れていない都会人には気が付かない天然記念物が、姿か弱く足元にありますし、特殊な生態系なので、日ごろの散歩のような歩き方ではいけません。消毒された内履きでないと土中の生物を痛めるそうです。それも楽しんで秘密の世界を歩くのも一興です。

その他の回答 (3)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11204/34805)
回答No.4

>ところが小笠原の砲台は地中の中でした。わずかに開いた窓から敵に砲先を向けるのです。弾を打てば砲台の周りは火薬の煙で目つぶしされます。相手が見えなくなるので、煙を追い出さねばなりません。 小笠原諸島の戦跡で検索して調べたのです。 http://www.h2.dion.ne.jp/~mulberry/sennseki-photo.htm このページを拝見したのですが、地中に入っているというのはどれが近いのでしょうかね。お話しを伺う限りでは、「夜明山戦跡群」がいちばんしっくりきます。もし「これだ」とおっしゃるならば、失礼ながら失笑を禁じえません。 もしご指摘が41式山砲のことを指すならば、それは普段(保管)のときは山の中に置いておき、いざ撃つときは出入口(近くにあったはずです)から砲を外に出して撃ち、敵の観測機などが近づく前にまた山の中に隠すのです。 もし88式高射砲のような状態の物を指すのであれば、これはトーチカといいまして、直接照準で敵の戦車などを狙い撃つように作られたものです。敵から反撃を受けたときにやられないようにコンクリートで守っているのです。 似たようなものに、お城の「狭間(はざま)」というのがあります。トーチカ(狭間)はそれこそ戦国時代のお城よりありまして、アメリカ軍もソ連(ロシア)軍もドイツ軍も世界中の軍隊が同じものを作っています。 もし、ご指摘が「小港岬海軍海面砲台」のようなものを指しているのであれば、同じような海岸砲はあのドイツ軍もノルマンディーなどに沢山作っていましたよ。これも世界中の軍隊が同じように作るものです。 おそらく泉下におられるであろうお父さまがお嘆きだと思うので、きちんとそれがどういう大砲でどのような使い方のものであるかを下調べしたうえで最下等であるかどうかをご判断されるべきかと存じます。 なお、旧軍を最下等と罵るのは、お父さまの任務を侮辱しておられることを自覚すべきとも存じます。鍋釜を溶かして作った鉄とは失笑せざるを得ません。当時の日本はクズ鉄の100%をアメリカから依存していたのです。鋼鉄を精製するためには、クズ鉄が必要です。そのクズ鉄が足りないから鍋釜などの供出を求めたのです。「結局その鍋釜を溶かしたんだから鍋釜からできたものだ」と主張されるのであれば、プリウスの車体の鉄板を作るのにもクズ鉄が使われていますから、「プリウスはクズ鉄からできている」と主張することも可能となります。もちろん、プリウスどころかベンツやBMWも。 なお、小笠原諸島を始めとする南方の島々に残る戦跡ですが、高温多湿のジャングルでは、その保全は非常に難しいといえるでしょうね。そして保護という名の「観光地化」が果たして質問者さんが望まれる意図に繋がるかについても疑問は残る部分はあります。 しつこいですが、批評をするのであれば、きちんとした基礎知識くらいはもちましょう。質問者さんがおっしゃることは算数が落第点だった人が「三角関数なんか分かって何の役に立つのか」というのに通ずるものがあります。

masaban
質問者

お礼

長い回答をありがとうございました。補足に時間を遊ばせていただきました。

masaban
質問者

補足

お詳しいですね。 Q>>・・砲台の周りは火薬の煙で目つぶしされます。相手が見えなくなるので、煙を追い出さねばなりません。 eroero4649様>A ・・小笠原諸島の戦跡で検索して調・・-photo.htm このページを拝見したのですが、「夜明山戦跡群」がいちばんしっくりきます。もし「これだ」とおっしゃるならば、失礼ながら失笑を禁じえません。  私も最近は、第2次世界大戦の映像をテレビ番組で見る機会が少ないですが、かつてテレビっ子だった時代に世界大戦の砲戦の実写映画を多数みる機会がありました。映像には砲撃の都度に砲台の姿の数倍の体積を覆いかくして、周囲には白煙が立ち込めなかなか煙の去らぬ様子がありました。  ですから、夜明け山はもっとひどく白煙が立ち込め、めくらになります。 そして似たような白煙に弱い閉鎖トーチカが小笠原には多数あります。湾内を標的にするより広大海面に向いた砲台のほうが多いようです。  ご回答者は当時の砲撃で煙火が濃く立ち込めることを、ご存じないようですね。自分の目で、時代の映画をご覧になるべきでしょう。  砲撃照準法は第2次世界大戦では測距計が双眼鏡または、双の距離が大きく隔てられた光学式2眼鏡によってなされている時代で、方向誤差、距離誤差があり弾の破裂効果よりも着弾誤差が大きいので、なかなか効果がでないそうです。  現代のような自動測定器の無い時代です。そして弾道計算の兵学も、気圧、風力、湿度、地域特性、高度、等々の詳細のない演算だったはずです。  高校や大学で習う程度の弾道計算では命中しないのです。  だから直前の着弾点から次回に仰角、方向などを修正しつつ、敵の反撃が大きくなる前に敵の砲台を無力化し、さらに周囲に現れる敵援軍の追撃をかわさねば生きて日本に帰れないのです。  その砲撃数発分、時間にして5,6分のアドバンテージがないと敵に勝つことができません。。 >A もしご指摘が41式山砲のことを指すならば、 すごい詳しいですね。でもレベルが戦わずに敗れた小笠原駐留部隊のまま非力に進歩してないようですね。 >A それは普段(保管)のときは山の中に置いておき、いざ撃つときは・・また山の中に隠すのです。  小笠原で砲台のターレットはトーチカ内のコンクリにボルト止めで、車輪移動はできない設備でした。ですから移動不能です。小笠原で、山中は険しくもし車輪をつけて移動したら、崖めがけて転がり落ちることでしょう。現地で体験されるとわかります。 >A もし88式高射砲 すごい詳しいですねびっくり。もはやオタク?それとも亡霊となった大将ですか >A トーチカといいまして、直接照準で敵の戦車などを狙い撃つように作られたものです。敵から反撃を受けたときにやられないようにコンクリートで守っているのです。  コンクリートで守られています。その通りのトーチカですが、窓は海を向き、200メートルほどの崖の中途です。崖の残り50mがまだ上方に聳えて、崖の中腹に窓があります。海に戦車はいませんが、戦車はどのくらいの距離でトーチカに」対峙するのでしょう。戦車はどうやったらトーチカの窓の前に来てくれるのでしょう。おびき寄せなければトーチカに勝ちはありません。敵の前進を峡谷山中に邪魔することがトーチカにできるかもしれません。地の利がないとトーチカには利点がないのです。  大海原に峡谷はありません。奥の細道もないので、トーチカに地の利はありません。大海原の戦艦やモーターボートをむいて、1発撃ったところで戦果の上がるはずのない、まるで無力な小笠原のトーチカですから、現地を見てきて納得なさってはいかがでしょう。 >A ・・、お城の「狭間(はざま)」・・世界中の軍隊が同じものを作っています。  白兵戦では有効でしょう。でも現代には戦争終結で上陸瞬間まで肉弾が対峙する全く白兵戦の機会はありません。 これからの戦争の大勢は遠隔のドローンから撃たれた、水爆を載せたミサイルによって、決定します。水爆にもトーチカは無力ですし、超硬度のウラン製弾頭にはトーチカのコンクリや岩石は貫通されてしまいます。  そして当時の太平洋戦争時代では、小笠原の目視範囲の大海原に船影も見せない敵だったから、トーチカはやはり無用の長物です。  >A ・・海岸砲はあのドイツ軍もノルマンディーなどに・・ 無駄知識をひけらかしても回答の役には立ちません。 >A おそらく泉下におられるであろうお父さまがお嘆きだと思うので、 とんでもありません。私の学習力、吸収力には父がたいへんに喜んでおりました。素早く正しく算数を演算するよう教えられました。正しく押し際と引き際を判断するようにも教えられました。  父には砲兵戦法を正しく身に着けて、速算、正確な計算と判断に邁進するよう教えを受け、生活と学力において正しく実践したのです。ですから父は喜んでいます。  さらにkaitra1様に宛てた補足質問の欄をご覧ください。父の言葉の要約です。 「戦闘員にしても命は大事です。・・・・補給が途絶えれば後の食料すらありません。そもそも食料を徴用・・実態は近隣の村を襲って集めるので野盗の集団です。殺人と野盗の殺戮でPTSDになった方々が徴兵された軍人のほとんどだったようです。・・精神を野盗や人殺しにまで歪めるために日常のビンタ、営倉、員数点検という名の靴下や、褌や身の回り品の盗み命令を繰り返し、いい人は首を括って自殺・・・愚連隊だから生き残ったといっています。」 をご覧ください。父の言葉によれば、軍力を崇めるとは、愚連隊を崇めることにしかずということです。  父は自らの姿を鏡に映すがごとく、静かに自省することのできる人間でした。 >A きちんとそれがどういう大砲でどのような使い方のものであるかを下調べしたうえで最下等であるかどうかをご判断されるべきかと存じます。  きちんとすると、この回答のレベルですか。全く不足です。映画で白煙もうもうの砲兵戦を見たこともないようですね。そんなんじゃ負け戦しか、待っていません。 >A なお、旧軍を最下等と罵るのは、お父さまの任務を侮辱しておられることを自覚すべきとも存じます。  父の言葉をお伝えします。kaitra1様に宛てた補足質問の欄をご覧ください。 「・・実態は近隣の村を襲って集めるので野盗の集団・・殺人と野盗の殺戮・・精神を野盗や人殺しにまで歪めるために日常のビンタ、営倉、員数点検という名の靴下や、褌や身の回り品の盗み命令を繰り返し、いい人は首を括って自殺・・・愚連隊だから生き残った」 といっています。 >鍋釜を溶かして作った鉄とは失笑せざるを得ません。・・当時の日本はクズ鉄の100%をアメリカから依存していたのです。  回答に何を主張されたいか理解できません。論点にそぐわない無駄なくず知識です。 >鋼鉄を精製するためには、クズ鉄が必要です。そのクズ鉄が足りないから鍋釜などの供出を求めたのです・・、プリウスどころかベンツやBMWも。  残存している砲塔の鉄成分が鍋釜だとは私も思ってはいません。鋳鉄銑鉄を製錬し鋼を作るとき、不要成分を吸い取らせる上澄みとして、製造工程に必要なのでしょう。小笠原に今も腐らず残る砲塔が鋼で作られていたか、日本に溶解温度の十分な高炉があったのか、それは私の知識外ですが。鋼は腐っても、鋳物は腐らず長い期間を超えて湿気の中でも残りますね。残っているということは鋳物部分でしょう。  ですが、お兵隊さんの鉄砲と、飛行機、船のために鍋釜が無理矢理に盗まれたのです。お寺の釣り鐘も盗まれたのです。先祖の供養のために備えた鐘を喜んで獲られるものですか。  回答者は変に論理をゆがめようと、話の方向をベンツBMWへ結んで、あきれさせてくれますね。  我田引水も2015/9/9の大雨のように大洪水です。大丈夫ですか、日ごろの生活できていますか。 >A なお、小笠原諸島を始・・「観光地化」が果たして質問者さんが望まれる意図に繋がるかについても疑問は残る部分はあります。  そのとおりです。まともなご回答をありがとう。 >A しつこいですが、批評をするのであれば、きちんとした基礎知識くらいはもちましょう。質問者さんがおっしゃることは算数が落第点だった人が「三角関数なんか分かって何の役に立つのか」というのに通ずるものがあります。  質問では批評を回答者に対して行ってはいません。小笠原のトーチカと砲台が無用の長物であることを伝えました。そしてそのよう砲台が非力で無力で用無しであることを評しました。  回答者に対する評ではなく、砲台に対する評ですが、それでも敵意をお持ちになったようです。  不足な回答です。論理正しく考え、論理正しく行動しましょう。認識正しく知識を集めましょう。自分の望む方向へ現状の姿をゆがめてはなりません。少なくとも姿を鏡に映してなんでなのと考え続けてみるべきです。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1159/9192)
回答No.3

もともとこじんまりとして生きていければよかったのだが、戦争好きの欧米列強の脅威に対抗するために軍備を無理して増強した結果の戦争だったので、日本人はあまり戦争は好きでない。当然その場しのぎのようなことしかできなかった。戦争遺跡に意味があるとすれば日本人は戦争に向いていないというか、戦争が好きでないということを納得させることではないでしょうか。何のかんの言って世界で最も平和な国ではないでしょうか。アメリカの庇護のもとというのも当たっているかもしれないが、それ以上に日本人は戦争が嫌いなのだと思います。

masaban
質問者

お礼

いい回答をありがとうございます。

masaban
質問者

補足

>もともとこじんまりとして生きていければよかったのだが、・・日本人はあまり戦争は好きでない。  いまの私たちはおっしゃる通り戦争は好きでないと賛成同意します。  でも勢いづくと何をしでかすか分からない国民性でもあるようです。江戸から明治時代へと変遷した戦、ついでにロシア艦隊ともやりあいました。大喜びで夜明かしの提灯行列をしたそうです。昭和に入る前には豊臣秀吉がしたがごとく、韓国へ出陣、併合、そんなお調子ものの性格が遺伝子にあるようです。  私たちはもしそんな勝ち戦があっても、少なくとも喜んだり戦勝祝賀の行列行進しないように、いつまでも心掛けたいと思う私です。  >当然その場しのぎのようなことしかできなかった。  その場しのぎだった、「勢いでやっちまったー」 と思います。賛同同意します。  比較して欧米特にアメリカは日ごろの戦争で実力を鍛えていたようです。凄まじく周到な用意が常にあるようです。なにせあのアメリカまで飛ばした日本製風船爆弾がどの工場で作られたか、地質学でバラスト錘の砂粒から地方を割出して、空襲をすかさず決定して、工場はほとんど壊滅されてしまいました。  日ごろの鍛錬が地質学までに及ぶようで、アメリカはとにかく実力が凄い。  一人二人の乗員が載ったアメリカの小型飛行機には1門か2門の射撃砲が搭載されて、内地にも空襲し射撃したようです。近頃のテレビ放送で見ましたが、弾が出るたびカラー映画を撮影する装置を持っていたのです。  当時の日本には映画館にもまだカラー映画など普及していない時代です。映画は全て白黒の時代です。そのころに米国の軍隊では小型飛行機にまで総天然色撮影機を搭載していたのです。米国は次回の標的にしようと撮影された反撃の砲火から、砲塔位置を割り出してしまったそうです。日本にはそんな仕組み、装置はありません。だいたい天然色映画は現像に手間と費用、時間がかかって叶わないのです。  国力の差がありすぎます。ついでに米国の小型飛行機は鉄で作られていました。操縦士の椅子は、やはり背もたれまでもが鉄で作られていたそうです。飛行機といえばゼロ戦の空中戦当時の旋回性能を誇りますが、ほぼ木製の飛行機です。旋回性能は重量が小さいほど有利なので、製作素材が鉄よりも木が勝り、木よりも紙が勝ります。  しかし背後の敵から背もたれ越しに射撃されたら操縦士は日本製なら死ぬのですが、米国製は簡単には命を失わないのです。燃料タンクは米国製は内面にゴム張りだったそうですが、日本製は弾が貫けば、すぐさま燃料火災となるただの鉄箱でした。操縦士は、高度な戦闘技術を持った技術者です。その命は空戦に大きな寄与をするので無駄にはできないものですが、日本では特攻爆撃という無鉄砲極まりない出陣で戦火の乏しいまま命を散らせた。  戦闘員にしても命は大事です。婦女子国民の命も大事です。日本の出撃作戦には命がとんでもなく粗末にされます。たとえばたいていの作戦には補給が民間任せです。民間の補給船を沈没させられて補給が途絶えれば後の食料すらありません。そもそも食料を徴用とかいう名目で現地で調達する方法だったそうです。聞いたことがないでしょうが、実態は近隣の村を襲って集めるので野盗の集団です。殺人と野盗の殺戮でPTSDになった方々が徴兵された軍人のほとんどだったようです。もちろん修練と呼ばれる訓練では、精神を野盗や人殺しにまで歪めるために日常のビンタ、営倉、員数点検という名の靴下や、褌や身の回り品の盗み命令を繰り返し、いい人は首を括って自殺するしかなかったそうです。生き残った父は自らを、そういうことに慣れた愚連隊だから生き残ったといっています。   >戦争遺跡に意味があるとすれば日本人は戦争に向いていないというか、戦争が好きでないということを納得させることではないでしょうか。  私もそれが言いたかった。いいご意見です。全く賛同します。 >何のかんの言って世界で最も平和な国ではないでしょうか。アメリカの庇護のもとというのも当たっているかもしれないが、それ以上に日本人は戦争が嫌いなのだと思います。  うれしい評価です。そう生き続けたいです。

回答No.1

残すべきか?という問題は別にして、そこに住民生活が存在します 住民生活上において、戦跡を残す価値よりも、生活上において活用することが優先される場合であれば、公益性から戦跡保存は優先されません 貴方の見解を否定できませんが、そこに住民生活があるならば、そちらが優先的に取り扱われるべきものでしょう。もっとも住民自身が残す必要性を認めるならば話は別ですが もし、残したいのならば、貴方が私的所有によって保存するしかないでしょう

masaban
質問者

お礼

面白い話を進められましたありがとうございます。

masaban
質問者

補足

私の意図から見れば、斜めの切り口ですね。 >・・そこに住民生活が存在します 住民生活上において、戦跡を残す価値よりも、生活上において活用することが優先される場合であれば、公益性から戦跡保存は優先されません・・もっとも住民自身が残す必要性を認めるならば話は別ですが  小笠原島は言ってみれば過疎の地方です。人口密度が低いのです。わずか2%くらいの面積の平地に人口の9割は集まり、山地には未開の天然ジャングルです。そのジャングル資源には天然記念物が多く、観光になっています。  小笠原には戦跡案内ガイド業が存在し、もしかすると2ケタ台の数かもしれません。その他の産業に占める割合は5%くらいでしょうか。従事者数は四捨五入すれば100名でしょうか。    したがって地元の住民が保存を望んでいるといいたいのですが、過言でしょうか。 >もし、残したいのならば、貴方が私的所有によって保存するしかないでしょう  民地ですが山地であり、放棄地です。国有地、都有地、サンクチュアリ部分もあるようです。宅地は8000万円くらいが最低価格らしいです。結構高級住宅地です。

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