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依存について。

こんばんは。 「依存」は良くない・・・まあ、いろんな依存症があるようです。 中には「ワークホリック」なんてのも、あります(ありました?)。 考えてみますと、依存症を診る医者(や、カウンセラー)も、 「患者に、依存している」と言えなくもないと思います。 【訊きたいポイント】 「依存」とは、どういうことなのでしょうか? それは「治療」を要するのでしょうか? 宜しくお願い致します。

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  • koosaka
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回答No.2

「依存」というと良くないイメージですが、「相互依存」だったら、「相衣相関」という意味だから、けっして悪くないし、たいてい私たちは「相衣相関」しているから、むしろ普通だと思います。 「依存」というのは、相手に一方的に、凭れていることを言うので、例えば電車の中で、酔っ払いが私の肩に頭を乗せて、凭れていたら迷惑です。 「相互依存」「相衣相関」というのはヘーゲルが「精神現象学」でいう、主人と奴隷の弁証法と同じで、主人がいるから奴隷もいる、逆に奴隷がいるから主人もいる。 相互に「凭れあって」存在する。 そうでなかったら、主人もいなければ、奴隷もいない。 それと同じで、医者も患者がいるから、医者であり、患者も医者がいるから患者。 どちらか一方がいないと、もう一方も存在しない。 「相互依存「「相衣相関」。 あなたは「考えてみますと、依存症を診る医者(や、カウンセラー)も患者に依存しているともいえなくもないと思います」と言いますが、でも病気に関しては医者の方が優位にあり、依存している度合いは患者の方が多いと思いますから、必ずしも、医者が患者に依存しているとは言えないと思います。 それは主人と奴隷の関係にも言えます。 主人は奴隷がいなくても食べて行けるから、依存している度合いは奴隷の方が多い。 「ワーカー・ホリック」も会社員の方が会社に依存している度合いが多いから、そういう病気にかかります。 でも、会社が会社員に依存しているか言ったら、誰だって交換が利くんだから、依存の度合いは低い。 だから会社が「ワーカー・ホリック」にはならない。 「依存症」のように依存する度合いが極端だと、それは「依存症」という病気だけど、依存する度合いが低かったり、弱かったら、誰にでもあることで、ごく普通のこと。 特に「共同体」だったら、「相互依存」は当たり前。 コミニケーションも「相互依存」があればこそ可能という意味で、依存は不可欠。 「依存症」が治療が不可欠か、そうでないかはその「度合い」よる。

kurinal
質問者

お礼

koosaka様、こんにちは。ご回答ありがとうございます。 >「「依存」というと良くないイメージですが、「相互依存」だったら、「相衣相関」という意味だから、けっして悪くないし、たいてい私たちは「相衣相関」しているから、むしろ普通だと思います。 「依存」というのは、相手に一方的に、凭れていることを言うので、例えば電車の中で、酔っ払いが私の肩に頭を乗せて、凭れていたら迷惑です。」 電車に乗っていて、女性に凭れかかられたご経験は、、、私はあるんですけどね。 >「「相互依存」「相衣相関」というのはヘーゲルが「精神現象学」でいう、主人と奴隷の弁証法と同じで、主人がいるから奴隷もいる、逆に奴隷がいるから主人もいる。 相互に「凭れあって」存在する。 そうでなかったら、主人もいなければ、奴隷もいない。 それと同じで、医者も患者がいるから、医者であり、患者も医者がいるから患者。 どちらか一方がいないと、もう一方も存在しない。 「相互依存「「相衣相関」。」 「奴隷」とか、医者と患者の関係というのは、それの特殊な場合ということで、別に問題になると思います。 >「あなたは「考えてみますと、依存症を診る医者(や、カウンセラー)も患者に依存しているともいえなくもないと思います」と言いますが、でも病気に関しては医者の方が優位にあり、依存している度合いは患者の方が多いと思いますから、必ずしも、医者が患者に依存しているとは言えないと思います。」 「相衣相関」と仰った方が、どうして急に「医者は患者に依存しない」と、お話ですか? >「それは主人と奴隷の関係にも言えます。 主人は奴隷がいなくても食べて行けるから、依存している度合いは奴隷の方が多い。 「ワーカー・ホリック」も会社員の方が会社に依存している度合いが多いから、そういう病気にかかります。 でも、会社が会社員に依存しているか言ったら、誰だって交換が利くんだから、依存の度合いは低い。 だから会社が「ワーカー・ホリック」にはならない。」 そうなんですかね。 そりゃあ、「法人」である会社は、精神的な病気にもならないでしょうけれども、 「ワーカー・ホリック」って、会社への依存ということではなくて、 本当に「仕事中毒」ということで、(「過労死」ということとも繋がって居たと思います。) (「アル中」は、365日、普通なら「もう勘弁してくれ」という日にも飲む) >「「依存症」のように依存する度合いが極端だと、それは「依存症」という病気だけど、依存する度合いが低かったり、弱かったら、誰にでもあることで、ごく普通のこと。 特に「共同体」だったら、「相互依存」は当たり前。 コミニケーションも「相互依存」があればこそ可能という意味で、依存は不可欠。 「依存症」が治療が不可欠か、そうでないかはその「度合い」よる。」 まあ、「中毒」はマズいでしょう(医療の対象)ということと、 「依存」は、「多かれ少なかれ」ということですか。

その他の回答 (2)

回答No.3

我々の身の回りの衣食住、ほとんどが世界中から やって来たものであり、人類はもはや一人では 生きられない、社会生命であると言えます。 その意味では「依存」していると言えますが、 その「分業」は甘えとは違います。 人類は分業=組織化する事で、単独で生きるより 強くなっているからです。 分業による生産性の向上によって、社会から与え られるより、更に多くのものを与える(助ける) 事ができるので、進化において選択されたものな のです。 それは「生きる喜びを最大化する」という真の 生きる目的において、自律的社会行動=助け合う 喜び(精神)に基づく社会生産の最大化(肉体)と いう、心と体の一致を果たす(他我愛)ものであっ て、自己顕示欲や怠惰(あるいは拝金主義)による、 『自分は何もせず人を使役したい、上辺だけの 虚栄心で人に評価されたい』という甘え(自己愛) とは異なります。

kurinal
質問者

お礼

psytex様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 規制は緩和、貿易は自由に、という (おかしな意味ではない)自由主義が前提になるのでしょうか。 その場合、「人権は侵害しない(最低限度の生活保障)」は、 大前提にして頂きたいのですが、「甘え」でしょうか?

回答No.1

依存=そのものに頼って成立するとあります。 パチンコ依存症、今では病気らしいです? アルコール依存症(悪化すれば中毒)など,多くの依存症と言われるものが存在します。 人間は何でも3日間続けると習慣になると聞いたことがあります。全てではないと思いますが? 特に快楽を求める物や事には依存性が高くなると思います。 覚せい剤などが良い例かと思います。 依存には禁断症状が常に付いているような気がします。 長くなりました。症が付けば病気で、治療が必要になるでしょう。 患者に依存とありますが、これは仕事で別だと思います。 仕事も生活を成立させる手段ですから、依存かも知れませんえ。

kurinal
質問者

お礼

kisaragi0204様、ご回答ありがとうございます。 なるほど、「中毒」は、いけないかもしれないですね。 (中ったり、「アナフィラキシー」とかは、医療が必要でしょうね。) >「依存には禁断症状が常に付いているような気がします。 長くなりました。症が付けば病気で、治療が必要になるでしょう。」 「症」を付けるかどうか、、、パチンコ依存症ですか? >「患者に依存とありますが、これは仕事で別だと思います。 仕事も生活を成立させる手段ですから、依存かも知れませんえ。」 「症」がついてなくても、例えば「仕事中毒」では、医療の対象では。 「症」がついてなくても、、、 >「依存には禁断症状が常に付いているような気がします。」 「禁断症状」の有無も、ポイントなんですね。 ・・・まあ、とりあえず「中毒」は遺憾ということで、同意です。