※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:依存してる重い患者だと思われたくないゆえに。)
鬱と適応障害の治療中、依存してると思われたくない気持ちについて
このQ&Aのポイント
私は鬱と適応障害で治療を受けているが、精神分析的療法の効果がうまく出ていない。
自分が依存していると思われたくない気持ちや特別扱いされたくないという考えが治療を妨げている。
友人や家族にもつらさや悲しさを話せず、専門家との関係に頼ることができない。
鬱と適応障害で三年くらい治療を受けています。医師から精神分析的療法をすすめられ、時間を別にとってもらい、数回やってみました。
しかしどうにも拒絶や抵抗が強くてうまく行きません。
一番自分を素直にさせない原因は「依存してると思われたくない」「好きだと誤解されたくない」「特別扱いしてほしいって勘違いしている患者に思われたくない」といった自分の気持ちです。
私は友人や家族にもつらさや悲しさ、弱さを話したり見せたりすることができません。
以前かかっていた心理カウンセラーの人とそんな話題になり、いっそ自分の日常の人間関係でなく、カウンセラーさんや医師など専門家の方が割り切って話せるから、それでいいと思うようにしてるということをそのカウンセラーさんに言ったときに、
「でもこれは金銭が介在する契約関係ですから」っていわれたことがありました。
私が今回の分析療法のときに、その事を医師に話し、別に個人的にどうのこうのかかわってほしいというつもりなどないですが、でもそうはっきりといわれると、どこかで私の中で線を引いてしまってるとこがあると伝え、それゆえ、何でも話してといわれても、「そんな仮想空間の中で自分の生身の感情をさらけ出すことに抵抗がある」といいました。
医師は理解してくれたようですが、でも、後になって、もっと甘えたい、近い距離がいい、というふうにとられり、それでは寂しいと思っている重たい患者だと思われたのではないかと心配になります。
私は健全な甘える、頼る、ができないといわれています。
私にはすべてが依存になるようで、人に頼ったりできないのです。
ですから、よけい不安になるのだと思います。
毎回、言葉のあとに「でも~してほしいって意味ではないですよ」と付け加えていますが、それでも誤解されているような気がします。
すごく近づきたい、甘えたいと思ってる人間だと思われていたら嫌だと強く思います。
なので、それを警戒していると何が本心だかわからなくなり混乱した話になってしまいがちです。
私がこれを気にしなくなる方法はあるでしょうか。
またこんなままで療法を続けていても効果はあるでしょうか。
わかりにくい文章ですみません。
よろしくお願いします。