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アドラー流に考えると悔し涙とは?

最近、嫌われる勇気という本を読みました。 そしてアドラーに興味を持ったのですが、その考え方では人は同情や注目を引くために涙を流すとされていました。 私は悔し泣きをよくします。 涙が溢れそうな時は我慢してトイレに駆け込んで泣くこともあります。 大抵は自分の能力の低さに愕然とした時にわっと涙が溢れてくるのですが、このときも同情や注目を引こうとしているのでしょうか。 悔し泣きだけでなく、悲しみの涙の時も、自分の中の悔しいという気持ちや悲しいという気持ちを処理することを「目的」として涙を流す場合もあるのではないかと思うのですが、それは自分を正当化したいがための考えなのでしょうか。 皆様の意見を伺いたいです。

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noname#217725
noname#217725
回答No.1

私はその「嫌われる勇気」という本を読んではいませんが、一般の書店に並んでいる、 心理学的(あえて、そう表現しますが)書物を鵜呑みにしない方がいいです。 アドラーの心理学を端的にいうなら、「相手(或はものごと)を否定しないで、まず肯定的に捉えて、ポジティブな方向性を持たせる…そこから出発し、解決に向かう…」そういうものだと私自身は、解釈してきました。 人間というものは、簡単に割り切って判断できるものではありません。 もっと自分自身の内面を信じて、瞑想する方がずっと向上できると思いますが。

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