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知識と想像力の利点、欠点、限界、盲点とは?

知識には限界があり、 積み重なった 層の重圧に依存する限り 我々は盲点から脱して 新たな見方をえる 段階には、 至れないのだろうか? 想像力は世界を変える 可能性を秘めているのは、 その為なのか? 知識とは? 限界とは? 盲点とは? 社会、哲学、美術カテゴリー 皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております! 関連 知恵袋 哲学、社会カテゴリー http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q14156174689

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回答No.3

全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に 詰め込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、 認識体の仮定断面(認識可能性)の運動を想定すれば、相対的 に無の風は光になり、認識体はその光(量子相互作用パターン) の向うに、自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識 するのです。 認識可能性の時系列化=自我仮説(時間的流れ==記憶=過去)と、 時空仮説(=空間的広がり=予測=未来)の相補分化。 その過去と未来の対発生の原点は、「運動する認識可能性(=感受 表面=量子相互作用=現在)」であり、いわばその認識体の階層 現象表面性(量子相互作用=光速)の内と外に過去(超光速)と 未来(光速下)を相補分化させていると言えます。 認識体の階層現象性こそ、ビッグバン以来の宇宙空間での物質 進化、地球上での化学進化、生態系での生物進化の過去を射影 したものなのです。 相対性理論の四次元ミンコフスキー空において、時間軸は虚数 になっており、そのため空間軸と時間軸の等距離点で相殺され た0の面=界面原点ができます。 それが「ライトコーン」、即ち光子(量子)であり、光速以下 の領域(未来)と超光速の領域(過去)を分けるものなのです。 その認識体(感受表面=現在=光速)による大ざっぱな認識=階層 現象表面的定性化における非光速性に基づく時空仮説に対する、 無の射影が存在=量子なのです。 階層現象を表面的(いい加減)に捉える事で派生する非光速性 に基づく時空において、「何か有るんじゃないの?」という 疑問(自我仮説)の相補として生じた時空仮説に対して、 「本当はないんだけどね」という無の射影として、量子=存在 は生じていると言えます。 無いとは分からない事が有であり、階層現象性に由来する全て の知識は、その物理において無へと還元するプロセスに他なり ません。

hayyuji9401010
質問者

お礼

ご回答のほど、 頂いたのでベストアンサーを差し上げます!

その他の回答 (2)

  • hk8854
  • ベストアンサー率16% (138/839)
回答No.2

難しい事は分からないけど極簡単に言うと次の様だと思う *知識  勉学 経験に裏打ちされた能力 *限界  もう之以上は無理と云う状態 極限の手前 *盲点  自分では気付かない要点 落とし穴 短所 以上極簡単に述べたけれど私には哲学的に言うのは無理なので 詳しくは他の人の意見を参考にして下さい

hayyuji9401010
質問者

お礼

ご回答のほど、 ありがとうございます。

  • kurione
  • ベストアンサー率53% (858/1598)
回答No.1

知識に限界はないが、それを活用する事自体に限界がある。感情による知識の偏向性や、合理性の名の下による知識の淘汰。集中力と言う物による普遍性の喪失。 選択という相反する物の否定。それらが盲点を作り出す。 絵を描く。遠近法や陰影をつける。それらは知識だ。何を削るか、何を加えるか、それらは自分らしさすなわち個性を出すために必要な物だ。技術を使って書くこと自体限界を作り出す。得てして何も考えないで書いた方が良い。しかし、次にはそれを知識として意識して描いてしまう。つまり知識は知識によって否定される。 ある画家が晩年、自画像を描いた目だけがどうしても描けない。鏡を見て、昔の写真をみて 何回も書き直すが、描けない。知識では邪魔をして描けないまま、目なしの自画像だけが残っている。 感情が知識を妨害する。

hayyuji9401010
質問者

お礼

ご回答のほど、 ありがとうございます。

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