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ブッタ、キリスト、ムハンマドの長所短所限界盲点は?
ブッタ、キリスト、ムハンマドが 現世の森羅万象を見たらば、 一体なんて言うだろうか? ブッタ、キリスト、ムハンマドの 共通点、 長所、短所、限界、盲点とは? 哲学、社会カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております! 関連 知恵袋 美術、哲学 http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q14154663524
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>ブッタ、キリスト、ムハンマドが 現世の森羅万象を見たらば、 一体なんて言うだろうか? 何も言わないな、当時でも政治や社会と離れた価値観でしたので。 仏陀とムハンマドは個人として存在していたが、 キリストは聖書以外での存在証明ができないので、 個人として実在してなかった可能性が高い。 >ブッタ、キリスト、ムハンマドの 共通点、 長所、短所、限界、盲点とは? 教祖として神格化され過ぎ。 個人的情報が無いので判断不可能。
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- kazamidori365
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流行というわけではないけれど イスラム教というかアラビア語の勉強もする必要がある。 あのアラビア語の文字で挫折したが。 イスラム教徒がインドに侵略して仏教を滅亡させたとき イスラム教徒は仏教についてなにか言及しているか?書き残しているか? 調べてみたいものである。 アルファでありオメガであるならば終わりを調べれば始まりがわかるはず? 私より、もっと頭のいい人たちがとっくに調べていると思うけれど。 人が死んでもイデオロギーは無くならない。 それにもかかわらず、なぜ仏教はインドで衰退したのか? しかし、 それよりも現世でのお金をどうやって稼ぐかの方法を私は知りたいです。 もっと精神を大事にしろとか言われたけれど、 年金も払えないのに宗教の話なんかできないです。 ついでに精神が姿を現すとすれば それは現実そのものだから、どうにも違和感があるけれど、それはまあどうでもいいです。 どうせ死ぬなら死後の話を死ぬまでしろというのであれば それはつらいです。 ムハンマドは商人だったらしいけど、私は無職。 イスラム教は私の人生には関係なさそう。
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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1. ムハンマドの場合は 何が食べたいといった日常生活での発言でなければ みな神の言葉を媒介(預言者)となって伝えるのみです。言いかえると クルアーンとして編まれた文章がすべてです。 2. ではそのアッラーフが: ★ 現世の森羅万象を見たらば、一体なんて言うだろうか? ☆ もう無理です。現在の人間は クルアーンの文章を解釈するしか出来ないでしょう。けっきょく 《神を信ぜよ》という言葉に要約されるはずです。 3. ただしその神の言葉も アラビア語という人間の言葉で語られています。ということは アラビア語〔だけ〕が そのままアッラーフの言葉であるというのでない限り 神の言葉もアラビア語という人間の言語に翻訳されています。 4. もしアラビア語だけは神の言語だと言うとすればそれは けっきょく――なぜならクルアーンに述べられた信仰は 旧約聖書のアブラハムの物語にもとづいているのですから それが書かれたヘブル語も神の言語だということになるからには―― アラビア語をそれは《偶像――神の仮りのすがた――》であるに過ぎないのに 神の言語だといつわっている。ことになります。 5. ブッダというのは ゴータマ・ブッダのことでしょうか。ゴータマが《現世の森羅万象を見たらば、一体なんて言うだろうか?》。 6. やはり《アン‐アートマン(無‐霊我)》と言うでしょうね。生老病死なる苦(つまり 思うようにならないこと)がある限り ブラフマンのような絶対なる神は無いと言い続けるでしょう。 7. いわゆる無神論としての信仰を打ち出すでしょう。《無い神》を心に受け容れてこそ 人びとは互いに自由で平等であると説くでしょうね。そして そこまででしょう。 8. キリストは 神の子でありみづからも神であるという想定をあたえられた人間イエスのことでしょうね。かれが 何と言うか? 9. 宗教とよばれるオシへあるいはそれを説く人間の集団 これについてよく考えて取捨選択しなさいと たとえば言うでしょうね。 10. あるいは 絶対の神ブラフマンにせよ人間存在におけるその神の霊としてのアートマン(霊我)にせよ これらは 思考の問題としてのオシへとは別であると明らかにするでしょう。 11. 信仰は この経験世界を超えたところの場ないしチカラ〔としての神〕を心に受け容れることですから 経験思想としてのオシへを《信じる》ということはあり得ないとおしえるでしょう。 12. 神は けっきょく人間にとってひとつである普遍神のことでしかないとも語るでしょう。 13. 無我(アン‐アートマン)と言おうと霊我(アートマン)と言おうと――つまり言いかえると 《無い神》と言おうと《有る神》と言おうと―― 普遍神はひとつである。神が 別々にいくつもあってたまるかと。 14. つまりは この普遍神を ブラフマンと呼ぼうとアミターバ・ブッダ(限りなき光=阿弥陀仏)と呼ぼうと《無い神》と呼ぼうと あるいはヤハヱ―なりキリストなりアッラーフなりと違った名で呼ぼうと 〔普遍神に〕何の変わりもないと。 15. このことに《めざめなさい(ブッダとなりなさい)》と イエスなら語るでしょうね。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
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歴史的に見るならば、それまでのアニミズム宗教の、 「世界の起源」や「死後の世界」といった、理解の外の ものに対する説明や、人力の及ばない事に対する祈りと しての役目に対し、社会組織の発達や分業化において 個人の意識の自己チューさが社会化に障害となってきた がゆえに、個人の意識に社会性を強制する為のモラルと しての役目が求められ、為政者の道具として普及した ために、キリスト教、イスラム教、仏教といった世界 宗教は、ほぼ同時期に広まった。 それ以前の人はなぜ救われなかったのか? 教祖の死後以降の人は、なぜ直接教えを受けられないのか? そこには、上記のような社会進化的な観点による実用性 しか感じられない。
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ご回答のほど、 ありがとうございます。
お礼
ご回答のほど、 頂いたのでベストアンサーを差し上げます!