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自灯明・法灯明(自分を拠り所)利点欠点限界盲点とは
仏教の 自灯明・法灯明 とは? 自灯明・法灯明の 原文とは? 自らを拠り所にして生きることの 利点、欠点、限界、盲点とは? 哲学、宗教カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております! 関連 知恵袋 哲学、宗教カテゴリー http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q14156050524
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それは、自分を拠り所として生きることが仏教でいう自灯明とか、法灯明というのではないか、という意味ですか? 私は仏教にそんなに詳しくないので、明確に答えられる資格がありませんが、「自分を拠り所・・・・」と言われても、私は自分が存在することは証明も反証もできないと思っていますので「自分を拠り所」にはできないと思っています。 もしかして存在しないかもしれないものを「拠り所」にできないのは、自明です。 仏教だって、「諸法無我」といって、自我が存在しないと言っていましたよね? 「自性空」とも言っています。 つまり自分なんて存在しない、中身は「空っぽ」ということです。 だとしたら、「自分を拠り所」にできないのではないでしょうか? ただ「方便」として、自分が存在するものと「みなし」て、それを「拠り所」にすることはできるかもしれません。 たいていの人は自分が存在するものとして世の中で暮らしています。 また、それを「方便」と思っていなくて、真実だと思っているかもしれません。 なぜって、自分の存在は証明も、反証もできないのですから・・・ 「自らを拠り所にして生きることの利点・欠点・限界・盲点」ですか? 利点は、自分が存在することへの疑いを免れることです。そうすれば、安心して生きられます。疑ったら、おちおち生きていられませんから。 欠点は、その反対で、自分が死に臨んだとき、死を受け入れられないことです。 「何故だ、どうして自分なんだ、他人でなく、自分でなければならないのだ、これは理不尽だ!」だと、叫びかねないということです。 限界は、自分だけを信じていると、他人が存在することを忘れることです。私たちは他人が存在するから自分も存在するので、自分だけで存在するわけではありません。 自分だけに目を向けていると、それを往々にして忘れます。 自分が他人によって、支えられていることを忘れます。 盲点は、その自分が存在しないかもしれないことを考えないということです。 自分の存在を自明とみなすことです。 自分の存在を自明とみなせば、その延長で、世界が存在することも自明とみなします。 そうしてこの世には何も謎がない、と思うことになることです。 この世で一番の謎は、存在することです。 宇宙が、社会が、世界が、自分が、存在することそのものです。 それが最大の謎です。
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ご回答のほど、 頂いたのでベストアンサーを差し上げます!