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江戸城総攻撃

西郷と勝の会談が決裂し、江戸城が攻撃されていたら、幕府軍は勝てる見込みがあったとおもいますか?

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回答No.6

「江戸を火の海にするとゃあ 愚の骨頂じゃの!俺は吉之助(西郷)とは戦いとう無い!」 勝海舟の有名な江戸城無血開城決断のシーンです 本心を言うと「戦いたくない」と言うより「勝てない」と思ったのでしょう しかし勝の性格上「勝てないので明け渡す」とは言えなかったのでしょう それに万に一つ天皇を担ぎ出されたら賊軍になる可能性もありましたから 勝は賢明な判断をしたと思います

naoki4865
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  • yp-mittu
  • ベストアンサー率35% (133/377)
回答No.5

新政府軍は、総攻撃したい。 幕府軍は、城を枕に戦う この状態でした。故に新政府軍が到着するまで総攻撃する状況だった。 新政府は今まで特に長州は辛酸を舐めてことから 武力討幕は必須としており、今までの無念(禁門の変など)の恨みつらみを 晴らすために、総攻撃をするつもりだった。→故に奥州が悲惨な状況になる 幕府も新政府が許すとは思っておらず、抗戦止むえずとなっていたのを、 勝海舟が乗り込んで西郷を説得したというのが歴史ではないでしょうか。 戦う気満々だった連中が、上野に立てこもったりしましたが。 兵器・士気・火力も含め、全てが新政府軍優勢であったし、 菊の紋章も新政府軍にあった訳で、国賊となった幕府軍に勝ち目は無いです。 首都である江戸が大火に包まれ、明治政府所在は、大阪か京都になったかもしれませんね。 徳川慶喜も大政奉還を行ったことが幕府が逆賊とならなかった理由であり、 それをさせた坂本竜馬はもっとすごいと思いますよ。 大政奉還がなされたことで、薩長の目標は失いかけましたし。 それにより、明治の構造が見えてきたと思います。 それまでは、倒幕や攘夷だけが目標で、その先の国の在り方が無かった気がします。

naoki4865
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  • eroero4649
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回答No.4

少なくとも勝海舟は勝てる見込みはないと踏んだから無血開城を選んだのでしょうね。新政府軍としては、仮に戦いに勝てたとしても市中に甚大な損害が発生したら、その復興の費用は自分持ちになりますから「その後」を考えたら無駄な損害と出費はしたくないと考えるのは当然のことだと思います。 また、無血開城後も旧幕府軍過激派は上野の山に彰義隊として集結していましたが、新政府軍の攻撃を受けてわずか1日で壊滅しています。これは大村益次郎の優れた計画によるものですが、それにしてもたった1日で終わっていることを考えると、その1日が1ヶ月になったり、ましてやそこから逆転するというのは、野球でいうと10点差がついた9回ツーアウトから逆転はありえますか?くらいの可能性ではなかったかなと思います。

naoki4865
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  • lions-123
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回答No.3

>西郷と勝の会談が決裂し、江戸城が攻撃されていたら、幕府軍は勝てる見込みがあったとおもいますか? 幕府軍の大惨敗・江戸市民の戦禍激増で地獄絵の世界。 しかし、籠城戦に勝ち目無く(物資の補給・援軍・指揮系統のなさと無能さ他)、将軍や幕閣に人材人望や実体として統治統制力がないために、内紛や内応が頻繁に起こり疑心暗鬼の中に継戦は難しく早々の講話や和平=実質は無条件降伏の方向に動く。 その結果は、かっての歴史を繰り返す→大阪城落城・豊臣の滅亡のデジャビュを江戸城に見ることになったのでは・・・ それは、徳川幕府の実力部隊が旗本を除き多くは外様であり、親藩譜代と言えども地方に割拠し恩顧の意識は薄く、大勢は様子見状態から勝ち馬に乗る方向に雪崩打っている勢いは止められない。 離反や様子見それは徳川側の戦力ダウンであるとともに、討幕軍のパワーアップであり、彼我の戦力差と士気の差や闘いの大義名分からも勝ち目無し、鳥羽伏見以降、日にち時間の経過ごとに形勢は討幕軍に有利に傾いていた。 利権を争う外国勢力の支援の差も討幕側(イギリス)、幕府側(フランス)で別れていても、代理戦争が全面対決には至らず、英仏で妥協&手打ちして権益のマックス化を意図した場合、闘いの帰趨、将来性や戦況から幕府を見限る方向に動くと思われる。

naoki4865
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回答No.2

江戸城総攻撃の場合、勝は   国内最強の幕府艦隊による艦砲射撃を                含む反撃   江戸炎上 を命じたでしょうから、   官軍が上野で彰義隊を撃破 したようにはならず、 いずれが勝利したか分からないほどの 甚大な被害が双方に出たでしょう。 だから西郷は「中止」したのです。

naoki4865
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  • oska2
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回答No.1

>江戸城が攻撃されていたら、幕府軍は勝てる見込みがあったとおもいますか? 歴史に「もし」は、ありませんが・・・。 という、話は置いといて・・・ たぶん、幕府軍の敗退でしようね。 「討幕派が、イギリス。幕府側が、フランス」と、軍事的に支援していますよね。 が、幕府軍側は「将軍が、謹慎」している訳です。 つまり、総大将不在です。 指揮系統が一元化していませんから、個々の部隊戦力が強くても、烏合の衆に過ぎません。 組織化された討幕軍には、太刀打ち出来ないでしようね。 また、「鳥羽伏見の戦いでの偽天皇旗(錦の御旗)」が「戦後、本物の天皇旗」になっています。 ※鳥羽伏見の戦い時の旗は、岩倉具視・三条実美が天皇に無断で作成・掲揚。 ※三条実美は、天皇の勅旨も偽造したので「孝明天皇から、逆賊・追討令」を受けています。 ※追討令がでたので、長州に「裕宮(後の明治天皇)を人質」として都落ちしています。 関東の小藩では、「錦の御旗+勝ち馬に乗る」のが常ですから幕府側に付かないでしよう。

naoki4865
質問者

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