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国民は戦争しやすくなったのでしょうか?
靖国神社が出来た事によって 国民は戦争しやすくなったのでしょうか? 「靖国で会おう」と言う言葉が出来たから 死んでもまた靖国で会えるから、 心置きなく死ねるようになったのでしょうか? 「会える場所を提供してくれた」 っという感じなのでしょうか?
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「靖国で会おう」は特攻隊での言葉です。死ぬことが分かっていたから 言える言葉で、通常の戦闘では言いません。そんなことを言えば上官から 殴られますよ。「他人も巻き込んで死ぬつもりか」とね。 靖国神社が出来たのは戊辰戦争の後、明治になってからです。長州藩、 薩摩藩の勤王の志士の霊を祀るためにできた神社です。ですから、会津藩や 長岡藩などの幕府側の兵士、武士は祀られていません。 日清、日露の戦争の時に初めて日本国の兵士全員の霊が対象になったの です。 そして、太平洋戦争の末期に特攻隊の隊長(特攻機編隊のリーダー)が合言葉 のように言ったのが伝わっているのです。 ですから、戦争に行く人全員が言ったわけではありません。
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- kuni-chan
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全て違います。
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どうもありがとうございました。
- ayzm
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死ぬのに心置きも何もないでしょう。 生きて帰れば比国民を非難されるから、生きたくても死ぬしかなかった。 ただ死んだ戦友には、靖国神社へ行けば会えるから、「靖国で会おう」というだけです。 靖国神社は合える場所を見つけやすくしただけ。
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- eroero4649
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そんな大仰なことではないですよ。「戦争で死んだ人たちがいるから、そこを祀る場所を作ったほうがいいよね」という至極まっとうな考えから作られたものです。東日本大震災で亡くなった人を鎮魂するために神社を作ろうみたいなものですよ。 んで、日本軍兵士ってのは私たちが思っているほどファナティック(狂信的)でもなかったのですよ。「敵の機関銃に向かってバンザイ突撃」ってのは実はほとんどありませんでした。ガダルカナルでそれをやったイメージが強烈だったようで、米軍の報告書でも「日本軍てバンザイ突撃とかやってこねえから気を付けるように」とあります。また日本軍(日中戦争時)の報告でも「兵士の腰が重いのが困ったもんだ」というようなものがあります。いつの時代も、誰だって、死ぬのは嫌だったのです。後世の人が勝手にそう創作したか、生き残った人が「フカシ」たのかなんですよ。だって、本当にそんなに勇敢だったらとっくに死んでるはずじゃないですか。ガダルカナルにしても、ニューギニアにしても、フィリピンにしても、戦って死んでいる人より飢えや病気で死んでる人のほうがはるかに多いのですからね。それはそれでひでぇ話ですけれど。
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どうもありがとうございました。
お墓を用意したので心置きなく死ねるよね? ねっ? シリア行って戦ってきて? と言われて貴方はどう思うのでしょうか。 貴方がいっているのはそんなニュアンスの事だと思う。 言われた側はたまったもんじゃないと思う。
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どうもありがとうございました。
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どうもありがとうございました。