• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:整理しない経験や認識)

整理しない経験や認識

このQ&Aのポイント
  • 整理しない経験や認識とは、個々人が自分独自の観念や概念を持ち、世界を構築している状態を指します。
  • しかし、未整理で分類されていない資料や知識は活用しづらいです。
  • 一方で、整理せずにさまざまな認識や知覚経験を経験することができる人も存在します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.1

カントの物自体・Ding an sichの物というのは物体のほかに、霊魂とか、出来事、他者などの意味があり、必ずしも物体だけとは限らない。 日本でも、物語、物の怪、物に憑りつかれる、という場合の「モノ」は霊魂の意味。 近世のデカルト以降、モノと言えば物体を意味するようになったが、それ以前は多様な意味があり、カントもその両方を使い分けている。 よくカントを読んで、私たちは現象は認識できるが、その現象の向こうにある物体は認識できない、という風に理解している人がいるが、それはカントの誤解。 カントは、現象の向こう、という言い方をしていない。 なぜって現象の向こう側に何かがあるわけではないからだ。 カントが言ったのは、霊魂とか、他者とか、その種の人間の理性をもってして知りえないものは不可知である、それを認識するには限界がある、と言っただけなのだ。 「純粋理性批判」は自然科学の基礎付けとして書かれたもので、自然科学にとって物はすべて認識できるので、物自体なんて存在しないのだ。 ただ、自然科学では霊魂だとか、自由だとか、他者だとか、その種の科学をもって知りえない形而上学的なもの、人間を超越するものは知りえないという、当たり前のことを言ったに過ぎない。 詳細に言うと、ハイデガーは「モノ論・物への問い」という本で、物を3つに区別している。 (1)目の前にあるものという意味。普通にいう物体。 (2)思念されているモノという意味。計画・決断・思慮・心術・行為・歴史的事件など。 (3)何かあるものであるが、目に見えないもの。霊魂、他者、神など。

krya1998
質問者

お礼

ご訪問ありがとうございました。 私もそういうご見識を含んでカントを理解しております。

その他の回答 (1)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.2

krya1998様、おはようございます。 ちょっと、ずれるかもしれないのですが、 経験的に、 戦前の書物で、まさに「産めよ殖やせよ」というのが、 (生物学的な意味で)推奨されていた、というのを、 図書館で見つけて、へへー、と思いました。

krya1998
質問者

お礼

ご訪問ありがとうございました。 大分ずれておられます。

関連するQ&A