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ピラミッド巨石の運搬に船も?

ピラミッド建造のとき、石材をどうやって運んだのか、船も利用した説がありますが巨石の積み降ろしはどうやったのか、船板は作れたのか、など幾つもの疑問が解けないままです。 一つだけでもいいから謎を解きたく、呈示しました。 質問を書く前に、ピラミッド建造当時の代表的情景を述べてみます。 o 巨石をコロ(丸太)載せや木そりで運んだ状況は、壁画で確認できる。  <巨石をコロで牽く壁画> 少し牽引したら後方コロ(丸太)を進行側へ運ぶ図 http://konishidc.v4.g-1.jp/Windows-Live-Writer/10bcb555d4c3/50CDF5FC/19fe989b3683.gif  <ピラミッドの石を(橇で)運ぶ> http://www.gizmodo.jp/2014/05/post_14458.html o ナイル増水期に船利用の仮説があるが、船や波止場の痕跡が無い。  (船への積み降しをどうやったのか、クレンか傾斜桟橋も必要の筈) o 運河を掘りクーファ(皮舟)運搬の仮説があるが、裏付け証拠が無い。  (クーファは、樹木などの骨組みに獣革か樹皮を張り巡らした小舟) o まだ銅器の時代に、銅鋸で水漏れしない板船造りには疑問がある。  (鉄は、後世 BC.1500年以降に西アジアで製鉄手法が開発された) o 巨石は楔(くさび)で切割った筈だが銅楔は無理、青銅の時代なのか。  (異星人かそのロボットによる[幽質化]力で切出した説話は、仮説)  <ピラミッドの建造方法> http://satoru99.exblog.jp/14070861/ o 作業は庶民への福祉事業で、宿舎日記や報酬配分などの記録がある。  <エジプト物語> http://www.ne.jp/asahi/y-sakai/fukui/sub56.html#kodai  <ピラミッドとは何か> 手記  http://www.intweb.co.jp/egypt/egypt01.htm (知りたい質問)  回答は、どれか一つだけでも構いません。 ◆ 巨石を船では運ばなかった証拠はないか? 船を使ったとしたら、ナイル増水期だったのか随時運河を掘ったのかの痕跡はないか? ◆ 船を使った場合、巨石の積み降しはどうやったのか? 運搬コロの傾斜波止場の類いを設けたか、船は板造りか皮張りクーファか? ◆ 山から運ぶ巨石はどうやって切出したのか? 銅製の工具か、青銅製のたがね類か? なお、回答は、”裏付け” (URL・書名・記事名) か “根拠” (理由・自説でもok) をお願いします。 自身の考え・主張だけで根拠がない場合は、回答ではなく ”感想” に過ぎないので、ご遠慮ください。

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  • kagakusuki
  • ベストアンサー率51% (2610/5101)
回答No.5

>ナイル増水期だったのか随時運河を掘ったのかの痕跡はないか?  ピラミッドの建設は、ナイル川の増水時に農地が水浸しになり、収入が得られなくなった農民に、仕事を与えて救済する事を目的として行われたという面もあると考えられておりますし、常識的に考えても農閑期の農民以外に、大量の労働者を抱え込んでいたのでは、食料の消費量が跳ね上がって国が破たんしますから、ナイル川の増水時にのみ建設が行われたと考えられます。  ナイル川の水位は増水時とそれ以外の時期では大幅に異なりますから、増水時の水位に合わせて船着き場を設けた場合には、増水時以外の時期には船着き場には水が無くなりますから使えなくなりますし、もし仮に増水時以外の時期の水位を基準にして船着き場を設けたのであれば、増水時には船着き場が水没して使えなくなりますので、ピラミッドの建設が可能になるのは増水時かそれ以外の時期のどちらか一方だけという事になります。(増水時とそれ以外の時期のそれぞれに合わせて2ヶ所に船着き場を設けたのでは、増水時以外の時期には船着き場からの距離が遠くなり過ぎて作業効率が悪くなります)  どちらか一方の時期にしか建設を行えないのであれば、仕事が無くなった農民が増える増水時に建設を行う方が、過剰な人口を抱え込まずに済むため合理的です。 【参考URL】  ANECDOTA  なぜピラミッドはつくられた?   http://homepage3.nifty.com/ryuota/pyramid.html >船を使った場合、巨石の積み降しはどうやったのか?  壁画等による直接的な証拠が残っている訳ではなさそうですが、梃とシーソーを合わせた様な単純な形式の人力式クレーンを使って積み降ろしを行ったと考えられているようです。  尚、現在は河岸神殿となっている所が、建設当時の石材を運ぶ船の船着き場であったと考えている説もある様で、その説ではピラミッド本体の建設が終了した後で河岸神殿に建て替えたと考えているようです。 【参考URL】  コトバンク > 世界大百科事典 第2版 > 建設機械とは   https://kotobank.jp/word/%E5%BB%BA%E8%A8%AD%E6%A9%9F%E6%A2%B0-60776#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88  『ピラミッド建造の謎』 - 【シャドゥフの応用】 - 消前烈火   http://midomidotacnet.blog.fc2.com/blog-entry-210.html  南風博物館 > 西洋史研究室 > 古代エジプト王国史 > デジタル地図集成 > ギザのピラミッド   http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/egypt/maps/pyramid_of_giza.html >山から運ぶ巨石はどうやって切出したのか?  ピラミッドの建材として使用されたのはルクソール市の対岸(西岸)辺りにあったクルナの石切り場やその約35km上流の東岸にあったディバビーヤの石切り場から切り出された石灰岩や、アスワン市がある場所に在った石切り場から切り出された花崗岩、アスワンからナイル川を約60km下った辺りにあるゲベル・シルシラから切り出された砂岩である事が判っています。  ピラミッド等の建材として主に使用された石は、石灰岩や砂岩などの石としては比較的軟らかいもので、最初に切り出したい大まかな形を決めて、その切り取るラインに沿って青銅製のノミを使って溝を掘り、掘り終えた溝に木製の杭を打ち込んでから、杭に水をかけます。  すると木が水を吸って膨張しますので、その膨張する力によって溝に沿って大まかな形に石を割り取る事が出来ます。  尚、石灰岩や砂岩と比べて硬い花崗岩を割る場合には青銅製の道具では不十分で、花崗岩を火で加熱してから水をかける事で細かなひび割れを生じさせて脆くし、その上で硬い石で叩いて砕く事で加工したと考えられているようです。  そして大まかな形のままで建設現場まで運搬し、細かな整形は建設現場で行ったと考えられています。 【参考URL】  古代エジプト建築研究への招待 > 古代エジプトの石切り場 > アスワンの石切り場(花崗岩)   http://www.waseda.jp/prj-egypt/sites/Aswan/Quarry03-J.html  古代エジプト建築研究への招待 > 古代エジプトの石切り場 > クルナの石切り場(石灰岩)   http://www.waseda.jp/prj-egypt/sites/Qurna/Quarry01-J.html  古代エジプト建築研究への招待 > 古代エジプトの石切り場 > ゲベル・シルシラの石切り場(砂岩)   http://www.waseda.jp/prj-egypt/sites/Silsilah/Quarry02-J.html  古代エジプト建築研究への招待 > 古代エジプトの石切り場 > 建築活動で用いられる工具類 > 鑿1   http://www.waseda.jp/prj-egypt/sites/Tools/Chisel1-J.html  ピラミッド - Wikipedia > 1.3 ピラミッドの建造   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89#.E3.83.94.E3.83.A9.E3.83.9F.E3.83.83.E3.83.89.E3.81.AE.E5.BB.BA.E9.80.A0

ohhTokyo
質問者

お礼

有難うございました。    

ohhTokyo
質問者

補足

ここは #5です。 諸説の紹介を有難うございました。 (船で運んだかどうかの痕跡) 季節によってスエズ大河が氾濫する時期に、農作業の収入が途絶える民を救済する目的という説は、ほぼ確かだと理解できました。 増水期の説は、質問欄[代表的情景] の末尾URL2例の記事の中にも出てきますが、洪水時期だけの年1回行事だったのか、併行して「いつでも」の年中事業としても行われたか、完成時期の見通しと国王の財務が裕福だったかにもよりますが未確認です。 もし情報が見つかったら、またお知らせ下さると有難いです。 資料のURL[シャドウフ] の資料は初めて見ました。解説図の、跳ねつるべ式の細い支柱は、ピラミッドの場合2,500kg 級の巨石では無理なので、もっと太い材木を通常は3本使って櫓を組み、クレーンというよりはホイストの感じで丈夫な[滑車] (チェンブロックの代用)を幾つも組合わせれば持上がるかもしれません。通常は、滑車を2つ使えば牽く力は半減し、3つ使えばもっと半減します。牽く綱の長さは倍長さ必要になりますが。 しかし当時の青銅器時代に巨大な滑車を製作するのは不可能でしょう。船への積み降ろしにこんな大きなやぐらをどうやって使うのかにも謎があります。 (運搬船を使った証拠) 質問で <船を使ったとしたら、ナイル増水期だったのか随時運河を掘ったのか> と書いたのは、「時期」のことではなく「船を使った痕跡はないか?」という意味です。 船をつないだ「もやい杭」の棒切れや桟橋のかけらの形跡も全く無なければ、船や小舟は使わなかった可能性もあると思います。積み降ろしが不可能だったのが原因かもしれません。 客船とは別機能が必要な貨物船で巨石を運んだのかどうかは、裏付ける証拠が何も無く推測だけであり、確認できていないのが現在の状況ということになりそうです。 (巨石を切出す工具) <青銅製のたがね類> を使った資料の有無を知りたかったのが真意です。作業方法については、ほぼ理解しています。 URLの「鑿」(のみ) の写真を見て、御蔭様で青銅が使われていたのが確認できたのが収穫でした。 そのURL前の方に、木製の水準器や直角定規などの治具(じぐ=測る道具)も当時に使われたのは驚きでした。当時すでに鋸(のこぎり)が開発されていた証拠です。 なお現代では、一般的に「鑿(のみ)」は鋭い刃先で切り裂く工具を意味し、「鏨(たがね)」は力ずくで叩き切る・押し広げる・削り取る工具として区別しています。 古代当時の石切で、穿ち(うがち)穴へ詰める膨張用の木片は楔(くさび)とでも言うのでしょうか。 余談陳謝。 (参考) 世界の金属の歴史 http://www.castalloy.co.jp/jinrui.htm    

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11082/34532)
回答No.4

大阪城には、130トンにもなる石が石垣に使われています。「瀬戸内海を使って運ばれてきた」というのは分かっていますが、「具体的にどうやったのか」はもう分かりません。たった400年前といえばたった400年前の出来事なんですけど。 http://ancient-megalith.info/?p=267 同じように江戸城の普請でも石垣は主に船によって運ばれていまして、まあどう考えても山谷がある日本の地形なら陸上をえっちらおっちら運ぶより船を使った方がよっぽど早く運べるでしょう。 ナイル川は大河ですし川なので波の影響もありませんから、合理的に考えれば船を使ったのほうが楽で早いんでね?って思うところだと思います。「遺構がない」のはある程度はしょうがないでしょう。何千年も前のものですから、さすがにもう残っていないでしょう。 運び方は、おそらくは筏に近いものではないかなと思います。 レバノンのバールベック遺跡にもどう運んだか分からない巨石がありますから、どうやったのかはサッパリ分かりませんが古代人は巨石を何らかの方法で運搬する技術を持っていたということだけはいえるようです。ま、そこが歴史の面白いところですね。

ohhTokyo
質問者

お礼

有難うございました。    

ohhTokyo
質問者

補足

ここは #4です。 価値ある解説とサイト紹介を有難うございました。 URL中、潮汐位利用のイメージ図1,2,3は良く解り、納得十分な参考になりました。 ナイル河でも、氾濫期に船を利用した説があり、洪水で刻々と上昇する水位を利用できた筈だと思います。 しかし舟の運搬で、陸から船へどうやって積みこんだか、船腹からだと舟が横ロールして傾き転覆しなかったか。舳先(へさき)か船尾(とも)からでないと、降ろすときも重心バランスと重量物の横移動はどう解決したのかの工程が疑問です。 船でなく筏(いかだ)様の舟で運搬するのは、木材の浮力だけでは平均2.3トンの重量石を載せると沈んでしまう筈で無理があります。空気室が構成されるような箱形構造が必要となると、やはり箱船のクーファのような形状ということになるのでしょうか。 船は全く使わず、陸地の運搬だけでピラミッドが建造できたのが真相なら、船の謎は消滅して楽なのですが、「船の利用は無い」という確かな裏付け・証拠が欲しい感じです。 陸路の場合は、確実でも時間と労力が大変です。また、巨石の底面が平面になっている必要があります。凹凸があると、コロを牽く異常に大きな力が必要になり、進む速度も緩急で不安定になり、コロも不均一な力がかかって傷みます。そこで、でこぼこ石は、コロの台車に載せて運ぶ方法をとったようです。 次のサイト中程に、大阪城の石垣を運ぶコロ台車の写真があります。 http://konishidc.v4.g-1.jp/2014/03/ 次記サイト中間辺に、作業用斜面道ほか運搬方法の幾つかが図入りで紹介されていました。 http://poyoland.jugem.jp/?eid=464 なお、大型の船と、小さな小舟を、「船」と「舟」の字で使い分けるよう努めましたが、あまり旨くいかなかったようです。    

  • hamazo2004
  • ベストアンサー率27% (292/1068)
回答No.3

もちろん船を使ったでしょう、ピラミッドの分布図を見るとほとんどナイル川(増水時のライン)に沿っています。ピラミッドの石も日本の城の石も考え方と運搬方法はほぼ同じです。ちなみにピラミッドの石の大きさは、人よりも若干小さなくらいです。1.5m×0.6m? 大体日本の石垣と同じです。違うところは、川べりから建設現場までは、砂地なのでコロがすべりやすくするため、油のようなものをまいたと思われます(これは複数の情報であって感想ではありません)。 分布と石の大きさ http://www.nishida-s.com/kids/kcateg1/kegypt/kegypt.htm http://www005.upp.so-net.ne.jp/nanpu/history/egypt/maps/pyramid_position.html 日本の運搬方法 http://www.d1.dion.ne.jp/~mthouse/page1446.htm ここからは個人的な想像ですが、ナイル川の上流に石灰岩の産地があったのではないかと思います。

ohhTokyo
質問者

お礼

有難うございました。

ohhTokyo
質問者

補足

ここは #3です。 有益な資料を沢山お知らせ頂いて感激です。 ピラミッド巨石と書きましたが、人の大きさ程度とは初めて知りました。それなら皮張りクーファでの運搬も絵空ごとではなさそうです。 コロの運搬は、丸太の素材のすべり利用ではなく、巨重でも軽く転がるのを利用するだけで、本来は油は不要です。しかし、隣りのコロ同士が接触したとき、相互のコロが逆回転方向なのでブレーキがかかるのが問題なのです。それで、コロ相互間のすべりを良くするため油を撒いたり、コロ間隔をなるべく広く空けるように設定します。 <日本の運搬方法> については、名案と言いたい解説図が参考になりました。 大阪城の場合の、巨石をコロ台車に載せた写真が、次のサイト中程に載っています。御参考まで。 http://konishidc.v4.g-1.jp/2014/03/ <石灰岩の産地> がナイル川の上流にあったのでは、との仮説は有益です。 有難うございました。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9143)
回答No.2

厳しい姿勢が必要とされるならば、むしろこのようなサイトよりも専門の学会に入会して積極的に質疑応答に参加してみてはどうでしょうか。

ohhTokyo
質問者

お礼

<厳しい姿勢が必要> とは思っていません。 <むしろこのようなサイト> とありましたが、普通の情報で良いのです。 有益なサイトは沢山あるので、知っていた事があるなら、教えて欲しいということです。一人で調べるのは限界があるからです。 回答者が既に知っていることがあったら、それを教えて貰うだけでいいと理解して欲しかったです。

ohhTokyo
質問者

補足

ここは #2です。 応援のお知らせ感謝します。 なにせ、掲示板は小難しい質問をしたときほど、次元が低くて嫌みな回答が多い傾向があり弱ります。 なので今回は全面的に御回答の裏付けを要請しました。悪しからず。 どこかに入会参加しては、との助言を頂き、有難く思います。 会費が無料で、質問に応じてくれる所が中々見つかりません。もし発見したら御一報下さると幸甚です。 なお、大怪我の治療中なので、付添い無しでは出歩けない状態です。今のところはWebだけが頼りです。 御存知かもしれませんが、最近の吉村作治氏 公開情報を紹介しておきます。 http://www.tbs.co.jp/pharaoh-egypt/editor/  

noname#212064
noname#212064
回答No.1

もっと よーく考えましょう・・ ピラミッド建造年代はBCですよ・・ 現在のエジプトとは違った地形って事まで遡って考えないと・・

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