• 締切済み

同性愛と自己愛というのは近いものでしょうか?

実際の所どうなんでしょうか? 例えば、自己愛とは同性愛の一種の形なのか、それとも逆に同性愛の方が自己愛の一種なのか、あるいは自己愛の一部と同性愛の一部が被っているのか、それとも単に部分的に類似しているだけの所謂「似て非なる物」なのかどれなのでしょうか? というのがそもそもが自己愛というのは、自分自身に対するものなので、自分自身が異性になる訳もないという点がまず主となりますね。 それを踏まえ、自己愛が強い人って、そうでない人に比べて性的要素を含めた関心が異性よりも同性に向いている傾向にあると感じますし、それ以外の感情に関しても普通なら異性に向きそうな感情が同性に向く傾向が強いと感じるからです。 自分の経験も混ぜて、以下に書いて行きます。 まず前提として、コスプレ文化を取り扱うメディアだと、可愛い女の子とかばかりを扱うことが多いですね。 そっちの方が売れるからでしょうし、それを支持する層が多いからでしょう。 その分、男性のコスプレというのはメディアも扱わないし、コスプレイベントでも不遇に扱われることが多めです。 ところが、これに対して不満を言う層もある訳です。 じゃあどこかというと、それはレイヤーの男性層なんですよね。 彼らは自分のコスプレの利害も当然理由にはありますが、他の同性のレイヤーさんを結構大事にしていますし、女性だけを持ち上げまくる様なことをする人はあまり居ません。 一応、これらの人達はレイヤーである以上、多かれ少なかれ自己愛が強い人だとは思います。 普通のオタク系男子とは異なり、異性ばかりを大事にするのではなく、同性のレイヤーさんを応援している辺り、そこらへん正反対だなと感じる訳です。 また、自己愛が強い人って、「なりたい自分」や「こうありたいセクシーな理想の同性」というのを考え、間接的に同性に視点が向きやすいことが多いです。 上で例に挙げたコスプレイヤーという人も、異性装をする人も中にはいますが、どちらかというと女性は女性キャラを、男性は男性キャラをやる人が多めです。 当然、そのキャラが「好き」だからというのには間違いないでしょう。 嫌いなキャラや興味のないキャラのコスプレをするコスプレイヤーは、まずいないでしょう。 当たり前ですよね!? 基本的に、例えば男性で女性の萌えキャラとかじゃなく、男性キャラを愛する人って、ある種の自己愛に思います。 特にRPGなどの主人公キャラクターを愛するのであれば間違いなくそうだと思います。 なぜならRPGの主人公キャラクターというのは、プレイヤーにとっての「アバター」ですからね。 僕自身もプロフィールのアイコンを、ゼルダの伝説のリンクにしていますが、彼のように美しくてセクシーな雰囲気になれたらいいなとよく思いますし、中高生の頃に「耳が尖ったらいいな」と思ったこともあったりします。 基本的に僕は女性キャラよりも、リンクしかり、男性キャラの方が遥かに好きですね。 愛着持てるし、「僕だってこんな風になれればいいのに!」という気持ちが強いです。 Twitterのフォロワーの人で、タイツフェチを自称している方がいますけど、彼の場合もまた「時のオカリナ」の大人リンクが穿いていた「白タイツ」を見てから目覚めて、彼自身もリンクのレイヤーですし、ヒマがあったら白タイツを穿いて外出を楽しんでいる方です。 男キャラを通じて、タイツが好きになり、そして白タイツを穿いている自分自身のことも好きな人なんだろうと思います。 僕にせよ彼にせよ、リンクがもしも女だったらここまで入れ込むことも絶対になかったと思います。 リンクが男だったから、そして男なのにすごくセクシーだったから、ここまで入れ込んでしまい更に「こんなセクシーな男になれたらいい」という気持ちまでもを抱いたと思います。 一種の自己愛だと思います。 また、わざわざセクシーな格好をする人だってそうでしょう。 中には「異性ウケ」を狙ってやる人もるかも知れませんが、正直ここは自己満の方が強いと思います。 特に、相手の性的魅力を「視覚」から得る男性に比べ、女性はそういう傾向は少ないと言われているだけに、女性は兎も角男性がセクシーな格好をした所で、女性ウケは良くないでしょう。 それでもやる人はいる訳です。 じゃあ誰のためかというと、自分のためだとしか思えません。 自分が美しいと思うからやるのに過ぎません。 で、こういう人がなにが美しいかとか、なにに憧れるかと考えると、なんだかんだで同性ですよね。 こんなにセクシーになりたいとか、そう思う訳ですよ、勿論同性に対して。 自己愛の強い人というのは、そうじゃない人に比べて、異性よりも同性の魅力に興味を持ったり、自分という存在を通じて同性に対して「性的に美しい(そして自分もそうなりたい)」という感情を抱くと思います。 そして中には自己愛が強い人だと、同性に性的に興奮する人もいると思います。 自分もそういうところがあります。 どういうことかというと、「自分だってこういうシチュエーションならエロいと思う」とか、そういうのをリアルに感じれるからですね。 男キャラにハァハァする男の人が知人にいますけど、なんだかんだで自己愛かなり強い人ですし、どことなく自分と性別が同じという理由からリアルさを高めているように見えましたよ。 だから、自己愛が強い人って、基本的にそうでない人に比べて同性の性的な物を含めたあらゆる魅力に関心を持ったり、憧憬したり、あるいは性的なシチュエーションに興奮したりする事が多い様ですよ。 特にオタク系の人で人と付き合いの少ない人とかで、マトモに他の人と恋愛をしていない人、経験していない人とかだと、いつのまにか普通の恋愛はどうでもよくなった分、色んな事が内向的になっていって、性的なものまでもが自分の中にある幻想を追い求める様になっていくこと、自己満足こそが一義になっていくことは決して少なくないと思います。 そこを踏まえた上で、同性愛と自己愛の関係というのはどうだと思いますか? 知る限り人によっては意見がものすごくまちまちで混乱します。 同性愛者の人は「同性愛と自己愛は根本的に違うものだと思う」と言う人が多かったです。 かたや異性愛者の人は「いずれにせよ同性に性的魅力を感じていることや、性的に興奮する要素を感じているには間違いないし、自分にはそういうことは理解できないし、同性愛と言って差し支えないと思う」という意見を半分ぐらい聞いた事があります。 こうも意見が分かれてる訳で、実際に自己愛というのは異性愛なのか同性愛なのか、確かに自己愛も同性愛傾向はあるけど同性愛の一種と捉えていいものか、違うのか。 実際同性愛とはどういう物なのか、ある程度詳細に知りたいと思っています。 大雑把に「男が男を好きなら同性愛」「女が女を好きなら同性愛」という感じではなくて、もう少し詳細な面も入れて、自己愛に絡めて説明して頂けると幸いです。

みんなの回答

  • titokani
  • ベストアンサー率19% (341/1726)
回答No.4

>とはいえ、自己愛が強くて内向的な人で尚且つ恋愛感情が薄めの人って、やはり色々な感情が異性よりは同性に向かいやすいですね。 「向かいやすい」という根拠が不明です。もしかして、ご自身のだけが調査対象ですか? また、「色々な感情」というのをもっと細かく分ける必要があると思います。 例えば、ゲイの人に女性アイドルのファンは多いそうです。 ただ、ファンではあるのですが、性愛の対象ではないそうです。 私の妻も昔、ゲイのしりあいがいて、大変可愛がってもらったそうですが、やはり性愛の対象ではなかったそうです。 >そうなるとそういう人は「ホモ」って言われたり、不思議な事にそういうオーラを出している人って、同性愛者自体となんらかの形で接点を持ってしまう可能性が高いですね。 周りからどういわれるかとか、ゲイの人から好かれてしまうとかは、本人にはなんの関わりのないことですので、考える必要はないでしょう。 >あるいは部分的に同性愛者向けのコンテンツを好む可能性もありますよね。 はい、それもたまたまと思います。コンテンツをどのように使うのかは、使う側次第です。 ヘテロの男性を好むゲイの男性が男女のからみのAVを見るということもあるそうです。 >なぜ無関係な筈の物がこんなところで交わって来るんだろうと感じます。 独立に存在しているからといって、交わることが決してないというわけでもないと思います。本来無関係の者同士であっても偶然に接点を持つということはよくある話でしょう。 そこのところは結論ありきではなくて、冷静に科学的に観察して考える必要があると思います。

  • titokani
  • ベストアンサー率19% (341/1726)
回答No.3

>その点、仮説上だと自己愛というのはどこに当てはまるものなのでしょうか? 無関係ですから、仮説上のどこにも当てはまりません。 同性愛とも無関係ですが、異性愛とも同じくらい無関係です。 「愛」とはついていますが、まったく別のジャンルと思っております。 なぜ無関係と思うかというと、動物にも同性愛的行動が観察されているからです。 動物にも同性愛があるとすると、それは前頭葉とは別の部分で行われる働きと考えられます。 一方、自己愛というのは、自己を自己として認識していることが大前提です。 自己認識というのはかなり高度な認識ですので、前頭葉の働きと思います。 ですので、自己愛と同性愛(異性愛も)は別の部分で行われる別の働きと思います。

GreenLink
質問者

お礼

ありがとうございます。 とはいえ、自己愛が強くて内向的な人で尚且つ恋愛感情が薄めの人って、やはり色々な感情が異性よりは同性に向かいやすいですね。 そうなるとそういう人は「ホモ」って言われたり、不思議な事にそういうオーラを出している人って、同性愛者自体となんらかの形で接点を持ってしまう可能性が高いですね。 あるいは部分的に同性愛者向けのコンテンツを好む可能性もありますよね。 なぜ無関係な筈の物がこんなところで交わって来るんだろうと感じます。

  • titokani
  • ベストアンサー率19% (341/1726)
回答No.2

>まずはその仮説に従うと、同性が好きになるという所と、自分自身が好きになる所は近いのか近くないのか、どうなんでしょうね。 いや、ですから、無関係であると2回も書いていますが。 近くないです。

GreenLink
質問者

お礼

ありがとうございます。 その点、仮説上だと自己愛というのはどこに当てはまるものなのでしょうか? じゃあ異性愛の方に当たるのかと思ってそこに照らし合わせたのですが、そっちは余計に近くないなと思ったのですが。 最低でも自分自身や自分自身が求める姿というのは、異性になりえないので(性同一性障害だったりドラッグクイーンだったりする人はまた別かも知れませんが)。 なんか難しいです。

  • titokani
  • ベストアンサー率19% (341/1726)
回答No.1

>同性愛と自己愛というのは近いものでしょうか 全然違うと思います。 絡めようがありません。 以下、個人的仮説です。 人間の脳はいくつものモジュールが組み合わさって動いているというのは、確からしい話出そうです。 また、脳も含めた男と女の体はほとんど違いがないことも確からしいようです。 違いの多くは、ホルモン量の違いによるものですので、基本的な設計図は同じで、かかれてある数値が少々違うといったものではないかと思っております。 さて、ここから仮説なのですが、人間の脳に、男を好きになるモジュールと女を好きになるモジュールとがあるとします。 このモジュールの発達の具合で異性愛、同性愛が生まれるのではないかという仮説です。  多くの男性では、女を好きになるモジュールが発達し、男を好きになるモジュールはあまり発達しません。多くの女では男を好きになるモジュールが発達し、女を好きになるモジュールはあまり発達しません。  これが逆になれば同性愛に見えますし、両方発達しているならバイセク、どちらも発達していないなら、無性ということになります。  MRIなどを駆使すれば、ある程度検証可能ではないかと思うのですが、そんなお金はないので、検証はできていません。ですが、まあまあうまく説明できる仮説なのではないかと思います。   この仮説に従う限りは自己愛はまったく関係ありません。 以上です。

GreenLink
質問者

お礼

ありがとうございます。 大雑把には理解できるのですが、その仮説の中に自己愛の話が一つもないので、疑問の解決には至りませんでした・・・。 まずはその仮説に従うと、同性が好きになるという所と、自分自身が好きになる所は近いのか近くないのか、どうなんでしょうね。

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