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神は何故エサウではなくヤコブを祝福したか
兄を欺き長子の権利を奪った性格が悪い方の弟が何故ですか? 神が不真面目な方の味方をした理由を教えて下さい
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- kagakusuki
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創世記の第25章29節~34節にはこうあります。 >ある日ヤコブが、あつものを煮ていた時、エサウは飢え疲れて野から帰ってきた。 >エサウはヤコブに言った、 >「わたしは飢え疲れた。お願いだ。赤いもの、その赤いものをわたしに食べさせてくれ」 >彼が名をエドムと呼ばれたのはこのためである。 >ヤコブは言った、 >「まずあなたの長子の特権をわたしに売りなさい」 >エサウは言った、 >「わたしは死にそうだ。長子の特権などわたしに何になろう」 >ヤコブはまた言った、 >「まずわたしに誓いなさい」 >彼は誓って長子の特権をヤコブに売った。 >そこでヤコブはパンとレンズ豆のあつものとをエサウに与えたので、彼は飲み食いして、立ち去った。このようにしてエサウは長子の特権を軽んじた。 この時代には、長男とは家長である父親の代理であり、父親の死に際しては他の兄弟たちの2人分の遺産を相続する権利があったそうです。 又それ以上に重要なのが、家族の代表として神と家族の間を繋ぐ祭祀としての名誉ある役割を担っていた事です。 その当時の長男にはこのような特権があった訳です。 そして人はこの世に生まれて来る際に、性別や生まれて来る順番を自らの意思で選ぶ事は出来ません。 人がこの世に生を受けた時に、長男になる事が出来るかどうかを決める事が出来るのは主だけです。 つまり、長男の特権は主の御意志によって与えられるものなのです。 エサウはたかが1回の食事のためにこの特権を放棄し、主の御意志によって決められた長男という祭祀としての役目を蔑にした訳ですから、それは主の御意志を蔑にしたという事にもなる訳です。 これに対し、元々は次男であったヤコブは、長男であったエサウの様な重い責任を負う立場であった訳ではありません。 ですから、主に対する責務において不誠実だったのはむしろエサウの方であり、 >神が不真面目な方の味方をした という事ではない訳です。 【参考URL】 Wikisource > キリスト教 > 旧約聖書 > 旧約聖書 (口語訳) > 創世記(口語訳) > 25.29 25:29 https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#25:29 牧師の書斎 > 一滴の雫 > 1. イエスを仰ぎ見る〔ヘブル書〕の目次 > 第28日 特権を放棄したエサウ http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E7%89%B9%E6%A8%A9%E3%82%92%E6%94%BE%E6%A3%84%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%A8%E3%82%B5%E3%82%A6
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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平たく言えば 神のえこひいきでしょう。 ○ 神の心 神の愛とは何か? この問いについての答えを求めて 人びとはヒラメキ(啓示)を得ることを願い あれこれを思いいろいろ考えて来ました。その中から――なお正解は得られず――その正解をみちびくと思われる補助線を引いて 生きるヨスガとした聖書記事が残されています。 ▲ (マラキ書1:2-3) ~~~~~~~ わたしは 〔双子の兄弟のうち兄の〕エサウを憎み 〔弟の〕ヤコブを愛した。 〔しかも母の胎内にいるときにすでに〕 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ あるいは: ▲ (ローマ書 9:18) ~~~~~~~ 神はそのあわれもうと思う者をあわれみ かたくなにしようと思う者を かたくなになさる。 ▲ (テモテ第一書 2:4) 神は すべての人が救われることを欲したまう。 ▲ (ヨハネ福音 3:8) 風は思いのままに吹く。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ あるいはつまり: ▲ (マラキ書 1:2~7) ~~~~~~~~~~~ 2: わたしはあなたたちを愛してきたと 主は言われる。 しかし、あなたたちは言う どのように愛を示してくださったのか と。 エサウはヤコブの兄ではないかと 主は言われる。 しかし、わたしはヤコブを愛し 3: エサウを憎んだ。 わたしは彼の山を荒廃させ 彼の嗣業を荒れ野のジャッカルのものとした。 4: たとえエドムが、我々は打ちのめされたが廃虚を建て直す、と言っても 万軍の主はこう言われる たとえ、彼らが建て直しても わたしはそれを破壊する、と。 人々はそれを悪の領域と呼び とこしえに、主の怒りを受けた民と呼ぶ。 5: あなたたちは、自分の目で見 はっきりと言うべきである 主はイスラエルの境を越えて 大いなる方である、と。 6: 子は父を、僕は主人を敬うものだ。 しかし、わたしが父であるなら わたしに対する尊敬はどこにあるのか。 わたしが主人であるなら わたしに対する畏れはどこにあるのかと 万軍の主はあなたたちに言われる。 わたしの名を軽んずる祭司たちよ あなたたちは言う 我々はどのようにして御名を軽んじましたか、と。 7: あなたたちは、わたしの祭壇に汚れたパンをささげておきながら 我々はどのようにしてあなたを汚しましたか、と言う。 しかも、あなたたちは 主の食卓は軽んじられてもよい、と言う。 [・・・] ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
- catpow
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人間からみたら、あの世以上の世界に存在する存在は、全てが人間以上の存在、つまりは「神」として見えることが多いのです。 そして、人が死ぬと、肉体から抜け出した霊は、通常、「あの世」に行きます。 もちろん、お金や土地、権力などに執着がある場合、妖怪ウォッチのジバニャンみたいに「地縛霊」となり、地上にとどまることもあります。 妖怪ウォッチでは、霊が現世の何かに執着していると、地上にとどまることができるけど、執着が無くなると、「成仏」して「あの世」に旅立つストーリが何度か放映されました。 あれは、事実に即したストーリだといえるでしょう。 そして、「あの世」も「この世」と同様に「普通の凡人の霊」から、ちょっと上の「専門家・技術者・芸術家の霊」の集団があり、その上には、政治家・宗教家の霊といった階層構造を創ってます。 つまり、旧約聖書、新約聖書で、おなじ「神」と呼ばれている存在は、同一の神ではなく、さまざまなレベルの違った神が登場しているんです。 旧約の中にも「我は嫉妬深い神」という記述があるように、レベルが下の神は、レベルの低いことをするんです。 レベルの低い神は、「お前の信仰心を試してみよう」なんてことで不幸の連続を与えてみたり、不真面目な方の味方をしたり、ユダヤの民が放浪の末に移住しようとしたとき、そこに居た先住民を殺すことを、自己中精神で認めたりするわけです。 県知事が不祥事を起こしても、それに対して総理大臣がコメントしないことがあります。 同様に、上位レベルの神は、ちょっと下のレベルの神のやることに、いちいち指導したり、口出しをしないんです。 だから上司ともいえるイエスが、イスラエルやアメリカを指導して、イスラムとの戦いを指揮する「大天使ミカエル」に対して、「ちょっとミカエルや、戦争の指導をやめなさい」とは言わない。 まあ、神の世界にも、この世と同じく、いろんな事情があって、問題が山済みってことです。
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心をご覧になった。エサウは長子の権利を軽くみた。
イスラエルの家庭よりも アダムの家庭を考えないと理解出来ません・・
お礼
ヤコブは欺く人、詐欺師と書いてありますよね この文章の中でもまずヤコブが長子の権利を売れと持ち掛けています つまるところ、無知は罪かという話になると思うのですが 知らなければ教えてあげなければいかんと思うのですが、兄弟なら尚更。 無知を利用するのは現在でも政府やマフィアがやってる手口でかなり悪いと思うのですが