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「聖断」は国体維持が目的だった

「聖断」は国体維持が目的で国民を救うためではなかった 明治大学山田朗教授(日本近代史) (中略) 2度の原爆投下とソ連の対日参戦を経て、ようやく天皇は8月10日と14日の「聖断」で「国民の命を助けたい」と受諾を決定しました。        ■ しかし「『聖断』の目的は国体維持だった」と山田教授は言います。 「『聖断』によるシナリオを描いたのは、木戸幸一内大臣です。彼が『時事収拾対策試案(6月8日)で、このまま推移すれば国体維持という『至上の目的』を達成できない』と書いているように、”国民のためを思い、天皇が戦争をやめさせた”という形を取ることで、天皇の権威を温存させようとした。国民を戦争の被害から即時救うためというのは表向きのものでした」 すでに2月、近衛文麿が戦争終結を上奏(天皇への具申)していますが、天皇は「もう一度戦果を上げてから」と拒否。天皇が終結へと傾斜したのは、5月のドイツ降伏と沖縄戦の行き詰まりを受けてからです。そのあとも国体維持に固執してソ連を仲介にした和平案を模索し、戦争の被害を拡大させました。 (中略)        ■ 「聖断シナリオ」は、天皇の戦争責任を不問に対する効果もありました。 「天皇は陸海軍を指揮する最高統率者=大元師でした。天皇の戦争責任は国家責任の中核です。これをうやむやにすると、日本の戦争責任自体を曖昧にすることになる」 (中略) ソース元が「しんぶん赤旗日曜版8月30日号」の29ページ目からだということは考慮しなければならないのですが、本文のは真実なのでしょうか?

みんなの回答

noname#212854
noname#212854
回答No.8

ただの政治的な結論に 「聖」をつけた時点で怪しいものになる。 教祖と宗教団体維持管理グループは、如何に馬鹿な信者を騙し続けるのか、苦心しただけ。  

noname#211103
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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回答No.7

日本国民の安泰、即、国体の護持。 その逆も同じ。 という観念ですからね。 どっちかを強く強調して片方を消極にするのは当時の選択という事を正確には伝えていないと存じます。

noname#211103
質問者

お礼

どちらもイコールで結ばれているということですね。 共産党は左寄りの考えだから偏っている部分も含まれることは考慮しているつもりですが、嘘は書いてなくても書き方一つで印象は大きく変わると感じます。

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回答No.6

国体維持が、そのまま国民を救うことになっている。あの時、天皇が処刑されていたら、アメリカとの「安保条約」はどうなっていたか、軍備をアメリカに依存して来たゆえの「高度成長」は可能だったかを考えてみましょう。「天皇」を殺された敗戦国の国民は「ポチ」どころか、もっともっと酷い「奴隷」的扱いを受けていたのかも知れませんよ。 戦争責任ということで、天皇をアメリカを中心とする連合軍が処刑していたら、アメリカに対する国民感情が、現在のようになっていたでしょうかね。「統帥権」というものがあったとしても、それを天皇が振り回したというわけではなく、そういう憲法規定を軍部が利用して、戦争を主導したというのが真実。戦争責任、処刑と言うのは無茶。

noname#211103
質問者

お礼

ありがとうございます。 国体維持=国民の命を救う イコールなんですね。 天皇の指揮権は形というだけで、実際はなかったも同然、周囲に利用されてたということでしょうか?

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  • kuni-chan
  • ベストアンサー率22% (678/3076)
回答No.5

 一つの出来事でも立場や見方が違えばいろいろな解釈が生まれます。  私は違うような感じがする部分があります。  天皇陛下が「聖断」を下す事は基本的にありません。  終戦決定の聖断は鈴木総理が求めたもので、これは特別なケースです。  政治家が正当化のために天皇陛下を利用したケースはあるでしょうが、天皇陛下が主体的に動いたケースは無かったと思います。  赤旗がどういう新聞かはご存じと思いますが、政治色が強烈に出ています。  それに賛同しないものは掲載されません。解釈の余地があればその方向に向けられたものになります。  そういう見方がある解釈があるという程度に見た方が良いでしょう。

noname#211103
質問者

お礼

ありがとうございます。 政治色も強くあるのかもしれませんね(今回の話とは違いますが、普段から赤旗を読んでいると、中韓には甘く、日本やアメリカには容赦しない印象があります。個人的な印象ですが)。 皆様の話を伺っていると、天皇は周りに利用され、周りが指揮をとっていたように感じますね。

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  • mitoneko
  • ベストアンサー率58% (469/798)
回答No.4

 すくなくとも、嘘は書いていないということでしょうかね。  恣意的な文章だなぁと思う最大のポイントは、「国体維持」という言葉と、「国民のため」という言葉を実に対比的に書いて見せたところですね。こう書くことによって、読者に国体=天皇制を礎とする独裁政治=大日本帝国みたいな印象を持たせたこと。  本来、彼らが何があっても死守しようとした「国体」というのは、少なくとも、そんな小さな意味では無かったはず。  国体が維持されなかったとしたら、日本は、ドイツや朝鮮のようになっていた可能性が大ですとか「アメリカ合衆国信託統治領日本列島」になったかもとかいう書き方をすれば、彼らが守り抜こうとして、おそらく、大半において成功したというか、最小限の被害で止めおけた「国体」というものが少し見えてくるのでしょうか。これにより、後世の我々は、日本の全体で経済大国の一員として、世界の中で見ても極めて恵まれた生活を歩めていることは事実です。  それをなぜ、「国体を維持する」か「国民の命と幸せを」との対比みたいな書き方になるかな?どちらかを選ぶものでは無いでしょうし、言い方を変えれば、「将来の日本国民全体の命と幸せを守る」為に、日本という「国体を維持する」ことが至上の目的であったと見れば、質問の文章には違和感を感じますね。

noname#211103
質問者

お礼

ありがとうございます。 同じ真実でも書き方一つで印象が変わりますね。 国体維持と国民の命どちらもイコールで結ばれているということですね。

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  • type096
  • ベストアンサー率22% (8/36)
回答No.3

嘘は書いていないですが、意図的に事実の一部を隠して読み手に誤解を与えようとしている論説ですね。 終戦の御聖断には確かに国体護持の目的もあったと考えられますが、それを意図したのは侍従や官僚、政治家たちであって、昭和天皇御自らではないと考えます。 現に、昭和天皇は連合国による御自らの処遇が決まっていない段階で、マッカーサー元帥に対して御自らに全ての戦争責任があると面と向かって仰られております。 そのような方が、自らの保身を考えて御聖断を下す決心をされるでしょうか? 昭和天皇は一重に敗戦と臣民の犠牲に対する責任感から御聖断を下されたのだと考えます。 2月の段階で昭和天皇が戦争終結を否定したと書いてある件については、実際に一度は戦果をあげさせないと陸軍が戦争終結に応じないだろうと考えた末ではないでしょうか。 実際、史実通りの終戦に際してさえ陸軍の一部は抑えがきかず、継戦を意図したクーデターまで起こしています。 沖縄戦や原子爆弾、ソ連参戦でやっと終戦に至ったというのは、それらの要素がなければ軍首脳部をはじめとする諸政治勢力も降伏を意図することが出来なかったからであり、上記の事由が生起する以前から昭和天皇は終戦の御意志を持たれていたと考えます。 昭和天皇の戦争責任については、当時の憲法上の解釈からすれば確かに存在するとも思われますが、当時の軍首脳部や政治家たちの多くが戦争責任を自らの物であるとして自決したり、A級戦犯として処刑されており、既に戦争責任については彼らが背負って逝きました。 それを無視して再び昭和天皇の戦争責任を追及するのは既に道理であるとは言えません。 赤旗は、日本の立憲君主制(のような体制)を解体して共産主義化することを意図する人たちが発行する工作文書です。 その点を踏まえて読まれることをおすすめします。

noname#211103
質問者

お礼

ありがとうございます。 >終戦の御聖断には確かに国体護持の目的 もあったと考えられますが、それを意図したのは侍従や官僚、政治家たちであっ て、昭和天皇御自らではないと考えます。 理解力が悪くてすみません。 戦争終結を国体維持目的で考えていたのは官僚や政治家達であり、天皇自身の終結の理由は国民のためだった(国体維持もあったとしても国民の命を守るため)ということでよろしいでしょうか? 共産党の言ってることだけでは偏るので、知人の新聞(経済新聞と赤旗)を読み比べていたのですが、仰っていることをふまえて読もうと思います。

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回答No.2

 そう思われても仕方ないよねぇ だって、日本国民でもある沖縄住民の犠牲があっても・・だったわけだし でも、当時の天皇陛下が、国体=天皇 という立場だったとは思えないけどね そう思っている人間は多かったにしても、天皇機関説との関わりを見ると、昭和天皇にとっての「国体」は、皇国史観の連中とは別物だと思う

noname#211103
質問者

お礼

ありがとうございます。 勉強不足ですみません。 >当時の天皇陛下が、国体=天皇 という立場だったとは思えないけどね 形では天皇が主導権でも、実体は周りの政治家や官僚が動かしていたということでしょうか?

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  • jusimatsu
  • ベストアンサー率11% (171/1438)
回答No.1

そういう一面もあったでしょうが、それだけでは無いでしょう。 物事というものがそんなに単純ではないことは質問者さんもご存知の通りです。

noname#211103
質問者

お礼

ありがとうございます。 皆様の意見を拝見しても国体維持以外にも理由はあったのだろうと思います。

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