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作文の添削をお願い致します。
いつも大変お世話になっております。 公務員試験作文の添削、アドバイスをよろしくお願い致しますm(__)m 「公共のマナーについて」 1000文字/1200 □近年、若者を中心としたモラルの欠落が問題視されており、それに伴った公共の場におけるマナー違反を多く目にするようになりました。そもそも、公共の場とは、多くの人と共有する場であるからこそ、多くの人の気持ちを汲み取った行動を心掛けて行くことが求められます。しかし、現在の多くの人は、自分のことを優先しすぎてしまうあまり、周りに目が行かなくなってしまい、結果的に社会に対して迷惑をかけてしまっています。 □その例の一つとして、「ながらスマホ」が挙げられます。これは、多くの人が行き交う公共の場において、歩きながらや立ちながら、話しながら自分のスマートフォンを操作することを言います。これは自分のことを優先しすぎてしまっている典型的な例であり、ながらスマホによる事故やトラブルが社会問題となっています。この問題に対し、携帯電話会社は、ながらスマホをやめるように呼びかけを行っていることや、自治体にによっては、ながらスマホに厳しい罰則を設けるなどの対策を講じました。しかし、このような対策も根本的な解決には至ってはいません。この問題の解決には、一人一人が今一度公共のマナーのあり方について考え、解決していくしかないと考えます。 □本来の公共のマナーのあり方とは、相手の人達のことを気遣う、思いやりの気持ちで成り立っています。「罰則があるからながらスマホ辞めよう」というような気持ちでは、また別のマナーを守らないかも知れません。公共の場を利用する一人一人が、他人を思いやる気持ちを再認識し、自分の行う行動一つで、多くの人のに影響を与えてしまうという自覚と責任感を持つことが重要であると思います。また、自分の行いを客観的に見るという広い視野を持つということも大事です。自分のことに夢中になりすぎてしまっているからこそ、自分の行いの愚かさに気付いていないという人は、とても多いと思います。今一度、自分の普段の行いを他人がしていたらどう思うか考え、見直して行くと良いでしょう。 □これから先、私は社会人となることで、より多くの公共の場で、より多くの人と接する機会が増えると思います。そのような時も、私は社会人の一員としての自覚と責任感を持ち、思いやりの気持ちを忘れずにマナーを守って行きたいと思っています。 あまり自信がありません。 添削、アドバイスをよろしくお願い致しますm(__)m
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>モラルの欠落が問題視されており、それに伴った公共の場におけるマナー違反を多く目にするようになりました。 とありますが、「公共の場におけるマナー違反」は「モラルの欠落」に伴って起きるようになった事柄であって、「モラルの欠落が問題視されて」いる事に伴っている訳ではありませんから、 >モラルの欠落が問題視されており、それに伴った公共の場におけるマナー違反 と表現しているのはおかしいと思います。 近年、若者層の一部などにモラルの欠落やそれに伴う公共の場におけるマナー違反が見られる事が多くなり、問題視されております。 とされては如何でしょうか? 尚、「オバタリアン」などという言葉があった事からも判ります様に、自分のことを優先しすぎて、周りの迷惑やマナーを顧みない人間が多い事は、何も近年になってからの話でも、若者に特有の話でもないのですから、そもそも >近年、若者を中心とした という書き出しで始める事自体があまり適切とは言えないのではないかと思います。 >公共の場とは、多くの人と共有する場であるからこそ、多くの人の気持ちを汲み取った行動を心掛けて行くことが求められます。 とありますが、1つの文中に「多くの人」と言う表現が2回も使われているため冗長な印象を与える文面となっている様に感じられます。 又、「行動」と「行くこと」に関しても、この文面の中ではそれらの言葉が指し示している行為こそ異なっているため必ずしも間違いとは言えないものの、やはり似たような意味合いの言葉が重複して用いられているために冗長な印象を与える文面となっている様に感じられます。 ですから 公共の場とは、多くの人と共有する場であるからこそ、他者の気持ちに配慮して行動することが求められます。 とされては如何でしょうか? >その例の一つとして、「ながらスマホ」が挙げられます。 とありますが、この文の途中に読点を入れる必要はないと思います。 >これは、多くの人が行き交う公共の場において、歩きながらや立ちながら、話しながら自分のスマートフォンを操作することを言います。 とありますが、「ながらスマホ」は「多くの人が行き交う公共の場」で行う場合に限ってその様に呼ばれる訳ではありませんから、上記の部分における「ながらスマホ」の定義に関する説明は誤っています。 又、スマートフォンには電話としての機能もあるのですから、話ながらスマートフォンを操作するのは当然の事ですので、 >話しながら自分のスマートフォンを操作すること をも「ながらスマホ」の一種と見做しているのは明らかに間違っています。 もしかしますと質問者様は「歩きながらや立ちながら」という行為をしながら「スマートフォンで話したり、スマートフォンを操作したり、」という行為をする事という意味でそのように表現しているのかも知れませんが、文面をそのまま素直に読んだ限りでは「歩きながらや立ちながら(及び)話しながら」といった行為をしながら「自分のスマートフォンを操作すること」を「ながらスマホ」であるとしているという意味にしか受け取る事が出来ない文面となっています。 又、「ながらスマホ」は、確かに他人に対して害を与える恐れがある事も確かですが、それだけではなく「ながらスマホ」を行っている当人自身が転倒や落下、交通事故といった事故に遭う危険が大きく増してしまう事も大きな問題点とされています。 これはつまり「ながらスマホ」は必ずしも当人の益になっている訳ではないという事なのですから、 >自分のことを優先しすぎてしまっている典型的な例 と言う事は出来ないと思います。 >この問題に対し、携帯電話会社は、ながらスマホをやめるように呼びかけを行っていることや、自治体にによっては、ながらスマホに厳しい罰則を設けるなどの対策を講じました。 とありますが、「自治体にによっては」ではなく「自治体によっては」ではないかと思います。 それ以前の問題として、この文は「この問題に対し、携帯電話会社は、」で始まっておりますので、文頭の部分は「(ながらスマフォの)問題に対する携帯電話会社の対応」に関する文章である事を示しているのにもかかわらず、「ながらスマホをやめるように呼びかけを行っていること」という「携帯電話会社の対応」の後に「~や」を付けて、それとはまた別の「携帯電話会社の対応」を述べる様な形式で文面を続けていながら、「自治体にによっては、ながらスマホに厳しい罰則を設けるなどの対策を講じました」という「携帯電話会社の対応」ではない話に繋げているのはおかしいと思います。 これは「この問題に対し、携帯電話会社は、」という文で始める事によって、文章の主語を「携帯電話会社」に固定してしまった事が原因ですので、例えば次の様にされては如何でしょうか? この問題に対し、携帯電話会社による「ながらスマホ」を止めるように促す呼びかけや、一部の自治体による厳しい罰則規定を伴う「ながらスマホ規制条例」などの対策が講じられて来ました。 >この問題の解決には、一人一人が今一度公共のマナーのあり方について考え、解決していくしかないと考えます。 とありますが、「ながらスマホ」だけの問題に対する解決方法としてならばそれで良いかも知れませんが、質問者様の作文の主題は「モラルの欠落」と「それに伴った公共の場におけるマナー違反」に関する話なのであり、モラルが欠落した人間はそもそも >今一度公共のマナーのあり方について考え、解決していく 等という事はそもそもしないものなのですから、質問者様が提案されている >一人一人が今一度公共のマナーのあり方について考え、解決していく という話は、「モラルが欠落している人間がモラルを持って行動する事」を期待しているだけに過ぎず、「モラルの欠落」と「それに伴った公共の場におけるマナー違反」の解決方法には全くなっておりません。 モラルが欠落している人間が増えている事によって生じている問題の解決方法を示すのであれば、その様な人間にどうやってモラルを身に着けさせれば良いのかという方策を示すべきではないでしょうか? 或いはあまり良い事とは言えませんが次善の策としては、モラルが欠落している人間を世間から排除する様な方法でも一応は対策であると言えなくもありません。 >「罰則があるからながらスマホ辞めよう」というような気持ちでは、また別のマナーを守らないかも知れません。 と仰るのであれば、論点は「それではどうすれば良いのか?」という事になります。 しかしながら、それに続く文面で質問者様が挙げておられるのは、 >公共の場を利用する一人一人が、他人を思いやる気持ちを再認識し、自分の行う行動一つで、多くの人のに影響を与えてしまうという自覚と責任感を持つことが重要であると思います。また、自分の行いを客観的に見るという広い視野を持つということも大事です。自分のことに夢中になりすぎてしまっているからこそ、自分の行いの愚かさに気付いていないという人は、とても多いと思います。今一度、自分の普段の行いを他人がしていたらどう思うか考え、見直して行くと良いでしょう。 という、元々「高いモラルを持っている人間」しか行わない様な事を「モラルが低いが故に問題を起こしてしまうような人間」が行う事を期待しているだけに過ぎず、その様なモラルの高い人間ばかりなら、そもそも質問者様が挙げておられる様な問題など最初から起きる事は無かった筈です。 個人に対する説得やアドバイスの類であればその様な話も有用ですが、社会的な問題を論じる上では、解決方法どころか何の対策にもなっておりません。 要するに質問者様の作文は、 >近年、若者を中心としたモラルの欠落が問題視されており、それに伴った公共の場におけるマナー違反を多く目にするようになりました。 という社会的な問題を主題として話を始めていながら、「モラルが低い人間が元々高いモラルを持っている」という矛盾した状況が存在する事を期待して、「モラルの低い人間」が「高いモラルを持ちたい」と考えているとは限らないのにもかかわらず、その様な人間に向かって「高いモラルを持つと良いでしょう」と述べる事で結論としている訳で、一体何を主張したいのか訳の解らない作文となっています。
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- Nakay702
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以下のとおりお答えします。おっしゃりたいことはよく分かります。 これまでとはちょっと違いますが、質問文に続けて⇒のあとに説明を入れ、添削文はまとめて最後に掲げます。(ごめんなさい。あまりうまく添削できませんでした。) 「公共のマナーについて」 □近年、若者を中心としたモラルの欠落が問題視されており、それに伴った公共の場におけるマナー違反を多く目にするようになりました。そもそも、公共の場とは、多くの人と共有する場であるからこそ、多くの人の気持ちを汲み取った行動を心掛けて行くことが求められます。しかし、現在の多くの人は、自分のことを優先しすぎてしまうあまり、周りに目が行かなくなってしまい、結果的に社会に対して迷惑をかけてしまっています。 ⇒「他人ごとのように言っていますが、私も時々その一人です」のように、自分も当事者の一人に入れましょう。 □その例の一つとして、「ながらスマホ」が挙げられます。これは、多くの人が行き交う公共の場において、歩きながらや立ちながら、話しながら自分のスマートフォンを操作することを言います。これは自分のことを優先しすぎてしまっている典型的な例であり、ながらスマホによる事故やトラブルが社会問題となっています。この問題に対し、携帯電話会社は、ながらスマホをやめるように呼びかけを行っていることや、自治体にによっては、ながらスマホに厳しい罰則を設けるなどの対策を講じました。しかし、このような対策も根本的な解決には至ってはいません。この問題の解決には、一人一人が今一度公共のマナーのあり方について考え、解決していくしかないと考えます。 ⇒最後の文は次の段落の冒頭に送り、「いずれの対策も根本的な解決には至ってはいないようです」のような推測の形の表現でこの段落を閉めましょう。 □本来の公共のマナーのあり方とは、相手の人達のことを気遣う、思いやりの気持ちで成り立っています。「罰則があるからながらスマホ辞めよう」というような気持ちでは、また別のマナーを守らないかも知れません。公共の場を利用する一人一人が、他人を思いやる気持ちを再認識し、自分の行う行動一つで、多くの人のに影響を与えてしまうという自覚と責任感を持つことが重要であると思います。また、自分の行いを客観的に見るという広い視野を持つということも大事です。自分のことに夢中になりすぎてしまっているからこそ、自分の行いの愚かさに気付いていないという人は、とても多いと思います。今一度、自分の普段の行いを他人がしていたらどう思うか考え、見直して行くと良いでしょう。 ⇒「スマホ辞めよう」の「辞める」は、「職業などをやめる」の意。これを漢字で書くなら「止める」でしょうが、ひらがなの方がいいかも知れません。周囲に対する配慮のくだりに「TPO(Time時間, Place場所, Opportunity機会)をよく考えて」や「人の振り見てわが振り直せ」という諺」などを追加しましょう。そして、段落を2つに分けましょう。 □これから先、私は社会人となることで、より多くの公共の場で、より多くの人と接する機会が増えると思います。そのような時も、私は社会人の一員としての自覚と責任感を持ち、思いやりの気持ちを忘れずにマナーを守って行きたいと思っています。 ⇒最後の部分に、「『TPOをよく考え、全体状況を俯瞰する意識を持ち、他者の視点から自分を見る』などの心的態度で公序良俗を尊重する所存です。」というような文言を入れて結びとしましょうか。 添削例:「公共のマナーについて」 □近年、若者を中心としたモラルの欠如が問題視されていますが、確かに公共の場におけるマナー違反を多く目にするようになりました(と、他人ごとのように言っていますが、私も時々その一人です)。そもそも、公共の場とは多くの人と共有する場であるからこそ、他者の気持ちを汲み取った行動を心がけることが求められます。しかし、現在の多くの若者は、自分のことを優先し過ぎるあまり、文字通り傍若無人になってしまい、意図したわけでなくても、結果的に周囲に対して迷惑をかけることになってしまいます。 □その一例として、「ながらスマホ」が挙げられます。これはもちろん、多くの人が行き交う公共の場において、歩いたり話したりしながら自分のスマートフォンを操作することですが、これが典型的な例です。この「ながらスマホ」は現在最大級の社会問題で、事故やトラブルの大元となっていますので、携帯電話会社がこれをやめるように呼びかけたり、自治体が厳しい罰則を設けるなどの対策を講じたりしています。しかし、残念ながら、いずれの対策も根本的な解決には至ってはいないようです。 □では、「ながらスマホ」に対してどんな解決方法があり得るでしょうか。極めて月並みな方法ですが、公共のマナーのあり方について一人一人が主体的に考え、自覚し、解決していくことしか考えられません。ところで、「自由」には2つのことがついて回ると言います。「結果を引き受けること」と「周囲を配慮すること」です。たとえ未成年であっても、例外にならないことを自覚すべきでしょう。特に、周囲に対する配慮というのは、いわゆるTPO(Time時間, Place場所, Opportunity機会)をよく考えること、周囲の人達を気遣うこと、自分のいる場所全体を俯瞰する意識を持つことなどから成り立っている、と言えます。 □浅薄にも、「罰則があるから、ながらスマホをやめよう」という程度の考えでは、また別のマナーを守らないかも知れません。公共の場を利用する一人一人が、他人を思いやる気持ちを再認識し、自分の行う行動一つで多くの人に影響を与えてしまうという自覚と責任感を持つことが重要であると思います。また、自分の行いを客観的に見るという広い視野を持つことも大事です。自戒も込めて言いますが、自分のことに夢中になり過ぎてしまうと、自分の行いの愚かさに気付きにくいという面かあると思います。「人の振り見てわが振り直せ」という諺があります。平素から、「自分の行いを他人がしていたらどう感じるか」を考えながら、自分の振舞いを規制するのも一法かも知れません。ともかく、そういう意識があれば、例えば、人込みの中を歩く時と家でくつろいでいる時を同一視するようなこともなくなるでしょう。 □これから私は社会人となることで、公共の場でより多くの人と接する機会があることと思います。そのような時、「TPOをよく考え、全体状況を俯瞰する意識を持ち、他者の視点から自分を見る」などの心的態度で公序良俗を尊重する所存です。(1247字)
- ゆのじ(@u-jk49)
- ベストアンサー率30% (1233/4073)
何時の世でも、若者の言動に大人は眉を顰めるもの。こういうことは、今日的事象ではない。そして、いま存在している植物、動物は、いずれも過酷な生存競争を勝ち取ってきた品種。他者を圧倒し、そして、食い殺して生き残った品種。自己保身を最優先にしたからこそ今があるのに、それを変更させようというのが無茶な話。 表面的に調子の良いことを言うことはあっても、結局、人は自己保身に走る。 それにね、公共の場だけでなく、専有空間でのマナーも無視してはいけない。家庭内暴力を失念してはいけない。 この種の問題は、かの故E大先生が結論を与えている。 即ち、「不快感」の最上級は「殺意」なのだから、殺されたくなかったら、他者に不快感を与えてはいけない、他者には優しく接するという生き方をしなければいけない、とE先生は言った。合掌。 不特定多数が行き来する公共の場で、周囲に不快感を撒き散らしていたら、命がいくつあっても足らない。