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何かを発見したり発明したりする人のやりたい事の順位
エジソンの機械の発明やアインシュタインの特殊性相対性理論の発見ってホントにそれが一番に好きでやった事だったんですか? ホントは他の事で一番にやりたかった事がありそれをしたかったけど環境が悪かったりお金が無かったりしてしょうがないから諦めて、二番目にやりたかった機械の発明や特殊性相対性理論の発見などをやったという可能性はありますか? 人って自分が一番に好きでやりたい事がやれるのってホントに難しいと私は思ってるんですが、何かを成し遂げて歴史上に名を残した人達ってホントにそれが自分が一番に好きでやりたかった事をやったんですか? 凄く疑問なんで回答お願いいたします。
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エジソンとアインシュタインでは、かなり状況が異なりますね。エジソンは数多の、しかも優れた発明を成し遂げた人です。アインシュタインは、ごく僅かの、しかし全ての物理学分野に重大な影響を及ぼすほどの物理学理論で功績を残した人です。 エジソンを考えると、彼が発明を始めた当初は、発明を自分の仕事としては重視していなかったようです。ところが、意外にもそれが役立つものでした。発明品とは「1時間ごとに決まった電信を打つこと」なんですが、その電信を打つのが彼に課せられた仕事でした。時計を応用して1時間ごとに電信を打つ機械を作り、その機械に仕事を任せたら、人間(エジソン)がやるより、遥かに正確、確実に仕事ができた。 おそらく、それが彼の最初の成功体験だったと思います。自分が向いていること、自分が人並み外れて優れているのは発明だと気が付いたでしょう。そこで今度は発明品で特許を取った。議会の多数決用投票装置だったんですが、瞬時に賛成・反対が判明する点が、当時の議会には合わず、採用されませんでした。 しかしエジソンは、この失敗で逆に奮起します。後に彼は「失敗したことはない。うまくいかない方法を発見したのだ」と言い切るほど、失敗にはめげない人でした。これは、発明に没頭する以前からの性格ではなかったかと思います。ともあれ、エジソンは株式市場表示器を開発し、特許を取得したら、エジソンの予想外の買値がつきます。大成功です。 このことで、エジソンははっきりと、自分の存在意義は発明にあると感じたのだろうと思います。これ以前の時期だと、発明が自分の得意分野とは思ったものの、生涯かけて取り組むとまでは思い込めていなかったでしょう。以降、エジソンは自分の発明の権利を守ることに大変な執着を示し、闘争心むき出しでライバルと戦って行くことになります。 エジソンは発明でのいくつもの機会を、成功であれ、失敗であれ、得ていくうちに、次第に自分の生き方を発明に集約させていったといえるのではないかと思います。 一方、アインシュタインですが、もちろん相対論の創始者として有名です。相対論は既存の各種物理学に適用され、物理学の大幅な発展が起こりました。アインシュタインはノーベル賞受賞者ですが、相対論では受賞せず、相対論より遥かに小さい功績というしかない光量子仮説(光は波だけでなく粒子の性質も持つという仮説)でノーベル賞を受賞しています。 アインシュタインとて、光量子仮説でノーベル賞を受賞しても、相対論のほうが重要であると認識していたことは、間違いなさそうです。アインシュタインは相対論は二段階に分けて、理論化しています。最初のは特殊相対論です。 特殊相対論で目立つのは、どんな人から見ても光は必ず一定の光速度になるという、光速度不変の原理です。当時の物理学の大御所のローレンツなどは、光に関して別の理論(収縮仮説と呼ばれるもの)を提唱していました。さらに、フランスの数学者のポアンカレも、独自の考察で、アインシュタインより前に光速度不変の原理に基づく理論を提唱しています。 アインシュタインはポアンカレの功績を認めず(突きつけられると知らなかったなどとシラを切ったり)、自らの功績であるとし、ポアンカレが激怒してアインシュタインを終生許さなかったほどでした。ローレンツなどとも、当然、激しい抗争になります。もっとも、ローレンツとの対決は、理論物理学の仕事ではなく、実験・観測物理学の分野で決する性質のものでしたから、直接的な葛藤はあまり生じていません。 ポアンカレが先に同じ光速度不変の原理で理論化したことからも分かるのですが、当時の電磁気学の状況では、アインシュタインが考案せずとも、特殊相対論と同じ理論は、別の誰かが行ったと思われます。実際、特殊相対論の最重要の数式も、アインシュタインではなくローレンツの名前が冠せられています。 アインシュタインが特殊相対論を創始したと認めたとしても、実はアインシュタインの数学の師のミンコフスキーが幾何学的に整理しており、特殊相対論として学んだり、実用に供せられるのは、ミンコフスキーが書き直した特殊相対論です。アインシュタインは、自分の理論を整理したものであるにも関わらず、当初はミンコフスキーによる特殊相対論の幾何学化の重要性が理解できなかったようです。 ともあれ、並み居るライバルを蹴落とし、あるいは論破して、特殊相対論で物理学の最高峰に数えられるようになります。それまで生計を立てていた特許局の職を辞し、物理学者として生きていけるようになります。 アインシュタインが、自分が生涯を理論物理に賭ける自信を得て、自分の存在意義が理論物理学であると自覚したのは、特殊相対論の成功によるものでしょう。それまでなら、一応は物理学を修めた者、程度の自覚だったと思われます。エジソンが多数の経験から自らを発明に集約したの対し、アインシュタインはたった一つ、特殊相対論で自分を決定づけました。 その後、幾何学の重要性を理解したアインシュタインは特殊相対論を、一般相対論に高めます。彼の成功は、実はそこまでです。 量子力学にもある程度の功績を残したものの、確率論が気に要らずに量子力学に抵抗したことは有名です。一般相対論は重力理論でもあるのですが、電磁気力などとの統合を目指した統一理論では、結局、全く成功できませんでした。一般相対論以降は、あれもこれも失敗続きになってしまったわけです。 それでも、アインシュタインは世界有数の物理学者であるとの自負は全く揺るがず、一般相対論の実験・観測的な正しさの確認などの報に満足しつつ、一生を送っています。全ては、やはり特殊相対論というたった一つの大成功体験によるものと思われます。 発明のエジソンと相対論のアインシュタイン、自分をその道のみに賭ける決意を持てる前は、どちらも自分が本当にやりたいことなのかどうか、分からなかったと思われます。しかし、どちらも努力と才能と時機と運が作用した成功により、自分がやりたいことはこれだ、と思えるようになったのでしょう。両者の決意の違いは、徐々になのか、たった一度でなのかの違いでしょうね。
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- 4594545
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どうあがいても、あなたはアインシュタインにもエジソンにもなれないから、もうこの手の質問はやめましょう。 見苦しい。
お礼
いや私は別にあがいてる訳では無いです(笑)
そんなこと、本人に聞かなきゃ分からないでしょ。
お礼
回答ありがとうございます。
- kaitara1
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それが一番やりたかったことかどうかは本人でも決められないのでは。研究者でもおなかが減ればご飯を食べようとするし雨が降ってくれば濡れないようにするというように本人の意思とは無関係でやったほうがよいことというのが普通です。研究している際にも同じことがおこります。つまり本人が予想をしていなかったことが次々と出てくるのが本当の研究です。こういう場合出てきた問題が本人が一番やりたかったことであるはずがありません。もちろん研究者が研究に取り掛かった時には一番やりたかったことを選んでいるはずですが、最終的に得られた結果というものは本人にも予想できていなかったはずですから、まして一番やりたかったこととは言えません。むしろ次々出てくる新しい問題点を追求し続けた人がほかの人ができないような発明や発見を可能にするのではないでしょうか。このことは天才でない我々にも当てはまります。
お礼
なるほど。研究以外の発明とかでも発明がホントに一番にやりたい事であっても発明の結果自体は一番にやりたい事では無かったりするんですね。
- trytobe
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エジソンは、実験するのに必要な材料とかを自分で買うために小遣い稼ぎの売り子をした。あとは、発明したものが売れては、次の発明をする資金が集まって、自分がやりたいことを試す→商売になって売れる→次のやりたいことを試す、の幸運が続いた。 アインシュタインは、とりあえずスイスで特許庁に勤めて自分で食えるようになってから、どう動いていても、真空中での光の速度を測定したら同じになる、っておかしくね?、という疑問にとことん考え込むだけの「プライベートな時間」があった。 どちらも、「やりたいことがあった」のが第一で、そのための時間や金を稼がないといけなかった(その後は、軌道に乗って自動的に金銭的にも時間的にも専念できる職を得た)というだけです。
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
かなり詳しく回答をありがとうございます。なるほど。初期の段階では自分はこれが一番に好きでやりたい事というのでは無かったんですね。それが徐々に自分はホントはこれが一番に好きでやりたい事だったという風になったんですね。