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「韓国併合」を受諾した時の韓国の閣議のメンバー。
1910年8月18日、日本が韓国に示した「併合案」を受諾するための閣議が開かれています。 Wiki「韓国併合」によれば、 「親日派で固められた韓国閣僚でも李容植学相は併合に反対するが、大勢は併合調印賛成に傾いており、8月22日の御前会議では李完用首相が条約締結の全権委員に任命された。(以下略)」 と、あります。 外交権、警察権、司法権も取り上げられ、軍隊も解散させられ、通貨の発行権もない韓国で、他に何を所管する閣僚が居たのか、教えてください。 よろしくお願いします。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 ピタリの資料を教えて下さったので、よく分かりました。 wiki「庚戌国賊」によれば、朴斉純- 外部大臣、趙重応 - 法部大臣の名が出てくるのですが、外交権も司法権も日本が取り上げているので、そんな大臣が居るのはおかしいと思って調べていました。 このご回答で、朴斉純は内部大臣、趙重応は農商工部大臣であることを確認できました。 最近は、「韓国併合と植民地支配」について、中学生・高校生の孫と話すこともあります。 教科書どおりのことを教えています。 中学社会の歴史教科書には、下記のように書いてあります。 「1910年、日本は韓国を併合し(韓国併合)朝鮮総督府を設置して武力を背景とした 植民地支配をおし進めました。」 だいたい、こんな閣議の内輪話がすぐに入手できること自体、やはり武力(軍隊)という後ろ盾があったからでしょう。 「不日開カルヘキ御前會議ニ於其ノ決意ヲ促スノ外ナシト認メタルモ若シ公然異議ヲ唱フルカ如キコトアリテハ外形上圓滿ヲ缺クノ嫌アルヲ以テ李完用ハ彼ヲシテ學事視察等ノ名義ヲ以テ地方ニ旅行セシムルニ如カストノ意見ヲ抱キ其ノ結果表面水害見舞トシテ本邦ニ特派スルコトニ決シタリ」 韓国併合は、日本の脚本どおりに閣議を開かせて、そして御前会議で承諾させたということがこの資料から読み取れます。 ご教示に感謝申し上げます。