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韓国が日本に併合を要請したという韓国併合説。

タイトルの説をこのカテで時折見かけます。 韓国の誰が、どんな方法で、例えば会談・会議とかで 日本に要請したのですか。 要請したという記録(議事録など)を教えてください。 よろしくお願いします。

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  • 92128bwsd
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回答No.4

大日本帝國に大韓帝國の併合を求める意見はいたるところにあり、その声をまとめた意見書も残されています。また、併合直前の李完用内閣の閣議では併合承認が多数で、最終的には時の大韓民国皇帝の純宗の全権委任の元、李完用が併合を決定し第三次日韓協約に署名しています。手続き上は当時の国際法上正当性があるものだし、列強も特に米国もこの動きを支持しています。 それに対して、日本が武力を背景に反日派を排除して親日派を支援し、一方的な併合を進めたと言ってしまうと、もはやどの時代の常識に照らし合わせた議論なのか、当時誰が朝鮮人の民意や正義を代表していたのかと言う答えの無い話に陥るだけで、それが今の論争と思います。当時は列強が武力と経済力を背景に未開の地域を植民地化し、正当化していた時代で、また朝鮮半島に民主的な体制があったわけでも、国際連盟のような組織があったわけでも無く正当性を争うような議論では無いと思うのですけどね。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 とても分かりやすい説明で納得しました。 推進派もあれば反対派もあって当然です。 「最終的には時の大韓民国皇帝の純宗の全権委任の元、李完用が併合を決定し第三次日韓協約に署名」 しているわけですから、この事実を無視できません。 >日本が武力を背景に反日派を排除して親日派を支援し、 >一方的な併合を進めたと言ってしまうと、 >もはやどの時代の常識に照らし合わせた議論なのか、 >当時誰が朝鮮人の民意や正義を代表していたのかと言う答えの無い話に陥るだけで、それが今の論争と思います なるほど!!この結論には同感です。 外交・軍事・内政を自主的に決定できないようでは独立した国家とは言えませんが、そんなことを言 い出すと「答えの無い話に陥るだけ」ですね。 すっきりしました。

その他の回答 (6)

回答No.7

説ではなく 歴史的事実 韓国も過去にこの事を認めていました しかし今は反日材料として利用するために「侵略」や「植民地」だと言っているだけです 伊藤博文は韓国併合を強行したために暗殺されましたが 黒幕は軍の明石参謀でしたね これは日本が朝鮮を強制的に支配したと言う狂言を封じるための工作です

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 歴史的事実であることは、よく分かりました。

  • 4237438
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回答No.6

韓国が日本を悪者にしようとどのように嘘をついているかは知りませんが、日本は中国とロシアの勢力を半島から排除するのが目的でした。とくにロシアは領土的野心をもっていますから朝鮮がとられたら日本が危うくなるからです。 ロシアの勢力を朝鮮から追い出した後、日本の保護国みたいな感じでそのまま置いておこうとしておりました。 しかし、朝鮮は保護国では喜べません。遅れたままですから。李完用は日本に併合を申し出ました。 併合となると韓国は日本の一つの県となり日本政府はインフラを作り学校を作り道路を作り、同等の生活をさせなければなりません。莫大なお金がかかります。当然、日本は渋りました。しかし、韓国側が四度も願い出るに至り仕方なく併合を受け入れることになりました。 貴方はなにか不思議なことだと思っているようですが、不思議でもなんでもありません。ヨーロッパのどの国がアフリカや南アメリカやアジアにおいて自分の国に併合したでしょうか。植民地にしたんです。搾取の対象です。併合して自分の国になればインフラや教育などで莫大なお金がかかります。併合は誰だってしたくありません。日本は泣く泣く併合してあげたんです。それを韓国人たちが国を盗られたと逆恨みしているだけなんです。 日本は本当は保護国としてそのままにすべきだったんです。 併合したおかげで日本の東北地方は貧しいまま放っておかれました。 一方、朝鮮は大学を作ってもらって道路を作ってもらって、病院を建ててもらって、鉄道を引いてもらって、農業に進んだ技術を導入してもらったおかげで人口はどんどん増えGDPは驚異的に伸びました。韓国は日本に先進国にしてもらって感謝しなくてはならない立場です。 それを恨むだなんて何という恩知らずな国民であろうか。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 不思議ですねぇ。私には理解できない箇所があります。 この種の質問に対する回答には、いつも「朝鮮から併合の要請があったから」を見かけます。 なぜ、「併合してあげた」とおっしゃるのでしょうか。 20世紀初頭の「明治日本」は、「大国」でした。 今の言葉で言うなら「力で現状を変更できる」国家でした。 東京帝国大学には植民政策論の講座があり、担当教授は新渡戸稲造でした。 植民地経営の理論的主柱です。 朝鮮を植民地化したことに関しての新渡戸の主張を信じていました。 朝鮮は、日本という心臓につきつけられた剣であり、これが中国やロシアという外国の勢力下に入る と、日本の国家存立が危険となるので、機先を制して朝鮮を併合した。 つまり、「明治日本」は、ロシアの動向を見据えて、国家戦略としてわが国主導で朝鮮を併合した。 諸外国と交渉して、同意を得るなどの外交もきちんとやれる外交官僚もいた。 そして、日本による朝鮮統治の成果は、社会的インフラの充実ほか、農業、産業、教育、医療など多 方面にわたった。 わが国も植民地経営ができるという実績を西欧諸国に示すことができた。 #1の方のお礼欄にも書いたのですがもう一度。 大手進学塾の大学受験参考書「日本史」(2013年11月発行)から抜粋します。 ……世界のビッグ3(英米露のこと)が韓国の保護国化を認めてくれました。 もういつでも植民地にできるというわけです。 そんなときに、伊藤博文が満州で暗殺されます。 この事件をきっかけに日本は韓国を植民地にします。 これを読んで、「明治日本」の確固たる意思で併合したものだと思っていました。 今は、「韓国が併合してほしい」と言ってきたから、と考えるべきなのでしょうか。 それならそれで、考え直します。

  • hekiyu
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回答No.5

説じゃなくて、歴史的事実です。 当時の韓国首相であった「李完用」が、最大政党 一進会の賛同を得て、日本に併合を依頼しました。 韓国もこれを認めています。 だから、「李完用」は韓国史上最大の悪人に なっているのです。 併合依頼の事実が無い、というのは李朝が反対して いたから、これを根拠に依頼などした覚えは無い と主張しているのです。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 歴史的事実であることは、よく分かりました。

回答No.3

大韓帝国内で、李容九が1904年に、「一進会」を結成し、日本との一体化こそが国を救う道であるとの主張を、民衆に対して説いた。 「一進会」は、当時の大韓帝国における最大の政治団体となり、日露戦争時には日本軍にも積極的に協力していた。 1909年に、李容九は一進会百万人会員の名前で、全国民に訴える「合邦声明書」を発表。 更には、韓国皇帝に対する「上奏文」、 曽根荒助・統監、李完用・首相に対して「日韓合邦の請願書」を提出。 つまり、日韓併合は、日本が一方的に進めたわけではなく、大韓帝国の中にも、日本との「合邦」を推進していた人々が数多くいたことは事実。 初代統監であった伊藤博文は、 「日本は韓国を合邦する必要はない。合邦は甚だ厄介である」として、元々併合には反対意見を持っていた。 その伊藤博文が、1909年、安重根にハルピン駅頭で暗殺されてしまったことは、日本人にとって大きなショックであり、「政情がこれほど不安定のままでは、大韓帝国の近代化が進まず、日本の安全も到底確保できない。併合もやむを得ない」という気運が、日本国内で一気に高まった。 伊藤博文暗殺は、朝鮮内の一進会の勢力拡大と相まって、日韓併合への流れを最終的に決定づけた。 1910年に日韓は、「韓国併合ニ関スル条約」を締結し、日韓併合が実現。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 一進会という親日的な政治団体があったのですね。 >その伊藤博文が、1909年、安重根にハルピン駅頭で暗殺されてしまったことは、 >日本人にとって大きなショックであり、「政情がこれほど不安定のままでは、 >大韓帝国の近代化が進まず、日本の安全も到底確保できない。 >併合もやむを得ない」という気運が、日本国内で一気に高まった。 >伊藤博文暗殺は、朝鮮内の一進会の勢力拡大と相まって、日韓併合への流れを最終的に決定づけた。 そういうことですか、よく分かりました。

  • trytobe
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回答No.2

当時の高宗が皇帝となっていた大韓帝国で、高宗が「日省録」や「承政院日記」などに、「日韓保護条約」(第二次日韓協約) に賛成する意向だった一方、 その部下や国民などは、民衆活動として大韓帝国の皇帝に反対することでしか、条約締結を妨げることができなかった、というだけの「施政者」と「国民感情」の不一致で、国民が望まない施政が行われただけです。 第二次日韓協約 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E6%97%A5%E9%9F%93%E5%8D%94%E7%B4%84 高平・ルート協定 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B9%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E5%8D%94%E5%AE%9A 韓国併合 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BD%B5%E5%90%88

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >「施政者」と「国民感情」の不一致で、国民が望まない施政が行われただけです。 つまり、国民の多くは日本の保護国になることを望まなかったということですね。 どこの国でもよくある話ですね。

  • kia1and2
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回答No.1

説じゃなく、歴史の事実です。 日本がロシアと戦争し勝ったのですが、日本国内の経済はかなり緊迫しているおり、ヨーロッパ諸国の強い後押しのもと朝鮮(当時は韓国ではない)が、中国の属国からも独立したものの、経済的に成り立たず、日本への併合を求めて来ました。日本としては併合すれば、当時の朝鮮政府の収入が1/3、2/3が日本が援助するのでかなり抵抗しましたが、欧米諸国よりの圧力で日本の一県としての併合となりました。 朝鮮王朝は、日本の貴族扱いで、東京に移住です。 少し、日露戦争が終わった頃の歴史を勉強すれば、朝鮮の誰が、どんな方法で日本併合を要請してきたかは、説ではないので、すぐに簡単に調べられます。 韓国(大韓民国)の呼び名は、第2次世界大戦の後に南北朝鮮分裂で生まれた名称ですので、韓国の名称で捜しても出てきません。朝鮮の国名で調べるのがヒントです。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 多くの回答を頂いて戸惑っています。 教科書は、日本史の場合、検定の度に文科省が横槍を入れますから、 孫の受験勉強には大手進学塾の大学受験参考書「日本史」を薦めています。 手元に2013年11月発行のものがありますから抜粋します。 ……世界のビッグ3(英米露のこと)が韓国の保護国化を認めてくれました。 もういつでも植民地にできるというわけです。 そんなときに、伊藤博文が満州で暗殺されます。 この事件をきっかけに日本は韓国を植民地にします。 これを読んで、「明治日本」の確固たる意思で併合したものだと思っていました。 また、「明治日本」の植民地政策は、新渡戸稲造の思想がリードしていたと思っていました。 考え直してみます。

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