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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:完全は常に未完でなければならない)

完全であるためには未完であること、開いていることが必要ではないだろうか?

このQ&Aのポイント
  • 完全であるためには未完であること、開いていることが必要ではないだろうか?人生では自己を完全であるが未完であると開いていることは必要ではないか。人生について常に何かを目指すという生き方は必要ではないか。
  • 教師として申し分のない人がいますが、人生としては違うのではないか。男性の場合も未婚でお母さんとの生活。女性の場合も未婚で美人で健康そのもの。しかし、隣接する駐車場への大声のクレームやご近所さんへの大声など、人生としての完全さに疑問が生じる。
  • 神は完全であり、その創造になるものも当然完全であるべきだろう。人と宇宙は神の創造によって存在しているが、その中のものは開かれていることが許されるのか。完全であるためには未完であることが必要なのか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.6

イチローは完全である。野球選手としてすでに神といわれるほどに実績を積み上げてきたにもかかわらず、いまなお常に努力を惜しまず日々大きくなっている。こういうような稀有の例を”完全なひと”と仰りたいのでしょうか。イチローは、いはば未来に向けて開いた存在だといえないこともない、と私は思います。 私はまだまだまだ未完というより不完全な人間ですが、今より少しは上へ行きたいという気分だけは持っています。こんな私を完全とはおこがましいというか到底いえないとは思いますがね。

krya1998
質問者

お礼

ご訪問と貴重なご解答をありがとうございました。 イチローはそのようですね。 未完と不完全。 未完なる完全。 好きとか楽しいとかではなく。 たいへん貴重なご見解です。

その他の回答 (6)

回答No.7

なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。 19:マルコによる福音書/ 09章 19節 ~~~~~~~~~~ かくしてひとり離れて修行し歩くがよい、あたかも一角の犀そっくりになって――。『法句経(ダンマパダ)』とともに原始仏典の中でも最古層とされる『スッタニパータ』。最初期の仏教思想と展開を今に伝えるこの経典は、釈尊に直結する教説がまとめられ、師の教えに導かれた弟子たちが簡素な生活のなかで修行に励み、解脱への道を歩む姿が描き出される珠玉の詞華集である。2400年前の金口直説を平易な現代語で読む。 スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳 http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062922890 ~~~~~~~~~~~ >金口直説 これをもう信じられなくなったのなら、もう昔には戻れないのです。 エデンから出て行くのです。 あとは頑張ってください。 それに何度も私はお金がないから いつまでもこんなところで馬鹿な話をしているわけにはいかない といっているでしょう。 それから私を攻撃してきた人々を屑だとしか思わないようにしました。 お別れです。お疲れ様でした。

krya1998
質問者

お礼

ご訪問と貴重なご解答をありがとうございました。 特定の教えは少し難しいですね。

noname#215107
noname#215107
回答No.5

例えば、物理計算を簡単にするために極めて影響の少ないものについては無視して理想的な条件を想定して計算することがありますね。 そういうのを完全というのではないでしょうか。

krya1998
質問者

お礼

ご訪問と貴重なご解答をありがとうございました。 物理計算ですか。理想的な条件下の計算。まぁ完全の世界ですね。

回答No.4

不完全性定理によれば、公理系は不完全な場合にのみ 無矛盾であり得ます。 不確定性原理によれば、存在を確定化しようとすると 無限不確定に発散し、階層現象を表面的に(いい加減に) 捉える事で、有限な存在性は可能になっています。 「有る」という事は、「無い」の反対ではなく、無い 事の一環として=無いとは分からない事が有、なのです。 たとえば、もし神が全知全能=絶対確定化が可能なら、 無しか見えない。

krya1998
質問者

お礼

ご訪問ありがとうございました。 うぅむ、相変わらずブンケーの拙者には少し難しいですが勉強させてもらいます。

krya1998
質問者

補足

ご訪問と貴重なご解答をありがとうございました。

noname#231796
noname#231796
回答No.3

完全、は人間が到達できない領域かな、と思います。 未完成ゆえに、追い求め追い続けるものが必要だからでてきた概念、とか。

krya1998
質問者

お礼

完全とは開きかかわり、未熟なんではないですか。 ありがとうございました。

  • te_3000
  • ベストアンサー率20% (42/204)
回答No.2

「完全」って、あくまで概念で、机上の空論といか、現実には存在しない理想状態のことをいうとおもいます(^^) 目標とかだとおもいます。 会社経営でいうビジョン。 「完全」や「完璧」って、目指す目標をイメージしやすくなるための言葉だとおもいます。 だから完全や完璧って、現実には存在しないと、私はおもいました(^^) 人間は不完全だけど、なるべく完全に近づこうとして、少しずつ努力をする様子が、素晴らしいのだとおもいます。

krya1998
質問者

お礼

完全は概念ではなく現実なんですよ。 それは開き、未熟であることが要請されていて、依拠することが許される存在なんですね。 ありがとうございました。

krya1998
質問者

補足

ご訪問と貴重なご解答をありがとうございました。 考え方というか、表現の相違もありますね。 私は完全が実在で、それは未完で開かれていることだという思いです。

  • shintaro-2
  • ベストアンサー率36% (2266/6245)
回答No.1

>完全は閉じる、或は閉じているでしょうか? >それとも外部的ななんらかの関わりが必須でしょうか? >更に、更なるものへの志向が要請されているでしょうか? krya1998 さんが使う「完全」という言葉の定義次第です。 「完全」≒「完成」であるならば、それ以上変化する必要はありませんが、 閉じているかどうかは別次元の話だと思います。

krya1998
質問者

お礼

そういう機械的観念もありますが、完全たるためには開き未熟で依拠するということが自己のなかから要請されていると存じますよ。 あくせすとご回答ありがとうございました。

krya1998
質問者

補足

ご訪問と貴重なご解答をありがとうございました。 確かに定義の問題かもしれませんね。 定義なく語らせていただきますと、完全とは未完で開かれていること。 どんなに完全に近くなっても常に志向する。

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