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古典時代の教育論
漢文で教育について論じている文章なんかも世の中にあったと思いますが、具体的に見付けられていません。 東洋の教育論について一端が垣間見られるような資料を探していますので、お心当たりのある方はぜひご一報下さい。
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- liar_adan
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yamaiさんがどの程度漢文を知っているかわからないので、 ことによると侮辱になるかもしれませんが… 中国の教育論は、学問そのものに含まれていることがほとんどです。 (というか、教育論だけを切り離して論じた文章を、私は知りません) この場合の学問は、儒教や道教などであり、 現代でいえば倫理学に分類されるものです。 『論語』などは、全編が教育論と言ってもおかしくはありません。 たとえば「学んで思わざれば則ち暗(罔)し。思うて学ばざれば則ち危(殆)うし」(為政篇) では、学習と考察、両方の重要性を説いています。かと思うと 「吾かつて終日以て思う。益なし。学ぶに如かざるなり」(衛霊公篇・省略有り) と、学習の有益さは考察にまさると書いています。 『論語』に書かれていることは具体的であり、 反面、理論性に欠けるきらいがあります。 これは儒学の特徴でもありますが、 『論語』という本が「孔子の言行録」であることからの 制約でもあるでしょう。 道教(民間信仰の道教とは別)の方でも教育論に近いものはあります。 『老子』は、民を教育しないようにせよとの愚民政策の立場であり、 それ以外あまり教育については語っていません。 『荘子』にはいくらか教育論的な言葉がありますが、 それは、言語による教育を否定する方向になっています。 たとえば、国王が本を読んでいると、車大工が 「本なんて昔の人のカスのようなものです」と笑ったという話(天道篇)があります。 この観念はのちに禅宗に取り込まれて、 「不立文字」の思想を生み出す元になります。
お礼
> 「本なんて昔の人のカスのようなものです」 たしか糟粕と言ってのけていましたよね。 教育論というか教育原理というかそういったもの、 つまり、例えば、人間を育てるには内面からか外面からかという議論を具体的にしているようなものが残されていればと探しています。
補足
回答ありがとうございます。 急ぎ補足で申し訳ありませんが、 例えば韓愈の師説のようなのりのものを探しています。