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最近の教育論・しつけについて。
最近の教育論・しつけについて。 21歳で2歳の子を持つ母親です。 最近メディアや教育本を手にとって見てみると『叱らないで育てる』という言葉をよく目にします。 『褒めて育てる』という言葉も同等によく見たり聞いたりするのですが,こちらはまだ理解できるのですが『叱らないで育てる』とはどういう事なのかな? と困惑しています。 私は子供には結構厳しくしつけをしているつもりです。同時に叱るということも伴うのですが『叱らないで育てる』という言葉をよく見たり聞いたりするようになって自分の教育方法は間違っているのでは…?と混乱しています。 私が小さい頃は悪いことをしたら叩かれもしましたし,家の外に出されたりもしました。これを虐待と捉える方もいるかもしれませんが私は自分が虐待されたなんて1度も思った事はなく,逆にそこまでして善悪を教えてくれた両親や祖父母に今ではとても感謝しています。 実際,自分の子供にはそこまで出来ませんが,やはり命に関わる事や人様に迷惑のかかること・周りを不愉快にさせる事などについてはお尻や手をペチっと叩いてでも教えています。 しつけは子供に対する愛情よ。 と母に言い聞かされていますが 今の世の中,虐待としつけの境目が厳しいですよね。 私自身,今の教育論にすごく困惑しているのですが,皆様のご意見を聞かせて頂けたら幸いです。
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私も初めは「何それ」って思ってました。 長男が発達障害で療育指導を受けたのですが、その中で「子供に失敗させても次には繋がらない」ことがわかり、子供が失敗しない、分かり易い環境を用意することが大事だと知りました。 叱る事が出来ない(意味を持たない)子供を育てていると、『叱らずに育てる』ことは当たり前になっていきます。 この社会は、子供(幼児)にとっては未知の世界です。 子供の知らないルールに満ち溢れ、危険も一杯です。子供が安全に、真っ当に過ごせるよう親は腐心し、環境を整えてやる必要があります。『叱らずに育てる』という論理の前では、これこそが親の責任でもあるのです。 例えば、赤ちゃんの頃には家の中から危険を取り除こうとします。家具の配置を換えたり、柵を設けたり……。赤ちゃんがハサミを弄っていたって赤ちゃんを叱りはしないでしょう。そんなところに置いた親が気をつければよかったのです。 ところが、子供が会話出来るようになると親の対応は事後処理(受身)になりがちです。 やってしまった事をとやかく言うのではなく、事前にルールを教えておくことが大事です。 図書館に連れて行くなら「大きな声でお話したり、走ったりしないよ」と教えます。勿論、子供がルールを守れるように館内を移動中は手を繋いだり、小声で話しかけたりと工夫します。 約束を守れたら褒めてやれます。 騒いだりしても、それは子供が悪いのではなく、親の対応が悪かったのです。そもそも子供にはハードルの高い要求をしたのですから、それをクリアするためには親の支援が不可欠です。 出来なかったり間違えたときに叱るよりも、出来たときに「今日は約束守れたね! すごい! えらかったよ!」と褒める方が子供の自信に繋がって、効果も大きいです。 『しつけ』はルールを守ることですから、事後まで待たず、事前に指導します。そして、約束やルールを守れるように親が工夫します。 (療育と考え方は同じですね) 子供に何でも自由にやらせておいて、それは(社会的に)都合が悪いと叱るのは親の身勝手、ということです。(偶然にいい事をしてくれた時だけ褒めるのも、少し寂しいですね) 教えたことが出来たら褒めてあげます。出来なかったときは叱るのではなく、どうしたら出来るようになるのか、親が考えます。 (子供が幼い知識で精一杯考えたって解決はしません。子供に考えさせるのではなく、親が指導の方法を模索します) 躾は教えるもの。 教えて、出来たら褒める。 決して叱る事ではありません。 「言うことを聞かない」なら聞けるように親が工夫すればいいことで、それを子供の自助努力に頼っているのに「出来ない」「わからないのか」と叱るのは責任転嫁になりませんか。 教えることは親の義務であり、愛情です。 でも叱ることは、単なる親の権利(親権に懲戒権が含まれています)でしかありません。行使するもしないも、上手く回避するのも、個々のパーソナリティ次第です。 あくまで理想的な考え方です。 生活の中で必ず実践できるとは限りません。お子さんの様子や生活・年齢などを考慮すれば、一概に「正論」とも言えません。 そうは理解しても……実は私も娘にはギャアギャア言う方です。 娘がまだ幼い頃「今日、お友達と仲良く遊べたんだ」と嬉しそうに言ってきました。よかったね、と応えると、「何でだと思う?」と娘は訊いてきます。 「わかんないなぁ。新しい玩具があったの?」 「違うよ。この前ママに『お友達にはちゃんと挨拶しなさい』ってスッゴク怒られたから、今日は大きな声で『おはよう』って言ったの。そうしたら、遊べたんだよ」 こんなこともありますから(^^;)
- dakedakepuru
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「叱らないで育てる」 これは「怒らないで育てる」という意味での言葉なら、しっくり来るのですがね…。 「怒る」ことは感情に任せてすることで、正当な理由もないのに理不尽に行うことも多いですよね。 「叱る」は冷静に諭すこと。 私も質問者様と同じ、本気で「叱る」べき所と目をつぶっても構わないかな、的な所はハッキリ分けています。 ・食べ物を粗末にする ・命に関わる危険 ・人に迷惑をかける(噛むなど痛い思いをさせる場合も含む) この3点については口調を変え、場合によっては叩きます。 最近は1歳9ヶ月になりますが、 ここまで行かなくても「やめなさい」って静かな口調で真剣な表情で言ったら「あ、やばい」って 表情をして聞き分けるようになりましたが…。 虐待としつけの境目については「理由があるかないか」「その理由は回りから見ても適切だと思えるものか」 ではないでしょうか。いくら「言う事をきかなかったから」と言っても回りにしてみたら「それはないでしょ」って 思ったら虐待にあたるだろうし、「そうされても致し方ない」って思う理由ならしつけになるでしょう。 例えば家の外に出すにしても、ただ服を着るのを嫌がっただけで表に出すのと、火遊びをして外に出すのとでは 物事の重要性も違うでしょうしね。 「叱る」事に対してのメリハリと、悪いことを行った重要性=しつけの度合いも同程度にする。 同じように「しつけ」と「甘やかし」の境目もできてない親も多いように思えます。 「悪いことを行った重要性=躾の度合い」が滅茶苦茶だから、人に迷惑をかけても「ダメよ~」で済ませる人も いますしね。
お礼
回答ありがとうございます(^-^) 確かに怒ると叱るは全くの別物ですよね!子供の将来を考えるとやはり叱るということは大事ですね。
- toyohi
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書籍での理論は、結局は大勢の中でたった1人の人が書いた、つまり、たった一人の人の意見でしょう?ひょっとしたら、まだ、子育てをしていないか未婚の方が書いた話かも分からないでしょう? と、生意気ですが、私は思ったりします。日々、子どもさんと接しているあなたの方が、より、正しい理論をお持ちかも分かりませんよ。 もちろん、虐待というものは、私もあってはならないと思います。しかし、しつけの方法についてはあなたのお考えに大賛成です。愛のある限りしつけのためなら叱ることも必要だと私も思います。たった1人の人の考えに振り回される必要はないでしょう。
お礼
回答ありがとうございます(^-^) 確かに!! 1人の人間の論することに惑わされる必要もないですよね(^^;)そのお言葉,心強いです!ありがとうございます!
命にかかわる事、人に迷惑をかけることなど、責任の程度が大きいものや、その子の将来に 悪影響を及ぼすおそれの大きいものは、手を出したほうが、その子が将来にふと考えたときに、愛情を感じる事ができると思います。 親は、子供のためを思い、叱るのは当然の事です。 しかし、あまり叱りすぎたり、厳しい親だったりすると、子供にもストレスがかかり、 反動で急に不良になったりします。 大切なのは、得意に感じているだろう長所、いいところは、大げさにほめるなど、長所を伸ばすことだと 思います。いわゆるアメリカ型っていうのでしょうか。 厳しく叱った後は、正直に親の気持ちを言ったり、その後で、抱きしめたり、なにかほめたり。 叱ってばっかりで、子供の心を押しつぶさないようにさえすれば、大丈夫だと思います。 私が親にしかられた昔の経験は、今では親の深い愛を感じられるようないい思い出になりました。
お礼
回答ありがとうございます(^-^) 叱った後のケア,とても大事だと私も思います!愛を持っての躾,これからもより一層心がけたいと思います('-^*)
お礼
回答ありがとうございます! 何かすごくお勉強になりました(^-^)確かに最初の方におっしゃられていた事が理想的ですよね(^^;)叱ることをするような環境を作らないように…かあ~(>_<)親の努力次第ですね! 娘さん,あいさつの大切さを学んだんですね(^_-)☆すごく素晴らしい事だと思います(^^)