No.1です
補足を頂戴しました。
朝鮮半島の人々のルーツに関します補足質問ですが非常に難しい問題です。
(理由につきましては後述で二三述べさせて下さい。)
朝鮮民族は日本人と同様に混血と考えられています。
高句麗は現在の北朝鮮と中国の国境である鴨緑江よりも北側の松花江付近一帯が発祥と考えられています。
新羅は黒竜江付近から南下してきた部族であろうと考えられています。
百済は東シナ海を越えてきた民族の末裔と考えられています。
高句麗新羅百済の時代には半島南端部の新羅と百済に接した三角形の一帯に加耶あるいは金官加耶、大加耶と呼ばれる部族がいたと推定されています。
三韓時代に弁韓と呼ばれていました。
いずれも中国の歴史書に準拠しています。
従来三韓がそれぞれ高句麗新羅百済の前身であるとされ、現在の教科書でもそうなっていますが、判然としないのが現状です。
日本府があったとされる任那も都市の名称か地域の名称かということで判然としていません。
いずれも考古学の発掘調査が必要ですが、韓国の考古学が極めて遅れていて現在日本へ留学した人達を中心に日本の大学の指導協力を得ながら進められています。
女真族との関係につきましても扶余という部族がいたことが知られています。
高句麗のルーツであれば扶余とした方が時代的にはあいますが、扶余は女真族の一部族とする考えもあります。
高句麗と高麗の関係ですが、高句麗は新羅に敗北した後、旧満州の南部に渤海という王朝を設立しています。
渤海の使節は平安時代に度々日本へ来ていますが、途中から朝鮮語から中国語に変わったことが知られています。
つまり高麗は高句麗の末裔というよりも新羅王朝を滅ぼした一族が高句麗に因んで王朝名としたと考える方が直かと思います。
李朝鮮を起こした李 成桂も高麗の家臣でした。
李成桂についても、モンゴル系あるいは女真族系の末裔という説もあります。
以上いずれも推測の域をでません。
朝鮮史のむつかしさ
〇朝鮮半島の北半分の歴史情報が日本統治時代で途切れています。
○考古学が未発達
○中国の史料に頼らざる得ないが、中華思想からあくまでも周辺の蛮族扱いで伝聞推定が多い
○中国も朝鮮王朝も歴史というものに対する考え方が現在の日本や欧米と違う。
○韓国の歴史学者と称する人達もこの古い王朝時代の思想に染まっている。
注)中国では天命革命という考え方があり、前の王朝がいい加減だったので今の王朝に天命が下ったという思想があります。
このために王朝ごとに歴史書が作られますが、常に今の王朝がいかに正当であって前王朝が如何に不当であったかという記述になります。
文字通り歴史が書き変えられてしまいます。
この考え方といいますか思想を朝鮮王朝も見習い、現在まで伝えられています。
現在もまずストーリーありきで、このストーリーに都合の良い史料を採用し、都合が悪いものは無視します。
何が出てくるか分からない考古学には極めて冷淡です。
日韓歴史共同研究会というのが現在休会状態ですが休会に至ったのも日本側が史料を示すと韓国人を愚弄するのかと激昂して話が進みません。
蛇足
日本人のルーツは琉球列島を島伝いに北上してきた民族とサハリンから南下してきた民族の混血と考えられています。
以前は半島経由と考えられていましたがDNA分析の結果日本人は固有のものを持っていて、半島とは極めて関係が薄いことが分かってきています。
稲作も半島経由ではなく、半島と同時期に揚子江下流付近から伝播してきたと考えられています。
お礼
詳しいご説明ありがとうございます。いい勉強になりました。