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李氏朝鮮時代

以下はウィキペディアに書かれたものですが、本当でしょうか 「日本が清国を破ったことにより、朝鮮を近代国家にすべく行った政策」 1.朝鮮は主権国となる。清との宗属関係を廃止し、完全に独立する。 2.国王は単独で(両班によらず)施政を行う。 3.才能ある者は教育の機会を与えられる。 4.軍隊は素性によらず、徴兵によって築かれる。 5.人材は門地によらず実力登用とする。 6.革の加工とそれに関わる者は賎業とは見なされない。 7.奴隷制及び身分制の廃止。

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回答No.2

回答:それらは日本が行った事ではありません。 朝鮮内でそのような試みがあったことは事実ですが、↓のように自力では無理だったようです。 【甲午改革】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E5%8D%88%E6%94%B9%E9%9D%A9 (日清戦争が起き日本が清を破ったので、高宗は開化への障害となる清の圧力が日本軍の武力によって排除されたと判断し、開化派の主張を受け入れ、日本の明治維新の経験(身分制度撤廃、人材登用、司法制度等)から学び、以下、それまで清朝政府に半強制されていた律令制度文化(奴婢、白丁などの賤民制度、身分制度は律令制度の特徴である)等の悪弊、つまりは途方もない旧弊である中華思想の悪弊から脱却せんと改革案を断行したものである。 中略 この後、三国干渉が起きるが、それを重視した朝鮮王朝では親露派の威勢が強くなり、またもや事大主義が朝鮮王朝を席巻し、露館播遷によってこの改革を無に帰すことになる。 そのような経緯を見れば、この甲午改革は朝鮮王朝や朝鮮民衆の近代化への意思にもとづく自発的改革ではなく、日清戦争の勝者である日本への事大主義によるものであることを示していることが明らかである。) >「日本が清国を破ったことにより、朝鮮を近代国家にすべく行った政策」 と言っていますが、前述のWikiの項にはありませんが、どこの記述でしょうか。 日本は、朝鮮を近代化する為の指導や援助は行いましたが、建前上は独立国家であり、自分が清国から独立させたという事もあり、露骨な内政干渉や介入は行っていません。 そのような理由で、日本は強硬な要求や強制は控えていましたが、属国根性が抜けない朝鮮は、派閥による国内の政争に他国を介入させてしまい、それが元で日露戦争が起り、保護国を経て併合に至る原因となりました。

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noname#181743
質問者

お礼

>そのような理由で、日本は強硬な要求や強制は控えていま したが、属国根性が抜けない朝鮮は、派閥による国内の政 争に他国を介入させてしまい、それが元で日露戦争が起  り、保護国を経て併合に至る原因となりました。 併合は朝鮮の希望っだたのですね ありがとうございました。

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  • oska
  • ベストアンサー率48% (4105/8467)
回答No.3

>ウィキペディアに書かれたものですが、本当でしょうか 読んだ人の国籍・思想・立場によって、異なります。 各国の歴史は、勝者(政権)によって自由に物語がつくられます。 為政者は、都合の悪い過去は「抹殺」するのが常套手段ですからね。 抹殺した出来事の証拠となる資料が発見されても、意図的にその資料を徹底的に廃棄しますよ。 例えば、中華人民共和国北京政府が1960年代頃に作成した地図では「尖閣諸島は日本領」となっています。 今では、江沢民皇帝陛下の勅命の下「この地図の発見・破棄」を徹底的に行っています。^^; 韓国でも、同様に都合の悪い資料(古文書)は「存在しない事」にしています。 例えば、1600年代の世界地図(アメリカ人宣教師が持ち歩いていた)では「日本海名称」が載っています。が、韓国政府は「偽書扱い」です。 高麗王朝記にある「日本侵略」も、無かった事になっていますよね。 朝鮮王朝第3国王が「対馬侵略・占拠」を行った事も、「平和を愛する我が民族は無視」です。 徹底的に反日教育(国定教科書使用)・民族主義教育を受けた者にとっては、「全くのデタラメ」と断言するでしよう。 ベトナム参戦でも、韓国軍兵士のベトナム婦女暴行で約24000人もの混血児(ライダンハン)が誕生しました。 これも、「平和を愛する我が民族は無視」です。韓国版従軍慰安婦事件なのですがね。朴大統領も「無視」しています。 都合の悪い過去は、捨てる!のですね。正しい歴史認識が、必要です。 教育の自由・思想の自由・報道の自由がある国で育った者にとっては、本当か嘘かは気にしません。 個々の内容で、判断するでしようね。 1.朝鮮は主権国となる。 これは、限りなく本当に近いですね。下関条約第一条でも、朝鮮国との従属関係を絶つ(独立を認める)と書いています。 「沖縄は、固有の領土・属国」という中国政府の考え方では、朝鮮半島も中国固有の領土です。 2から7は、質問者さまが自由にお調べ下さい。先に書いた通り、立場・思想によって180度異なる回答が届くでしよう。 予断ですが・・・。 ウィ○ペディアは、反中国・反南北朝鮮的な記述を書くと「強制削除対象」になるようです。 こう書くと、「お前は、ネットウヨだ!」と彼らから非難を受けますが・・・。(笑)

noname#181743
質問者

お礼

確かに、その国の教育によって考え方が違いますよね、世界標準教科書なんかがあったら良いのですけど ありがとうございました。

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.1

出鱈目ですね。国王の高宗が行った政策は朝鮮の鉱山採掘権、山林伐採権、鉄道敷設権をロシアに売り飛ばすことだけです。日露戦争後に親露派はロシアと結んで高宗をロシア公使館に拉致・監禁する事件が起こりました。露館播遷といわれています。 無知蒙昧な愚民は何でも日本中心に世の中が回っているような馬鹿げた妄想を持っていますが、事実は全くそうではない。 日清戦争後、日本は蚊帳の外に置かれて、これを好機として朝鮮に進出してきたロシアを巡って親露派と反露派の熾烈な権力闘争があったのです。それほど単純な構図でもなく守旧派や農民反乱も絡んで滅茶苦茶でした。 確かに日本が日清戦争に打って出たのは朝鮮を近代国家にしようという思惑はありましたし、清朝は革命団体が勃興してもはや朝鮮に構っていられる状態では無かった。しかし、ああしようこうしようというのは全部企画倒れでしっちゃかめっちゃかだったのです。 近代国家どころじゃない。どうやって治安を回復し、政治を正常化できるのかが至上命題でありました。回復といっても元から朝鮮は滅茶苦茶で、大院君、高宗、閔妃を担ぐ勢力が宮廷で爆弾闘争を起こすような有様だったのです。 その後、日露戦争でロシアの干渉を排除して、第一次日韓協約、第二次日韓協約、第三次日韓協約、日韓併合と進んで、ようやく朝鮮の近代化のスタートラインについたということです。 日清戦争時点は金弘集内閣によって甲午改革、乙未改革が推進されましたが、李完用ら親露派が扇動した民衆暴動で瓦解してしまいます。李完用はその後ロシアと対立してアメリカに接近し、日露戦争で日本が勝利すると親日派に再度転向して1907年には高宗に純宗への譲位を迫るというめまぐるしい流れです。 1.朝鮮は主権国となる。清との宗属関係を廃止し、完全に独立する。 2.国王は単独で(両班によらず)施政を行う。 3.才能ある者は教育の機会を与えられる。 4.軍隊は素性によらず、徴兵によって築かれる。 5.人材は門地によらず実力登用とする。 6.革の加工とそれに関わる者は賎業とは見なされない。 7.奴隷制及び身分制の廃止。 というのは開化派の金弘集内閣による甲午改革、乙未改革のことでしょうかね。「行った」とはいえないまでも「行おうとした」とはいえるかも知れません。

noname#181743
質問者

お礼

どうであれ、近代国家には程遠い国っだたのですね、 特に奴隷制度なんかあったみたいですから 詳しいご回答ありがとうございました。