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原始心性と接する方法 | 神の存在の証明とは
- 人間以前の状態にある人間が言う「おれの神しか神はいない」という原始心性に対して、どう接するべきか考えます。
- もし神が「偶像を拝んではならない」という教えを持っているなら、「おれの神が神であり、ほかに神はいない」という信念自体が偶像だと指摘することができます。
- もし相手が「おれの神しか神はいない」と主張してきた場合には、一般的には放っておくことが適切ですが、もし相手から声をかけられた場合には、丁寧に相手の信念を尊重しながら、自分の信念を述べることが必要です。
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>《おれの神しか神はいない》とうそぶく原始心性が あなたの戸口をノックして来たら どうこたえるか。おしえてください。 ⇒「うそぶく原始心性」のヌシをX氏と呼ぶことにします。 (1)X氏が自説を語りかけてきたら まずは、語られることをよく聴くことにしますかな。言わんとすることを「よ~く理解しよう」と思います。それ(だけ)に集中します。分からないところがあれば、質問するかも知れませんが、その時点での反論や意見開陳は控えるつもりです。とにかく、もっぱら、拝聴に専念します。 (2)「一寸の虫にも五分の魂」 繰り返しますが、X氏の「論理」なるものに耳を傾け、分かりにくいことがあれば質疑応答を求め、内容をよく確認して十分な理解を心がけます。 かつて、けたたましい音のバイクを乗り回していた暴走族のリーダー格に、アナウンサーがインタビューしていました。「あなたにとって一番うるさい騒音は何ですか」「ほかのヤツらのバイクの音です!」 ここで、「あなたのバイクこそうるさいじゃないですか。それはどう考えるんですか。自家撞着じゃないですか」などと詰問するのはヤボ。あちゃらは、そんなこと「百も承知、二百も合点」なんですから。ここで大事なことは、X氏の論理を「理解すること」であり、それ(理解したということ)をX氏に伝えることなのですから。そのあたりの呼吸が分からずに、ただやみくもに反論したり、突っ込みを入れたりするのは邪道です。いたずらに感情の衝突を招くだけですから。 (3)「鰯の頭も信心から」 もしX氏が、「オレの論理が分かったんなら、お前もそれを受け入れて実践しろ」などと言ったら、どうするか。一言、キッパリ断ります。「あなたの論理は分かったし、あなたがそれを信じたり実践したりするのは、もちろん、あなたの自由ですが、私は興味ありません」、と。もし、さらに強要するようなことがあれば、それは「脅迫者、暴君、恐怖政治の総統…などの破廉恥の無頼漢と大差ない。あなたがxを採る自由があるように、私にはyを採る自由があるよ。分かるだろ」など、と。 (4)私にとって神は 「それじゃ、お前の自論を聞かせろ」と言われたら、答えてやるつもりです。「私にとって、神は代名詞のようなものだ」と。「人知を超えるものを統覚する者」・「絶対者」・「万能的存在」などの立場を「仮託する相手」です。「人知を超えるものがあるという自覚や意識の認証」を預けておかないと、忘れてしまったり、消えてしまったりするからです。だからそれは「証書のようなもの」で、したがって、名称は何でも(例えば「統覚者」・「絶対者」などでも)いいかも知れないが、意味が限定的になる(そう取られてしまう)ので、神という「語彙」を使っているのです、と。 以上、ご回答まで。
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- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
・・・「イスラム国」には、参りませんよ。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
「お礼コメント」をありがとうございました。 >(あ) 《おれはおれの神を持っている》と言っている。 >(い) 《おれの神こそが唯一絶対である。そのほかに神はない》と言っている。 >X 氏の反応は けっきょく上の(あ)および(い)の二点なわけです。二点張りですね。つまり おれの(あ)および(い)を おまえもみとめよの一点張りなわけです。 ⇒本人は、「折伏」のつもりなんでしょうね。しかし、実体は… 2つしかない耳を塞ぎ、全身を口にして言うヤカラと見ました。これを称して、「見ザル、聞かザル、言うだけのサル」と言う、らしいですよ。 >思考停止なる状態。ここに 問題があると いま見るようになりました。解法は なお分かりません。 ⇒そうですね。「泣く子と地頭とわめく思考停止には勝てない」ですね! 福澤諭吉に言わせれば、「心を空しうして聞くべきを、心を満タンにして、それもガラクタで満タンにして聞く、いや、聞かない」んですね。 また遠藤周作に言わせれば、「周囲には心の糧となるものがいっぱいあるのにそれを見ず、わざわざ遮眼皮をつけて見たい方だけを見る、いや、何も見ない」んですね。 ま、そんなわけで、bagelonneさんの苦悩は、よく分かります。 が、あきらめましょう。この際、それしかなさそうです。 偉い哲人も言ってます。「愚かな者は救いようがありけれども、かぶりを振るだけの小賢しい者は救いようがない」、と。 以上、何ら「解法」を提示できなくて済みませんが、とりあえず再伸まで。
お礼
たのしいご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ しかし、実体は… 2つしかない耳を塞ぎ、全身を口にして言うヤカラと見ました。これを称して、「見ザル、聞かザル、言うだけのサル」と言う、らしいですよ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 思わず笑ってしまいました。 そう言えば わたしも《輸入はせず 輸出にだけ余念の無い半鎖国主義》だとか 言っていました。(この《ゆーだけザル》の場合とはちがう人でしたが)。受信は受けつけず 送信のみをおこなう《しゃべるタコツボ》だと言っていました)。 もうひとつ浮かびました。《縄文人の生き残り》《縄文人の逆襲》。 ★ ⇒そうですね。「泣く子と地頭とわめく思考停止には勝てない」ですね! ☆ 今回は 久々の登場で わたしはもうやり過ごそうと思っていましたら わたしの質問へ回答を寄こしたものですから つい何かつたえることはないか いい方法はないかと頭をひねくったのでした。 《こりゃあ勝てない》ことを思い知りました。 ★ 「周囲には心の糧となるものがいっぱいあるのにそれを見ず、わざわざ遮眼皮をつけて見たい方だけを見る、いや、何も見ない」んですね。 ☆ これ 当たっていると思いました。どんぴしゃり。 《遮眼皮》ですか。これをつけていれば 堂々としていますもん。何を見逃していても 堂々としています。 まぁ わたしにとってチカラの無さを思い知るのにゼッコウの機会であるのかも分かりません。 謝々です。
- stmim
- ベストアンサー率24% (57/236)
私だったら、次のように話して、宗教の話をやめてもらいます。 「宗教に興味ないので、その話題はやめてほしい」 それでも駄目だったら以下の順に話して、宗教の話をやめてもらいます。 「あなたのその話は聞きたくない。迷惑しているのでやめてほしい」 「しつこく話されて困っている。その話題はやめてくれ」 「その話題で話すなら、もう二度と貴方とは会わない。帰ってくれ」 「これ以上しつこくすると警察をよぶぞ」 ただし、彼自身がどのように考えるかは彼の自由ですので、そのことには干渉しません。自分の側に何か迷惑が及ぶ時のみ、対処をします。
お礼
まぁ 常識的なのでしょうね そういう対処法が。 すとみむさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 そうですね。 わたしは みょうにほとけごころがあるのでしょうか そのまちがった神への信仰は――世界とのまたほかの人びととのマ(間)が違っているのだから――直しましょうと言ってやりたい気持ちが去りません。 そこでちょっと違って来ているのかも知れません。 ★ そのことには干渉しません。 ☆ をもわたしも同じくしていると思っているのですが。
お礼
なかい702さん ご回答をありがとうございます。 そうですね。 一般論として広く議論してもらったのだと思います。 でも 問題点は ここでは絞られているとも言えると思うのです。 それを先に出しますが: (あ) 《おれはおれの神を持っている》と言っている。 (い) 《おれの神こそが唯一絶対である。そのほかに神はない》と言っている。 ですから なかいさんも (あ)を認めてやるという点を出しておられる。 ほかの論点としては――すでに一般論からいまの特殊な問題点に集中しますが―― ★ (1) X氏が自説を語りかけてきたら ☆ の段階は 過ぎている。とは考えます。 次に 意外に思われるかも知れませんが 最後の: ★ (4) 私にとって神は ☆ のステージも じつは終えています。そしてそれについての X 氏の反応は けっきょく上の(あ)および(い)の二点なわけです。二点張りですね。つまり おれの(あ)および(い)を おまえもみとめよの一点張りなわけです。 これで 議論が狭まりますよね。 果たして X氏に通じるかどうかですが それを別とすれば: ★ (2) 「一寸の虫にも五分の魂」 ☆ の問題なのでしょうね。 ★ (3) 「鰯の頭も信心から」 ☆ は (2)の問題にだいたい含まれて行くようにわたしには思われます。 さて (2)ですが。: ★ ここで、「あなたのバイクこそうるさいじゃないですか。それはどう考えるんですか。自家撞着じゃないですか」などと詰問するのはヤボ。あちゃらは、そんなこと「百も承知、二百も合点」なんですから。ここで大事なことは、X氏の論理を「理解すること」であり、 ☆ ひとつに わたしのいま捉えている X 氏は 《百も承知》だとはとても思えないというのが 一点ですね。 自家撞着を知っていたとしても 《百も承知》というのではなく そうではなく 自家撞着でよいではないかと言い返す人間だと思うのです。 わるいことであっても おれがいいと思っているのだから・まして唯一絶対の神なのだから 問題があるわけがない。という態度だと思うのです。 そのとき しかしながら 《信教・良心の自由》にもとづいて こちらは そのようにあなたがあなたの神を持っていることは 分かっているとはすでに言ってあります。 つまりは 問題は (い)なのだとも言ってあります。《ほかに神はない》と堅く思い込んでいる点です。 そこで (3)につながります。 ただし いまの場合は: ★ さらに強要するようなことがあれば、それは「脅迫者、暴君、恐怖政治の総統…などの破廉恥の無頼漢と大差ない ☆ というような問題(または解決法)だとは思えないのです。これは わたしのそのような感覚がいけないのかも分かりませんが。 つまり わたしは 強要したいなら 勝手にほざいていろと返すだけですから。 もしそうだとしたら やはり(2)の《自家撞着》の問題に収れんするかも分かりません。 しかも 自家撞着が何であるかが分かっていないか。それとも分かっていても 神が唯一ただしい神なのだから なんでもゆるされるとでも思っているのか もうそこからは思考が停止するということ ここに問題があるように思います。 つまり 現代に縄文人が出現したようなものです。 互いに自分の意志を明らかにして互いに理解し 合意に達する(または 一たん保留する)といった意志疎通ができない。おそらく 知らないのだと考えられます。こと 神にかんする問題はです。 そういう人物が 現に存在しています。 小学生なら まだいろんなことをおしえつつ 話が出来るようにみちびいてやることが出来ます。 そういう問題ではなく 自分の神で自分のあたまも気持ちもぜんぶ凝り固まった存在です。手の付けようがないという実感です。 思考停止なる状態。ここに 問題があると いま見るようになりました。解法は なお分かりません。