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古代の日本人は無い神を信仰していたか
- 日本古代人はむしろ無神論という信仰をいだいていたのではないかという暴論を試みます。
- 日本語の「かみ(神)」は唯一の存在ではなく、漂動し、ときに神憑りする存在であり、それぞれの場所や物事を領有し支配する働きを持っていたことが分かります。
- 日本古代人は神々が具体的な姿を持ち、超人的な威力を持つ存在として信仰していたのか、それとも目に見えない神を信仰していたのかは明確ではありませんが、無神論ではなく一段高いところに立って再び神憑りを採り入れた可能性があります。
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Bragelonneさん こんばんは。お久しぶりです。 私は、bragelonneさんの考えに真っ向から反対します。 自然豊かな日本では、汎神論のアニミズムは、むしろ根付きやすく、古来、日本の人々は自然に超越した神を見出していたと思われます。 美術的見地からアプローチします。 熊野古道は、古くから自然崇拝の場所として有名でした。 鎌倉時代のものですが、東京の表参道にある根津美術館には下記のような国宝の絵画があります。神道に結びつくと思います。 http://www.nezu-muse.or.jp/jp/collection/detail.php?id=10001 さらに、細川家の宝物を管理する永青文庫には、下記の絵画があります。 http://www.eiseibunko.com/collection/chusei3.html 解説にあるように、これは雪舟の原画を模写したものだそうですが、富士山の頂上を見てください。3つに分かれています。これは、真ん中にお釈迦様である如来がいて、両側に観音様がいるという、古来の富士山の頂上の伝統的描き方だそうで、仏教とも結びつきます。無論、雪舟は室町時代の人であり、平安時代の伊勢物語の在原業平の「東下り」では、京の都から離れ、ほとんど目にすることのない富士山の大きさには驚いたことが書かれているそうで、当時は富士山への山岳信仰はなかったかもしれません。 しかし江戸時代になると葛飾北斎は富嶽三十六景の「諸人登山」で下記のような浮世絵を残しています。 http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/175177 浅間神社も山岳信仰で、さぞ栄えたと思われます。 一方西洋美術に目を向けると、古典的な美の基準であった、調和や均斉といった美に対し、「崇高」という美の概念が17世紀後半から18世紀に、アルプス山脈の登山を通して、確立していきました。これは、エドマンド・バークの「崇高と美の観念の起源による哲学的研究(1757)」によりまとめられ、大陸に渡りカントの哲学に影響を与えますが、バーク以前のアルプス登山における大自然を前にした体験論として、「歓喜に満ちた恐怖」「恐怖に満ちた喜び」などという「快」と「苦」が伴なった二義的な感情を述べる人や、創造というより破壊を感じるが、そこにこそ精神的高揚感が生まれ、神への畏敬の念を感じ、感情を神へと昇華するという記述が残っているそうです。 18世紀においてやっと西洋では「崇高」という美学が生まれましたが、日本人にとっては、「崇高」なる概念は、当たり前で、台風、地震、津波など、人間の力ではどうすることも出来ないが、生活の糧として恵みをも、もたらす二面性を持つ自然と共存し、さらには超越したエネルギーとしての自然に神を見たのではないでしょうか。 では、そろそろ寝ます。
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- SPS700
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古代の日本人は 《無い神》をいだいていたか はい。 どこにでも居る神ですから、どこにも居ない神と同じ、ですから(行頭に戻る)
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ どこにでも居る神ですから、どこにも居ない神と同じ ☆ 神は 普遍神であるなら 遍在します。有る神も無い神もです。 ゆえに ★ どこにでも居る神です ☆ けれども それは 経験世界を超えているという想定から発して 経験世界にも来ていると言い得る。という意味です。 それゆえ ★ どこにも居ない神と同じ ☆ という推論は どうでしょうか。 経験世界に来ている神というのは 神本体の仮象つまり依り代ないし補助線としてのものごとである。とは言えると考えます。 つまり 補助線ばっかりであって 神は ほんとうには 《どこにも居ない》という論理でしょうか。 このあたりの議論は 特に繊細であり 厳密を期して説明すべきと考えます。
- toothpast15w5
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それよりも あなた・・・ 神って 一体 何だと思ってますか? ・・・・・・・・・・・・・・・・無神論者だろーと 有神論者だろーと 理解出来なきゃ「神」では無いのです・・ それが可能な事は この世に古くから存在してますよ・・ だから 人類は代々命を継いできた・・
お礼
こんばんは。ご回答をありがとうございます。 お互い 長い空白がありましたね。 ★ 古来、日本の人々は自然に超越した神を見出していたと思われます。 ☆ あまり生産的な議論にならないように思われますが――つまり 対立点はほとんどないと思われるのですが―― 捉え方の違いとして ひととおり述べてみます。 すなわち・つまり: ☆☆ 5. つまりすでにこのように問い求めた定義からすれば われらがおや(祖先)たちは 《超自然・非経験》の領域を 何も表わさなかった。つまり強いて言えば《無い神》を立てていた。 ☆ ということですので 《自然に超越した神を見出していた》と言うか それともそのような神は 特に何とも表わさなかった。だから 《無い神》であったと言うかの違いであるように・・・。 ★ 18世紀においてやっと西洋では「崇高」という美学が生まれましたが、日本人にとっては、「崇高」なる概念は、当たり前で、台風、地震、津波など、人間の力ではどうすることも出来ないが、生活の糧として恵みをも、もたらす二面性を持つ自然と共存し、さらには超越したエネルギーとしての自然に神を見たのではないでしょうか。 ☆ そうですね。 《崇高》って 日本語で何と言ったのですか? 神さび。こうごうしい(かうかうし < かむ(神)かむし)? 西欧人は 崇高という美学を 遅れて遅くに持ったんですか? ううーん。 ペトラルカが 何とかいう山に登っていますね。その登攀記を書いています。小品で 何となく面白かった覚えがあります。 わるいけど しゃれた応答が出来ずじまいだった。 富士山のてっぺんが 釈迦三尊像なんですか?